昨日は所用で大阪へ出た、そのあと病院の伯母と実家の姉を見舞ったがその途中国道26号線の消防署が目に止まった、消防車の車庫の横に大きな電光掲示盤があってその下に時計そして半鐘を叩く火消しが、そしてその下の目の高さに掲示板が納まっている。そこで想い起こすのは上の3枚の写真、1955年Wakiが20歳のとき沿道に毎日マラソンを応援に行って撮った6×6版の写真だ。懐かしい当時のコンクリートの火の見櫓が写っているが当時は機能していた。下の半鐘は当時の名残のようだ。当時の毎日マラソンは毎日新聞大阪本社と高石町折り返しのコースであった、オープンカーには前年優勝の浜口選手が乗っているとメモにある、でもこれはピンボケであった。