機動画報日誌 Mk-Ⅱ

英 浩史の日々徒然を記すブログ

舞-乙HiME 第18話

2006年02月10日 | HiME
久々にリアルタイムで観て、そのままの勢いで書き込もうとしたら
メンテナンスで書き込めなかった・・・orz

どうもです。

 先々週にオープニングが変わって以降、怒涛の展開ですな。
いきなり「おじさま」の正体がばれたり、アリカvsニナがあったり、
大人気のメインキャラが悲惨な状況で退場したりで、乙HiME
たちの明るく燃え萌えな学園ドラマを楽しんでいた視聴者には
ツライ展開だったかもしれませんが、個人的には非常に楽しんで
ます。むしろこういった展開、大歓迎です。これでこそ舞HiME
シリーズだろう、と。
 そもそも前作からしてそうだし、今作は世界観からしてもっと
きな臭い(*1)ものということは、いろんなシーンでいろんなキャラ
によって語られ(説明され)ていたし、「鬱展開は観たくない」とか
「スタッフは学習能力がない(=前作で懲りてないのか)」という
のは筋違いな感想ではないかと。

 今回も先週以上に惨い展開です。マシロ女王、堕ちるところまで
堕ちてます。ナギの策略で国を追われ、国民の本音を嫌というほど
聞かされ(*2)、自分に尽くしてくれた側近は最期まで忠節を守り
通し・・・。これで“みんなを幸せにする女王”になれないなら、
マシロがこの作品で存在する意義そのものが最初からないでしょう。
 今後、ここからどうやってハッピーエンドに持っていくのかが
非常に楽しみです。とりあえずは(今作ならトモエ辺りが?)
「カンニンな(ハァト)」で、全部チャラにするのだけは勘弁願いたい。
////////////////////////////////////////////////////////////
  *1:何重にもセーフティがかけられる核ミサイルと違って、女の子ひとりの感情
    (というか理性か)によって発動が抑えられている乙HiMEシステムは
    現実世界よりももっと簡単に最終戦争に突入しかねない、脆い安全保障
    システムな訳で。
  *2:まあ、住んでいた貧民街を追われて難民化した階層の本音なので、追放され
    なかった一般市民の本音はもうちょっと緩やかかも知れませんが


映画の日 5/5

2006年02月09日 | 映画
■レジェンド・オブ・ゾロ ○
 『マスク・オブ・ゾロ』の続編で、前作でゾロの名を受け継いだ
アレハンドロ(アントニオ=バンデラス)と先代ゾロの娘エレナ
(キャサリン=ゼタ=ジョーンズ)、二人の息子ホアキンを中心に、
アメリカの“古きよき開拓時代”が描かれます。
 ホアキンも学校へ通う年齢になっても、悪人たちの策動は止まず、
「ゾロを引退する」というエレナとの約束も守れないアレハンドロ
が、エレナが別の男の許に走った(ように見えた)こともあって
やさぐれてみたり、ゾロであることを隠すために息子の前で醜態を
さらしてみたり、家庭を持ったヒーローの末路は、洋の東西を
問わない(*1)なぁ、というのは、観ていて強く感じました。
 良くも悪くも“古きよき勧善懲悪もの”で、なんの前振りもなく
息子の危機に救助の手を差し伸べるゾロとか、冷静に観ていたら
ツッコミが入りそうなシーン(*2)もなくはないですが、最後に決着
をつけるべく、子にすべてを打ち明け、颯爽と復活する場面は
単純にかっこいいと思えます。
 逆に勧善懲悪ものの悪い部分というか何というか。合衆国の台頭
に危機感を抱く欧州貴族の秘密結社が黒幕で、その描写がいかにも
冷酷な悪人、みたいなのだったのが・・・。「古い伝統=悪」みたい
なイメージが感じられて,ちょっと気にはなりました。
 とはいえ、全体的には非常に面白く観ることができました。何年
か後に、成長したアドリアン=アロンソ(ホアキン役の子役)を
主役にした新作が作られたら観てみたいですね。
////////////////////////////////////////////////////////////
  *1:『Mr.インクレディブル』とか、『雅楽戦隊ホワイトストーンズ』(笑)とか。
  *2:雑木林の中で訓練していたのに、数十秒後には河川敷に来て救助の手を
    差し伸べた桐矢クンよりは(むしろ前振りがない分(笑))違和感はない
    のですが。


夜も眠れない

2006年02月06日 | ガンダム
どうもです。

 「映画の日」の方はちょっとお休みして。


 今週にもMGネモが発売されるわけだが、このネモ、どういう
素性のMSなんだろうかと、ふと思った。いや、オフシャル設定
にあるように“GM2の後継機、もしくは発展機としてアナハイム
社が開発したMSで、ほぼ全てがエウーゴに納入されている”と
いうのは承知しているんだが、ほぼ同時期に開発され、結果的には
ティターンズに納入されることになるが、元来はエウーゴ向けに
開発が進んでいたマラサイ=ドミンゴ(*1)がある訳で、アナハイム
は(内部構造的にはともかく外観上は)ジオン・連邦、二つの系統
の新型を、一つの陣営用に開発していたことになるんじゃないか
と思うんだが、いかがだろうか。
 TV第8話「月の裏側」で、アレキサンドリアにマラサイが搬入
されるのと同時刻(?)には、エウーゴ部隊のネモがグラナダを
襲撃しているので“ネモはあくまでGM2の後継で、連邦軍全体
(ティターンズも含む?)での導入を想定した機体で、本来なら
エウーゴ用にと想定していたドミンゴがティターンズに回された
補填としてネモがエウーゴに回された”とは考えにくい。
 双方共にエウーゴ用だったとするのも、二系統を作り分ける理由
が見当たらないので、難しいと思うのだが、今度発売される
MGネモのインストでは、その辺りのことは言及してくれている
だろうか・・・。

 ちなみにこの件に関連して、昔の1/144キットのインストなどを
読み返してみると“ネモの装甲材はガンダリウムα”と明記して
あった。最近の「定説」だとマラサイ&ネモはγ製らしい(*2)の
だが、個人的には、このインストの記述の有無にかかわらず、この
当時はγの精製/加工技術が確立し実用化には成功していたものの、
まだ大量生産できる訳ではなく、それ故に調達数が不足するリック
・ディアス(*3)の補助としてネモ(やドミンゴ)が採用された、と
解釈しているのだがどうだろうか。

////////////////////////////////////////////////////////////
  *1:この「ドミンゴ」という名称、別冊アニメディアなどによると準備稿段階
    でのマラサイの名前だったが(おそらくはスバル自動車の軽ワゴンの商標
    に引っ掛かるから)変更された、ということから、Mobile Graphix的には
    エウーゴ用マラサイの名前としたんだが、最近はギャプランの準備稿(≒
    試作機?)を指す名称、というのが一般的のようで。この「説」の初出は
    やはり『ジェリド出撃命令』なんだろうか。
  *2:『GUNDAM FACT FILE』では1/144キットインストの記述を踏まえてか、
    初期生産分はα製で、以後はγ製とのことだが。
  *3:リック・ディアスはガンダリウムγを使用することで、通常MS並の運動性
    と重MS級の装甲性能の両立を目指した「ガンダム」なので、量的確保の
    ために装甲材をαに変えることは機体コンセプトに反する。


映画の日 4/5

2006年02月04日 | 映画
■Mr.&Mrs.スミス △
 情熱的な恋の末、お互いの裏の事情とかをよく知らないまま
結婚した二人(ブラッド=ピット&アンジェリーナ=ジョリー)が、
実は敵対する組織に雇われるプロの殺し屋同士だった。相手の
秘密を知ってしまい、それぞれの組織からも抹殺指令が下される
(失敗すれば当然自分が消される)。倦怠期に差し掛かっていた
二人は、間の悪い偶然から疑心暗鬼に駆られて相手を殺そうと
し始める、という話。
 まあぶっちゃけて言えば“お互いに秘密を持っていた夫婦が、
その秘密を知ったことで相互不信に陥り、夫婦関係は決裂寸前に
まで陥るが、争う中で相手の本質を見出して逆に絆を強くする”
というのが大筋で、協力してより大きな困難に立ち向かうことで
最終的に夫婦関係は修復されますが、お互いの技能が技能だから
普通だったら料理皿や旦那がコレクションしている模型、
せいぜい包丁が飛んでくる程度のものが、銃弾やナイフ、時には
爆弾が飛び回ってる、ということで。
 大掛かりな仕掛けや、派手なアクションが随所に散りばめ
られていて、観ている分には飽きないです。あと、ところどころ
で二人がカウンセリングを受けるシーンが挿入されていて、
お互いの相手に対する気持ちとか夫婦関係に対する意識の変遷が
見え隠れして、それが結構面白かったりします。

 ただ、物語の筋として「より大きな困難」が用意されるのは
ある種必然だと思うんですが、この「より大きな困難」はどう
なんだろう。こういう局面になるなら、最初から二人が殺し合う
ことにはならないんじゃないかなぁ、とか思ったり。
 あと、最後はカウンセリングのシーンで終わる訳ですが、
カウンセラーの声とか部屋の様子からして、冒頭と同じ場所っ
ぽいんですが、国内にいて大丈夫なのか? 二人が属していた
それぞれの組織すべてを壊滅させた訳でもないはずで、お互いに
相手を殺すことに失敗してるんだから、組織が放っておかない
と思うんですが。

映画の日 3/5

2006年02月03日 | 映画
■博士の愛した数式 ○
 交通事故による後遺症で、80分間しか記憶が保持できない
(一時間半前のことはもう忘れてしまう)数学博士とその世話を
することになったシングルマザーの家政婦、博士に「ルート」と
いうニックネームをつけてもらった家政婦の息子が織りなす物語。
 物語の中心は、あくまでも題名にもある博士(寺尾 聰)と家政婦
(深津絵里)ですが、語り手は、博士との触れあいの中で成長し、
高校の数学教師となったルート(吉岡秀隆)で、過去を振り返り、
自分がどうして数学教師になったのかということを生徒達に語る形
で物語が進みます。
 記憶障害もあって、他者とのコミュニケーションよりも数学的
思考を優先する(まさに数学を愛している)博士と、家政婦や
ルートがゆっくりと、でも確実に人間関係を構築していく様子が
描かれていて、特段盛り上がる局面はないし、感動するというの
とは違うとは思いますが、鑑賞後、清々しい気分になれる映画
です。
 私は中学二年生の時点で理数系は捨てた人間で、友愛数や完全数
はおろか、階乗すら知らない(習ったけど忘れてる?)人間です
が、博士やルートの解説は非常に面白く聞けました。中学ン時の
先生がこういう人だったら・・・と思うまでは至りませんが、少なく
とも観た後しばらくは、身近にある数字に何とはなしに意味性を
求めるほどには(*1)。
 あと、博士やルートが阪神ファンということで、選手の背番号
や奪三振数などに絡めた数学話とかもあって知らず知らずニヤニヤ
してしまう展開もあったり。ただし主軸にあるのが博士の記憶
なので、出てくる選手が富士村だったり田淵だったり江夏だったり
なんですが。博士が昔集めていたカードでとはいえ、影浦が出て
きたのにはびっくりしました。

 ただまあ、博士のキャラクターがあまりに清廉すぎるような気が
しなくもないというか何というか。寺尾 聰の演技はすごく自然で
物語の根幹として違和感は感じないんですが、先天的な精神障害を
持った子供が純真無垢な天使のように描かれるのに似たものを
感じました。殊に、彼が事故以前に背負ってしまった「罪」の存在
を考えると、あんなに無垢でいられないのではないかな、という
気も(*2)。

////////////////////////////////////////////////////////////
  *1:鑑賞後、次のプログラムまで時間があったので、夕飯を食べたんですが、
    食後のコーヒーの、ポーションミルクの底に書かれている数字が何故か
    「49」と「70」で、漠然と「どっちも7の倍数だなぁ」とか思ったり。
  *2:逆にその「罪」故にこうなった(ある種の退行?)という可能性もある
    にはあるんだが。