「理屈なく反対、困った発言」米倉経団連会長が孫ソフトバンク社長を批判
2011.11.21 18:36 [財界]
経団連の米倉弘昌会長は21日の会見で、ソフトバンクの孫正義社長が経団連の理事会で原発再稼働優先の提言に異を唱えた問題について「理解に苦しむ」と強い不快感を示した。
「(理事会の前の)エネルギー委員会でソフトバンクの代表の方も意見を言われ、誰からの賛同も得られず結局は原案通り採択された」と指摘。「ちゃんとした理屈もなく反対だというのは困った発言だ」と批判した。
経団連会長が会見で加盟企業を批判するのは異例。孫社長は意見が取り入れられなければ経団連からの脱会も示唆しているが「ご本人が考えること」と突き放した。
ソフトバンクは福島第一原発の事故後、太陽光発電など自然エネルギー事業への参入を表明。一方、経団連は11日の資源エネルギー委員会で「安全性の確認された原発は再稼働が重要」とした提言をまとめ、15日の理事会で了承を求めた。
これは、産経のニュース記事からの抜粋である。
私は米倉会長が好きだ。
彼は、実直でとても頭がよく またその人柄はとても素晴らしいと思う。
しかし、今回のこの発言が事実だったとすると、私とは大きく意見が異なる。
理屈なく 反対している という米倉氏の意見なので、私なりに彼に対して理屈を述べたい。
此処を読んでくださっているみんなが、私の理屈が正しいか それとも間違っているのかを判断してほしい。
まず、放射能が人間にとって 危険かどうかという議論。
現在 日本のみならず、世界中で放射能の年間被爆量の数値が、きちんと提示されている。例えば医療用であっても、数値の上限が決められており、病院は患者に対して上限を超えてはならないと決められている。それは、放射能が、ガンや白血病、ホルモン異常などを引き起こすことが、科学的に実証されているからである。
そして、原子力発電所は、放射能を伴う発電所である。
フクシマの事故が起きて、原子力発電所の安全性の確認という土台そのものが、なくなった。つまり、国や原子力保安委員会などが、安全だと認定していたから 福島第一原子力発電所は運転されていたのである。しかしながら、それは事故をした。
繰り返すが、3月11日まで、福島第一原子力発電所は、安全であるという確認がなされていたのである。その発電所が水蒸気爆発を起こし大気中、および 地下水 および海水に大量の 人体にとって危険な放射能を撒き散らしているし これは現在も進行形である。
それにより、福島の広大な土地に人間が、住むことができなくなってしまった。そこにいた人々の人生、何世代にもかけて築かれた村、町 生活 などなどが、すべて 根底から無茶苦茶に壊されてしまった。
これは、事実である。
ここまで、書いていることに 一切の嘘もなければ、大げさな表現も 風評もないことを、まず読者に確認したい。
そして、この事実を米倉会長自身が このことを良くご存知であることを前提に 話を進めてみたい。
まず、安全確認とは何か ということについて考えてみたい。安全確認とは、事故が起きないという安全が確認できたということを指す。事故が起きないために、さまざまな処置がそれこそ たくさんのお金をかけて行われているわけで、そのためには何十兆円というお金が使われてきている。何重にも張り巡らされた最新施設には、これでもか、これでもか と放射能が外部に漏れだすことのないような防御策がとられ、ありとあらゆる想定を行い そして、安全確認がされているわけであり、それは、福島第一原子力発電所の場合も 同じであった。しかし 事故は起こった。
福島第一原子力発電所が特別に危険な発電所であったわけではなく、なぜ事故が起きたのかといえば、それは、国も原子力保安委員会もありとあらゆる学者先生も科学者も、十分ではなかったからである。
事故が起きたあと、今までの基準を見直したとしても、今後、いくら大丈夫です と言われても、誰ひとり もう、あなた方を信用できない。
事故が起きるまでは、日本人はあなたがたを信用してきた。
それは、何十年にもわたって、あなた方のさまざまな説明や、安全性のアピールなどによって 私たちが それを信用してきたからである。しかし、繰り返すが、事故は起きた。
この事故は、一度でも起こしてはいけないタイプの事故である。なぜなら、これによって 何百万人の方々がこれから数年後にさまざまな病によって苦しまなければならなくなるという 絶対に あってはならない大規模の失敗だからだ。
それでも、あなたがた原子力推進をする人たちは、この罪の大きさに気がついていないのであろうか?
それとも、気がつかない振りをしているのだろうか?
いずれにせよ、あなたがたの説明してきた 安全性は、もう 信用されることはないのである。
信用の意味は 重く 大きく そして高くつく。
あなたたちは、すでに渡ってはならない橋を 渡ってしまったのだ。
あなたがたのしてしまった、償うことのできない大きな過ちについて、ほんのわずかでも気がついているのなら、あなたがたには、原子力発電所の安全確認ができたものについては、運転を再開するということへの反対について もっと真率に向き合うべきではないだろうか。
反対する意見にたいして困った発言とする言葉を 米倉さん あなたは、日本国民があなたと同感できると お思いでしょうか?
もし、本当にそう思っているのであれば、あなたは 人間が人間に対する信用の重さとそれを失った罪の重さについて、どうお考えなのでしょう?あなたの経歴や 年齢、それに受けてこられたさまざまな人生訓のなかで、信用について、どうお考えなのでしょう?
私たち 日本人は、産業を育成していくことを、とても大事だと思っている。雇用も経済もまた、企業の活力もそのために必要な電力の供給についても、とても大事だと考えている。だが、それが大事だと考えている理由は、家族のためなのである。
一般の日本人は 権力を持ちたいとか、大富豪になりたいとか、あるいは大企業の社長になりたいとか考えているわけではない。
私たち 一般の日本人は、家族を持ち、子供を持ち、その成長に満足し 贖える範囲の趣味をもち、まあまあ一日充実していたなと感じれば幸せなのである。
そのためには、いつも一生懸命 働いてきたし そのなかで、社会について 自分の周りの人々について 考えていたりするのである。
おそらく 米倉さんとは まったく違った定規で考えているので、そういう私たちを あなたには愚かな人間にしか 見えないのかもしれない。
しかし、私たちは父であり 母であり、そして愛する子供たちを守るという責任を果たしたいのである。
この一握りの心根を、どれほど大きな企業であっても、産業であっても それがたとえ国であっても つぶすことは出来ない。
私たちが 米倉さん あなたに期待することは、この一握りの心根を 大事にしてくれることなのです。
私たちのかわいらしい子供たちが、放射能汚染という とても恐ろしい目に見えない汚染に 今まさに冒されているか 冒されつつあるかわからないという とても不安な日々を送っています。この不安な心を、あなたは理屈なく反対 と切って捨てることは、本当に正しいと お考えですか?
米倉さんが、「理屈なく」というのは、安全確認をされた原子力発電所の 安全確認が信用できないということを私たちが言っていることを 指しているのであれば、なぜ信用がなくなったのかについて もう一度良く考えてみるべきではないでしょうか?
私が 言いたいのは 私たち一般人は、原子力発電所についてのあなたがたの見解や意見を初めから信用しなかったわけではなく、信用した結果 現在の惨状に至ってしまったことを とても 悔いているのです。つまり 原子力発電所を擁護する立場の人々を 信用するべきではなかったと とても後悔し 臍をかんでいます。それは 大きな取り返しのつかない 事故が起こったからです。そうです、3・11 は取り返しのつかない 大きな 大きな事故だったのです。
津波のせいだとか 想定外だったという言い訳ならば、 やめてください。それ自体 まったく 意味がない議論です。
もし 電力の供給がなければ、産業に支障をきたし 雇用が減り あなたがたは 困ることになりますよ。
と米倉さんは 考えているかもしれない。
経団連は日本の雇用を守るために、頑張っているのだとおっしゃるのかもしれません。
思い上がらないでほしいのです。
私たちは、経団連の人が全員いなくても 生きていけます。父であり母である 私たち日本人は経団連が出来る前から、生きてきました。しかし、普段はとてもおとなしく穏やかな、多くの私たち日本人が殺されるのは、歴史上、いつも、そういうあなた自身のような思い上がった資本家の人々や 政治家たちによって、間違った国の選択をされる場合のみでした。そして今回の事故もまた、そうでした。私たちはそんなあなたがたに、感謝などできそうもないのです。
私たちは、ただ 穏やかに生きたいのです。幸せに暮らしたいのです。放射能に 脅えることなどなく、また「このままだと仕事がなくなるぞ」などという ありもしない 愚かな脅しを受けることもなく ただ、毎日を子供たちとともに、生きたいのです。
あなたの今から行おうとしていることや、今まで行ってきたことは、そういう私たちのささやかだけれど、あたりまえの人間の願いを、踏みにじっていくものでしかありません。
あなたのような人を、もう わたしたちは、懲り懲りした気持ちで見ています。
もう、うんざりなのです。
私たちの価値観は、3.11以降 180度、変わったのです。
今までのような、商業主義でもバブルのような贅沢指向でもなくなりました。
そのことに気がついて、日本人とそのなかで生きてきたあなたの半生を ふと立ち止まって 見直してみてはくれませんか。
どうです?
見えてくるものがきっと おありだと思うのです。
あなた自身の 本当の優しさに もう一度立ち戻って下されば、私たちはきっと 理解しあえることと思います。
2011.11.21 18:36 [財界]
経団連の米倉弘昌会長は21日の会見で、ソフトバンクの孫正義社長が経団連の理事会で原発再稼働優先の提言に異を唱えた問題について「理解に苦しむ」と強い不快感を示した。
「(理事会の前の)エネルギー委員会でソフトバンクの代表の方も意見を言われ、誰からの賛同も得られず結局は原案通り採択された」と指摘。「ちゃんとした理屈もなく反対だというのは困った発言だ」と批判した。
経団連会長が会見で加盟企業を批判するのは異例。孫社長は意見が取り入れられなければ経団連からの脱会も示唆しているが「ご本人が考えること」と突き放した。
ソフトバンクは福島第一原発の事故後、太陽光発電など自然エネルギー事業への参入を表明。一方、経団連は11日の資源エネルギー委員会で「安全性の確認された原発は再稼働が重要」とした提言をまとめ、15日の理事会で了承を求めた。
これは、産経のニュース記事からの抜粋である。
私は米倉会長が好きだ。
彼は、実直でとても頭がよく またその人柄はとても素晴らしいと思う。
しかし、今回のこの発言が事実だったとすると、私とは大きく意見が異なる。
理屈なく 反対している という米倉氏の意見なので、私なりに彼に対して理屈を述べたい。
此処を読んでくださっているみんなが、私の理屈が正しいか それとも間違っているのかを判断してほしい。
まず、放射能が人間にとって 危険かどうかという議論。
現在 日本のみならず、世界中で放射能の年間被爆量の数値が、きちんと提示されている。例えば医療用であっても、数値の上限が決められており、病院は患者に対して上限を超えてはならないと決められている。それは、放射能が、ガンや白血病、ホルモン異常などを引き起こすことが、科学的に実証されているからである。
そして、原子力発電所は、放射能を伴う発電所である。
フクシマの事故が起きて、原子力発電所の安全性の確認という土台そのものが、なくなった。つまり、国や原子力保安委員会などが、安全だと認定していたから 福島第一原子力発電所は運転されていたのである。しかしながら、それは事故をした。
繰り返すが、3月11日まで、福島第一原子力発電所は、安全であるという確認がなされていたのである。その発電所が水蒸気爆発を起こし大気中、および 地下水 および海水に大量の 人体にとって危険な放射能を撒き散らしているし これは現在も進行形である。
それにより、福島の広大な土地に人間が、住むことができなくなってしまった。そこにいた人々の人生、何世代にもかけて築かれた村、町 生活 などなどが、すべて 根底から無茶苦茶に壊されてしまった。
これは、事実である。
ここまで、書いていることに 一切の嘘もなければ、大げさな表現も 風評もないことを、まず読者に確認したい。
そして、この事実を米倉会長自身が このことを良くご存知であることを前提に 話を進めてみたい。
まず、安全確認とは何か ということについて考えてみたい。安全確認とは、事故が起きないという安全が確認できたということを指す。事故が起きないために、さまざまな処置がそれこそ たくさんのお金をかけて行われているわけで、そのためには何十兆円というお金が使われてきている。何重にも張り巡らされた最新施設には、これでもか、これでもか と放射能が外部に漏れだすことのないような防御策がとられ、ありとあらゆる想定を行い そして、安全確認がされているわけであり、それは、福島第一原子力発電所の場合も 同じであった。しかし 事故は起こった。
福島第一原子力発電所が特別に危険な発電所であったわけではなく、なぜ事故が起きたのかといえば、それは、国も原子力保安委員会もありとあらゆる学者先生も科学者も、十分ではなかったからである。
事故が起きたあと、今までの基準を見直したとしても、今後、いくら大丈夫です と言われても、誰ひとり もう、あなた方を信用できない。
事故が起きるまでは、日本人はあなたがたを信用してきた。
それは、何十年にもわたって、あなた方のさまざまな説明や、安全性のアピールなどによって 私たちが それを信用してきたからである。しかし、繰り返すが、事故は起きた。
この事故は、一度でも起こしてはいけないタイプの事故である。なぜなら、これによって 何百万人の方々がこれから数年後にさまざまな病によって苦しまなければならなくなるという 絶対に あってはならない大規模の失敗だからだ。
それでも、あなたがた原子力推進をする人たちは、この罪の大きさに気がついていないのであろうか?
それとも、気がつかない振りをしているのだろうか?
いずれにせよ、あなたがたの説明してきた 安全性は、もう 信用されることはないのである。
信用の意味は 重く 大きく そして高くつく。
あなたたちは、すでに渡ってはならない橋を 渡ってしまったのだ。
あなたがたのしてしまった、償うことのできない大きな過ちについて、ほんのわずかでも気がついているのなら、あなたがたには、原子力発電所の安全確認ができたものについては、運転を再開するということへの反対について もっと真率に向き合うべきではないだろうか。
反対する意見にたいして困った発言とする言葉を 米倉さん あなたは、日本国民があなたと同感できると お思いでしょうか?
もし、本当にそう思っているのであれば、あなたは 人間が人間に対する信用の重さとそれを失った罪の重さについて、どうお考えなのでしょう?あなたの経歴や 年齢、それに受けてこられたさまざまな人生訓のなかで、信用について、どうお考えなのでしょう?
私たち 日本人は、産業を育成していくことを、とても大事だと思っている。雇用も経済もまた、企業の活力もそのために必要な電力の供給についても、とても大事だと考えている。だが、それが大事だと考えている理由は、家族のためなのである。
一般の日本人は 権力を持ちたいとか、大富豪になりたいとか、あるいは大企業の社長になりたいとか考えているわけではない。
私たち 一般の日本人は、家族を持ち、子供を持ち、その成長に満足し 贖える範囲の趣味をもち、まあまあ一日充実していたなと感じれば幸せなのである。
そのためには、いつも一生懸命 働いてきたし そのなかで、社会について 自分の周りの人々について 考えていたりするのである。
おそらく 米倉さんとは まったく違った定規で考えているので、そういう私たちを あなたには愚かな人間にしか 見えないのかもしれない。
しかし、私たちは父であり 母であり、そして愛する子供たちを守るという責任を果たしたいのである。
この一握りの心根を、どれほど大きな企業であっても、産業であっても それがたとえ国であっても つぶすことは出来ない。
私たちが 米倉さん あなたに期待することは、この一握りの心根を 大事にしてくれることなのです。
私たちのかわいらしい子供たちが、放射能汚染という とても恐ろしい目に見えない汚染に 今まさに冒されているか 冒されつつあるかわからないという とても不安な日々を送っています。この不安な心を、あなたは理屈なく反対 と切って捨てることは、本当に正しいと お考えですか?
米倉さんが、「理屈なく」というのは、安全確認をされた原子力発電所の 安全確認が信用できないということを私たちが言っていることを 指しているのであれば、なぜ信用がなくなったのかについて もう一度良く考えてみるべきではないでしょうか?
私が 言いたいのは 私たち一般人は、原子力発電所についてのあなたがたの見解や意見を初めから信用しなかったわけではなく、信用した結果 現在の惨状に至ってしまったことを とても 悔いているのです。つまり 原子力発電所を擁護する立場の人々を 信用するべきではなかったと とても後悔し 臍をかんでいます。それは 大きな取り返しのつかない 事故が起こったからです。そうです、3・11 は取り返しのつかない 大きな 大きな事故だったのです。
津波のせいだとか 想定外だったという言い訳ならば、 やめてください。それ自体 まったく 意味がない議論です。
もし 電力の供給がなければ、産業に支障をきたし 雇用が減り あなたがたは 困ることになりますよ。
と米倉さんは 考えているかもしれない。
経団連は日本の雇用を守るために、頑張っているのだとおっしゃるのかもしれません。
思い上がらないでほしいのです。
私たちは、経団連の人が全員いなくても 生きていけます。父であり母である 私たち日本人は経団連が出来る前から、生きてきました。しかし、普段はとてもおとなしく穏やかな、多くの私たち日本人が殺されるのは、歴史上、いつも、そういうあなた自身のような思い上がった資本家の人々や 政治家たちによって、間違った国の選択をされる場合のみでした。そして今回の事故もまた、そうでした。私たちはそんなあなたがたに、感謝などできそうもないのです。
私たちは、ただ 穏やかに生きたいのです。幸せに暮らしたいのです。放射能に 脅えることなどなく、また「このままだと仕事がなくなるぞ」などという ありもしない 愚かな脅しを受けることもなく ただ、毎日を子供たちとともに、生きたいのです。
あなたの今から行おうとしていることや、今まで行ってきたことは、そういう私たちのささやかだけれど、あたりまえの人間の願いを、踏みにじっていくものでしかありません。
あなたのような人を、もう わたしたちは、懲り懲りした気持ちで見ています。
もう、うんざりなのです。
私たちの価値観は、3.11以降 180度、変わったのです。
今までのような、商業主義でもバブルのような贅沢指向でもなくなりました。
そのことに気がついて、日本人とそのなかで生きてきたあなたの半生を ふと立ち止まって 見直してみてはくれませんか。
どうです?
見えてくるものがきっと おありだと思うのです。
あなた自身の 本当の優しさに もう一度立ち戻って下されば、私たちはきっと 理解しあえることと思います。