機動画報日誌 Mk-Ⅱ

英 浩史の日々徒然を記すブログ

コメントレスに代えて

2013年12月07日 | 映画
 事あるごとに「末恐ろしいガキ」と言われたりしてるところを見ると、
物語後半で、肉親の情より何より損得勘定でユグドラシルの側について
(場合によっては兄貴を蹴落としユグドラシルを乗っ取って)鎧武たち
と敵対することになるんだろうか、ミッチー(*1)は?

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どうもです。

 という訳で『叛逆の物語』観てきました。映画の日を狙って2回
(トータルで3回)ほど。一度観て、ある程度解ったうえで見返すと、
新たに気付く点は結構ありますね。

>爪を立てて必死に抗って
 確かにそういう暗示がありそうですね。自分はこのまま死ななければ
ならないという思いと死にたくない(というかまどかに会いたい)と
いう思いの相克なんでしょうな。

>偽街の子供たち
 彼らが(まだ魔女じゃない)ほむらの暗示なのは恐らく間違いない
(彼らの手から離れる風船は違和感とか疑問の象徴?)ですね。
 魔女化した時、子供たちのマスク(目かくし?)が外れるとか、隠され
ていた真実が顕わになったということ?

>なぎさはほむらの側ってこと?
 最初は《円環の理》側に立ってほむらと対峙していたさやかも、拍手
ひとつ(あれ?指パッチンだったかな)でかなり怪しくなってきてました
からねェ(*2)。良くも悪くもお子チャマななぎさは、早々に取り込まれて
しまったんではないでしょうか。

 なぎさと言えば、さやかと杏子がラブラブしている時に「自分は
チーズが食べたかっただけ」とか言ってさやかに「空気読め(*3)」とか
言われてましたな。

>トマトを子供にぶつけられ、流血しているようになるほむら
 この時の《流血》する箇所が、《自決》した時と同じ場所なんです
よね。この辺りも何かしらの暗示(ほむらの心情的な共通点とか)が
あったりするんでしょうか。

>ナカザワ君だっけ・・・途中で本物でない人間たちは顔が分からなくなる
>描写があるけど
 あのシーンでは(あの世界ではほむらの隣の席の)ナカザワくんは
顔がありましたね。他に《カオナシ》じゃなかったのが、まどか達、
仁美&上条くんぐらいだったみたいです。担当教科じゃなかったようで、
早乙女先生じゃなく《カオナシ》の男性教師だったかと。

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  *1:呉島弟の役者さんって「ファブリーズ」のCMで松岡修造の息子(?)のひとり、
    多分長男役の人みたいですな。何気なく見ていたCMで出てきてるのに気づいて
    ちょっとびっくり。
  *2:この時、ほむらはさやかに「人間として生きていけることを喜びなさい」みたいな
    こと(ちょっとニュアンスが違ったかも?)を言われていたところを見ると、さやか
    は魔法少女でもなくなって、人間に戻っているんでしょうかね。
    まあ《円環の理》から《人としてのまどかの人格》だけを引き剥がすことができた
    ほむらなら、そういう改変も可能かも知れませんが。
    しかしそうすると、まどかも人間で、いずれ年老いてほむらを残して死んでしまう
    んでしょうかね。そうなった後のほむらを想像すると怖い考えに・・・・。   
  *3:なんで変換の第一候補が「空気嫁」なんだろうか?