まず、当館のシンボルである戦艦「大和」には、戦時中から海軍部内に、建造反対の人が大勢いたという歴史的背景を知っておいて欲しいと思います。実際、世界一の戦艦でありながらその本領を発揮しないまま沈んでしまったわけです。しかし、「大和」が、世界的にも驚嘆すべき最高の技術を結集した船だったのは事実で、その存在意義はやはり大きいものがあります。また、ここには海軍技術少佐だった福井静夫氏が生涯かけて収集された、日本の造艦技術に関する資料もたくさん展示されています。当館が、日本の科学技術を後世に伝えて、若い人たちに大きな希望を持ってもらうために、あるいは日本人一般に海洋国としての認識を深めてもらうためにお役に立つなら嬉しい限りです。
10分の1戦艦「大和」
この10分の1戦艦「大和」は「大和」建造にたずさわったあらゆる人々や乗務員とその家族の思い、そして、平和の尊さを後世に伝えていくシンボルとして建造したものです。
*日本がこの一年右傾化していったとしても、ストッパーの役割を果たすのは日本の国民しかいない…
「大和」建造は最高の機密だったため、大蔵省に要求する建艦予算さえ正確に示されず、艦名も「第一号艦」と仮称しました。また工員や技術者は誓約書を読み上げ、通し番号付の通門証とバッジを確認しないと「大和」には入れませんでした。
図面についても設計者にさえ最後まで全体像を明らかにされませんでした。
他にも船渠の上に屋根をつけたり、クレーンの上から網を吊したり、軍港内無許可撮影の取締りや、列車への憲兵添乗など、厳しい機密保持策が実施されました。
このコンパスは、第一号艦(戦艦「大和」)設計図面のトレース(複写)作業員(中央部担当)として従事していた松尾壽氏(当時16歳、造船部設計係通信艤装班所属)が保管されていたものです。
設計者にとってバイブルのような存在の工学便覧