時折り雲の切れ目から日差しの差し込む今日この頃、大きな柳の木にはスズメが鈴なりに止まっている。日本人にとってスズメほど身近な小鳥はいない、以前ハワイに行ったら,尻尾の長い小鳥が足元をのこのこ歩いていた、この時スズメは日本のものかと思った、「雀百まで踊り忘れず」は誰でも知っていることわざだ、スズメは死ぬまで跳びはね、小踊りするのをやめない。とのことでそれと同じように、人も幼いときからの習慣は年老いても抜け切れない。このことから、人間も若い時に身につけた道楽や浮気の癖は、年をとっても直らないという意に使われることが多い。「雀の糠よろこび」はスズメが糠を見つけ、そこに米もあると喜んだが、糠ばかりで米はなくがっかりした。そこからせっかく喜んだのは無駄だった、ということのたとえとなった。スズメは米が好きで、刈り入れ前の田んぼにやってきて稲穂をついばんだりする。稲作文化を築いてきた日本人はイネといえば、鳥はただちにスズメを連想する。これはスズメによるイネの食害が、イネの栽培技術が未熟で収穫量も少なかった過去の時代では今よりずっと深刻だったからで、鳴子によるスズメおどしや案山子が今も秋の風物詩になっている。