この看板
原子力明るい未来と掲げてある。
言うまでも無く 福島の双葉町にいまも残る看板だ。
原子力明るい未来
なんて 痛いんだろう。
この看板を見て 「はいはい 分かりました」と言いたくなるのは、私だけだろうか?
この うそつきどもめ。
と怒鳴りたい。
うんざりするのは、東電が撒き散らした放射能を、関係の無い人たちが苦しませられて、そして 自衛隊の若者たちが被爆しながら、除染? をさせられている現実だ。大橋教授がスコップを持って行くべきなんだ。
「水蒸気爆発など起こりません」と言った以上、男なら、おとしまえのつけ方くらい知っているはずだ。
今でも、原子力発電所を進めていくつもりの 日本人がいることに、正直 私は驚きを禁じえない。
私は、日本生まれ、日本育ちの純粋な 日本人だが、国籍はすでに、オーストラリア人なので、日本に対して、望郷愛以外 なにもない。
政治家になりたいわけでもなく、日本をどうかしたいなどという大それた気持ちも無い。まったく、野心もない。
そんな私が、書いているのは、純粋にただひとつのこと
「正しいと思っていることは、正しいことだと言える大人になる」という小学生のときに習った道徳の授業のひとことに尽きる。
大人は 本音と建前とか、嘘をついたりする。
嘘にもいろいろある。
女の子が、「私は○○市のミス○○だったのよ」などという嘘は、謂わば、かわいらしい嘘だ。
そんな嘘なら、喜んでつかれてみたいと、私のようなややスケベな中年おやじなら、思うだろうし、読者の中にも激しく同意する人たちがいることを知っている。
しかし、「原子力は安全です」とか、「原子力 明るい未来」などというのは 嘘の中でも悪質で、許されない嘘じゃないだろうか。中年親父の私も、読者の中のスケベな親父たちでさえも、怒りを感じるのは、実にこの あまりにも非道な嘘にたいしてである。
偉そうなことを言うわけではない。
ウラン鉱山の株式を買っていたような私に、そんな資格がないことは、分かっている。
しかし、そういう嘘を信じてきた一人として、また、双葉町に住んでいたかわいそうな人々たち・・・(おそらく彼らも嘘を信じ、金をもらって、踊らされていたはずだ)本当の今回の事故の本質について、掘り下げて考えてみるべきじゃないだろうか?
もうちょっと、問題意識を持って、見直してみることは、間違っているだろうか?
それとも、ただ風に任せて、政府や東電の言うとおりにしておけば、それで いいのだろうか?
何故かバブルの頃の日本ではやった幾三さんの「信号無ェ、ある訳無ェ、俺ァの村には電気が無ェ」「俺ァこんな村イヤだ、東京へ出るダ」というかわいい歌詞の歌が頭に浮かび、妙に痛みが増幅します。
http://www.youtube.com/watch?v=-YLVSAaRJqQ&feature=related
今の日本では主に小さな子どもを持つカァちゃん達の本能的な欲求により、非道な嘘を今もつき続けている悪質な大人達を社会の上層からワイプアウトする動きが始まったように思います。
この動きは、まっとうなスケベ親父たちが、良識ある大人のマジョリティーとして、強力にサポートしてゆかないといけないと強く思う今日この頃です。
シドニーでは、素晴らしいお日様とビール、美味しいミートパイ、楽しいお話、ありがとうございました。