W A K I の気ままなトンボの目

自分流の勝手な生き方ですが、何か気付いたことを書いてみます。
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唯一の写真 「はじめての遠足堺水族館」

2005年03月10日 | 歴史
WAKIが持っているこのセピアの写真は貴重というほかない、小学校(後の国民学校)1年生のときの遠足の写真だ、先生の名前は加藤先生だったと思う。この頃は男子は皆軍隊に召集されて先生が不足して、このとおり及びも付かないほどの生徒の人数で先生も大変だったと思う。WAKIはちゃんと先生の前にいる、そして先生も生徒もみんないい身なりをしている、まだ、開戦の直前で、戦意高揚の機運がたかく遠足にいく余裕もあったがやがて日本が不利になると都会の子供たちは疎開を強いられることになる。

WAKIの戦時体験(第2回)「疎 開」

兵役をまぬがれ父は店をすて
転職の父は仕事に苦労して
親と行く疎開の先はまだのどか
童謡の「ふるさと」のまま疎開先
水泳を覚えた川はいまも在り
黄疸の兄に親父の蜆とり
母親は勤労奉仕壕堀りに
着たきりの着物も下駄も使いきり
どの寺も疎開の子らを受け入れて
疎開の子どれだけ父母に会いたいか

(忌憚の無いコメントをいただければ有難いです。)

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