My Favorite 《ゴールデンイーグル&Sleeping lion》

私の好きな有名人、本、食べ物、ちょっと一言、感謝する事、etc

ヒューマンエラー

2010年06月19日 | Weblog
母親のつきそいで整形外科に行き次回の予約時間を医師から告げられる。
その後看護師さんから次回の予約時間の書かれた紙を見て時間が違っていることに気付いた。
確認しに行くと間違っていて、医師が告げた時間よりも30分早く来なければいけない。
看護師が間違えたのか医師が間違えたのか不明だけどその日はそれで帰った。
次回予約時間よりも早めに病院に到着。
今回は1週間後に入院して手術するための診察だから、入院する時間と手術開始時間までちゃんと聞いておかないと。
医師が前検査で問題がなかったことや手術方法について説明した後、看護師から入院についてのことや同意書の記入の仕方を聞いて下さいとのこと。
待合室で待っていると看護師が来て入院時は何時までに入院の受付けに来てくださいといい、紙を渡された。
そして話を聞いている途中で営業の男性が話しかけてきて看護師はどこかに行ってしまった。
暫くしても戻ってこないため別の看護師に手術の話がまだなのですけれど?と言うと最初応対していた看護師が別の患者の対応をした後に私達の処にきた。

話はまだ終わっていないのに別の患者の対応をしていて?
1週間後には大事な手術をするというのに手術時間を伝えることを忘れていたことに?
同意書のどこの部分に記入して下さいとか、書類を持ってきて下さいとか言わなかったことに対しても?

私が手術時間も聞いていないのですけれど?と言ったら一瞬考えて13時30分位ですと看護師が答えた。
仕事が忙しくて回らないのかもしれないけれど、この人大丈夫かなと思えてきて、お昼御飯を食べた後病院に電話してみた。

総合受付で母の生年月日と用件を伝える。
整形外科でも再度用件を伝える。
手術する為に麻酔をかけないといけないから、何時に着ておいたらいいのか尋ねるとなぜ勘違いしたのかわからないけれど、すでに入院しているものと思われてしまった。
カルテを見ていないのかな?
姉も一度この病院に午前中に電話したら、受付で用件を言ったのに整形外科でも再度用件を言わなければいけなかったし、午前中は忙しいから予約の電話は午後からかけて下さいと言われ怒っていた。
仕事が忙しいと精神的にイライラしてきてミスをするけれど、小さいミスが積み重なって大きな事故に繋がる。
そうやって医療ミスとか起こるのかもしれない。
私の常識の中では手術時間は仕事の都合もあり凄く大事なことなのに、看護師にしてみればうっかりわすれるぐらいのものなのかと感じてしまった。
医師はしっかりしていて手術自体は心配していないけれど、この病院の電話応対の悪さとか患者対応とか問題点は小さいうちに解決しておいたほうがいいと思う。
でもそういった患者さんが持っている不満点に気付く内側の人間って少ないのよね。
多分その看護師さん患者さんの間では評判悪いかも・・・


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夏の夜のスプラッタ

2010年06月14日 | Weblog
午後8時過ぎ。
外から部屋の中に入ってくると締め切っていたせいか かなり蒸し暑い。
空気の入れ替えをしようとカーテンと窓を開けると、そこには異様な光景が広がっていた。
まるでサモトラケのニケみたい。
防鳥ネットに挟まっている片側だけの翼。
このまま何も見なかったことにして眠りにつこうか。
でも明日も多分暑いだろう。
放っておいたらハゲタカじゃないけれどカラスが来て余計に悲惨なことになるかもしれない。
最悪の事態を想定して、見たくはないけれど防鳥ネットを上に引き上げてみる。

良かった。
頭も付いているし、両方の翼もある。
防鳥ネットをハサミで切ると、子バトが動き始めた。
一晩しかいなかったから良かったものの、長期不在だったらどうなっていただろう。
本物のスプラッタになっていたか、あるいは鳩の干物が出来上がっていたことだろう。


昔飼っていたリスがタオルに絡まって動けなくなった時に噛まれて痛い思いをした事があるので、軍手を着用して防鳥ネットを切っていく。
防鳥ネットが足や首、翼に絡まり、鳩がじっとしていてくれないから時間がかかる。
どこを持ったら嘴の攻撃から手を守れるだろうかと考えていたが結局噛まれることはなかった。
防鳥ネットを全て外し終えてベランダの手すりに乗せてやると、屋根の上に飛んで行った。
あれだけ絡まっていた割には、骨が折れていたわけではなさそうだ。
翌朝
隣のアパートの屋根から聞こえてくる鳩の鳴き声。
見ると昨日の子バトなのだろうか。
私を見て朝のお見送りをしてくれたのかな・・・

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子宮頸がん 自己細胞採取用具(ホームスミアセット)

2010年06月09日 | くすり
男は見るな!

会社の健康診断で、オプション2000円で子宮頸がんの検査が自分で簡単に受けられるので試してみることに。
先生に診てもらったほうが確実なのかもしれないけれど、触診や見せるのは嫌だからね。
検査は健康診断の時にするのかと思っていたら、自宅で採取して後日140円切手を貼り郵送すればいいとのこと。
説明書にはリラックスしてと書いてある。
自己細胞採取用具は初めて見るけれど、見た目や挿入方法はまるでタンポンそのもの。
自己細胞採取用具を挿入してその中にあるスポンジに膣壁の細胞を付着させるだけ。
それを試験管の中の保存液につけて終了。
ちょっと怖かったけれど、痛くもないしとても簡単。
これでがん細胞があるかどうかわかるなんて便利でいいかも。

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自由への長い道(上・下)―ネルソン・マンデラ自伝②

2010年06月08日 | 
本を読み進めていくうちに疑問に思った点が三点ほど出てきたけれど、下巻を読んでいてその答えがなんとなく理解できた。
疑問1、なぜマンデラ氏が大統領になったのか?
疑問2、なぜその時期に黒人初の大統領が生まれたのか?
疑問3、なぜ27年もの長い間刑務所の中にいて我慢することができたのか?
    終身刑を言い渡され絶望的な気持ちにならなかったのか。

疑問1、なぜマンデラ氏が大統領になったのか?
マンデラ氏自身はANC(アフリカ民族会議)で指導者として活動していたけれど、最初から大統領になりたいとは思っていなかった。ANCの中には亡くなっているけれどルツーリ首長もいたし、他にもオリヴァー・タンボ氏、ウォルター・シスル氏など指導者としてふさわしい人物が同時代に存在している。それなのになぜマンデラ氏だったのか。
本を読んでいて感じるのは、他の三人に比べて白人の立場を理解することができて白人と融和することができ、なによりも真に指導者としてふさわしい思考と行動をすることができたからだろうと思ってしまう。

疑問2、なぜその時期に黒人初の大統領が生まれたのか?
白人支配に対する黒人の怒りが頂点に達した時。
反アパルトヘイト運動が世界の人々を動かし、政府に対して制裁をかけてきた。
マンデラ氏が獄中で過ごした27年間の間にマンデラ氏に自由を与えろという世論が最高潮に高まり、政府側もそれを容認出来なくなった。
マンデラ氏を含め南アフリカの人々や、世界の人達のエネルギーが結集されてアパルトヘイト撤廃へ向けて動き出し、天の理が南アフリカ初の黒人大統領を誕生させた。
 
疑問3、なぜ27年もの長い間刑務所の中にいて我慢することができたのか?
    終身刑を言い渡され絶望的な気持ちにならなかったのか?
 仲間と一緒にロベン島にいたからお互いに支えあうことができた。
 それに終身刑なのに刑務所の中で死ぬとは思わなかったし、マンデラ氏は楽観主義者で自由に太陽の下を歩けると信じていたと書いてある。
どんなに絶望的な状況に追いやられたとしても、信じる力が未来を拓くということを忘れてはいけない。
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自由への長い道(上・下)―ネルソン・マンデラ自伝①

2010年06月07日 | 
ネルソン・マンデラ氏は、政治囚として約27年間を刑務所で過ごし、南アフリカで黒人初の大統領になった男。
長い間 黒人は白人支配という社会の中で虐げられてきて、マンデラ氏自身もアパルトヘイト政策の為、日常生活の中でも、刑務所の中でも白人優位の中で不当な生活をしていかざるをえなかった。
しかしマンデラ氏は、白人優位社会の中で弁護士という職業をしながら、自由の戦士として国の体制と常に戦い続けた。

「彼を知り己を知れば百戦殆からず」
この自伝を読んで頭に浮かんできたのがこの言葉。
リヴォニア裁判でのマンデラ氏側と、政府側にいる検察官でトランスヴァール州の副法務長官パーシー・コトール博士とのやりとり。
他にもロベン島で政治囚に対する待遇改善を求めてハンストをしたり、仲間同士で交信するために紙にミルクで文字を書いて看守に内容がばれないようにしたり、刑務所側の裏をかいた行動をとっている。
マンデラ氏は刑務所側の動きを読んでいてとても頭がいい。逆にいうと国側の対応があまりにもお粗末すぎるというべきか。


「インビクタス~負けざる者たち」
映画の中ではマンデラ氏が大統領になり、試合をすればいつも負けてばかりいる南アフリカの弱小ラグビーチームを、ワールドカップで絶対に優勝すると信じて疑わなかった姿が描かれている。
ある意味スポーツを通して国民を国と一体化させ、政治と経済の発展に利用したともいえる大統領。
疑問に思ったのが、長い期間 獄中で白人から肉体労働を命じられ食べ物も満足に与えられない日々を過ごしていたにもかかわらず、マンデラ氏自身は白人に対する怒りや憎しみを抱いていないと感じたことだ。
前大統領の警護をしていた白人警備員をそのまま起用したときには、黒人の警備員全員が白人を起用することに対して反対したけれど、マディバ(マンデラ氏)は自分の意見を変えなかった。
それにしてもマンデラ氏は、黒人初の大統領で白人優位体制を望む人々からは邪魔な存在のはずで、早朝同じ時間に少数の警護の人を連れて散歩するなど暗殺の機会は多かったのに、よく白人から暗殺されなかったものだと不思議に思ってしまう。
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