水俣病闘争の奇跡「黒旗の下に」 池見哲司 著
73年の水俣病訴訟判決と補償協定によって、それまで息を潜めていた未認定患者が続々と申請に踏み切り始めた。71年には年間167人だった熊本県の申請者数は、73年には1939人と激増した。
認定審査が追いつかず、73年末の未処分者は2000人を突破した。せいぜい年に数十人だった時代の認定制度と審査機構では対応できなくなっていることは、誰の目にも明らかだった。しかも認定審査会は、委員の人選をめぐって患者側の反発を食い、四月から空白状態が続いていた。予想を超える事態を前に、行政はほとんど無為無策だった。
…
水俣病に接したことのない不慣れな医者が多かったことや、受診者の訴えを疑ってかかるような姿勢が目立ったことなどから、申請者の反感を買った。
「手足のしびれを調べるとかで、注射針であちこち突っつかれた。痛くないと答えたら、血が出るまで何度も突っつかれた」
「視力検査で『ぼやーっとして見えんとですが』」と答えると、いかにも疑わしそうに、馬鹿にした口調で『よくここまで来られましたね』と言われた」
「耳鼻科検診で、音が聞こえたらブザーを押す検査があった。何も聞こえないので押さないでいると、女の健診医に『私がボールペンを動かしたときに音が出るから』と誘導され、言われるままにおしてしまった」
…
宮本は熊本県北部の生まれ。59年12月に結婚して水俣に住みついた。チッソが有機水銀除去に効果のない排水処理装置をつくって、地元を欺いた時期だ。「もう大丈夫と信じ切って、魚を釣っては食うたっです。二次汚染ですたい」
サイクレーターと呼ばれたこの装置は、漁民による打ち壊しまで起きた漁業補償問題が一段落した59年12月19日に完成した。チッソは知事の寺本広作らを招いて盛大な完成式を催し、社長の吉岡喜一が処理水を飲んでみせた。
ずっとのちになって、有機水銀を含んだ問題のアセトアルデヒド製造工程の排水は当時、ここを通していなかったことがわかる。それに、もともとサイクレーターに水溶性の有機水銀を除去する能力はなかった。
72年2月、水俣病訴訟の口頭弁論で、原告側弁護人が証人のチッソ元技術部長をこう追及している。
「新潟水俣病の裁判で、昭和電工の安藤取締役が『チッソに問い合わせてみたら、サイクレーターの効果はない、作った目的は社会的紛争の解決手段であるとのことだったので、昭電では考えなかった』と証言してますよ」
水俣のような排水処理装置をなぜ新潟でも設けなかったのか、と法廷で原告側に追及された昭電側が、図らずもチッソのまやかしぶりを暴露してしまったのだ。
熊本地裁判決も「サイクレーターとは、循環式凝集沈殿方式によって、固形物を多量に含む排水を浄化する装置」であり、チッソが導入したのは「排水中の固形物の大部分を占めるアセチレン発生残渣を利用してマグネシアクリンカーを製造する」事業計画の一環だったことが伺える、と述べている。
それでも、見た目には汚濁が目立たなくなったし、これで水俣病は終わったという風説が広まったから、多くの市民が魚を食べた。宮本は63、4年頃から手足のしびれがひどくなった。申請したのは73年9月。5年半待たされて79年4月に処分保留になり、神経内科などの再診を求められていた。
―――――――――――――――――――――――――――――――――――――
安部総理のオリンピックでのプレゼンを聞いた時、これではっきりと首相は福島を置き去りにしたのだという思いが強くなった。
テレビで言われているように、オリンピックの為にヒト・モノ・カネが東京に集まる。
被災地の復興はさらに遅れ、仮設住宅から抜け出せなくなって、孤独死が増えてしまう。
私は、東京でのオリンピック開催が決定しても全然嬉しくなかった。
そのお金があるなら、被災地や原発収束に向けて使うべきだから。
復興よりも経済発展を目指す日本。
私は福島原発の汚染水が海に流れ出ることに対して、以前から不安感を抱いていた。
根拠はないけれど漠然と、水俣病の再来のようになりはしないだろうかと感じていた。
水俣病を認めなかったチッソ、国の対応の遅れ。
チッソが有機水銀除去の為に作った排水処理装置のサイクレーター。
実際は水溶性の有機水銀を除去する能力はなかった。
このサイクレーターが福島原発にある※第二セシウム吸着装置(サリー)と重なってしまう。
※)今は「多核種除去設備」(Advanced Liquid Processing System:ALPS)
ALPSは東芝が納入したもので、汚染水に含まれる63種類の放射性物質のうちトリチウムを除く62種類を基準値以下まで除去できるとして2012年秋の稼働を予定していたが、本格運転が遅れている。
この装置で除去することが出来なかったものは、海に放出されてしまう。
その行為がどういう結果をもたらすのか…
Lady Justiceはいかなる審判を言い渡すのだろうか。
人の命と引き換えに経済発展を目指す日本という国に。
それを選んだ日本国の首相に。
首相を選んだ日本国民に。
2013年9月4日 大阪の電車に乗っていて、ふと窓から外を見ると雨上がりにあるものを見ることが出来た。
もしかしたら私の人生の中で、最初で最後になるかもしれないダブルレインボー。
この虹を見た人は願いが叶うという。
私は人間の強さを信じたい。
どんな困難に陥ろうとも、そこから這い上がってくる人間の強さを。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/4d/3a/f58b74bb8710df7e23af6f7e79b59071.jpg)
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/15/d2/008e3f7ecb712055d1113add8013da7d.jpg)
わかりにくいけれど、外側にうっすらと虹が出ている。