「僕」ってだれ?
あまりにも面白かったせいか、半分以上読み進めてからふと気付いた。
「僕」ってだれ?
この小説の主人公の名前が書いてないのではと。
それともどこかに書いてあったのに気付かなかっただけなのかな。
もし書いてなかったとしたら作者の意図はどこにあるのだろう。
「ガネーシャ」と「釈迦」と「成功した有名人」は名前が書いてある。
「ガネーシャ」の言葉遣いや行動を強調させる為に、あえてどこにでもいる普通のサラリーマンを登場させて「僕」だけで通していったのか。
読み終わって思うのは、僕という名もないどこにでもいる存在の人物は、読んでいる読者自身のことなのかなと・・・
「変わりたい」「成功したい」と思っている人に向けて書かれたと思われる本なので、この本は作者から読者に向けたプレゼントみたいなものなのかなと・・・
そして最後の「話題の―――」には自分の名前を・・・
なんて深読みしすぎるかな。
本の中で「ガネーシャ」が「僕」から離れていくけれど、いつも一緒にいてアドバイスをしていたら自分で思考することをやめてしまいそう。
だから二人が別れるのは「僕」が成長して成功するためには必要なこと。
ドラえもんを批判するつもりはないけれど、いつも困ったときに傍にいて助けてくれる人がいるのはとても楽だけど、自分が成長するのが遅くなりそう。
だから「メンター」の存在って大事だけど、ある程度のことは自分で答えを出したいと思ってしまう。
「メンター」のいうとおりにしているだけではオリジナリティーに欠けるし、すべての思考が一致しているような人間は二人もいらない。
人の言う通りにしているだけではその人を超える存在にはなれないから。
あまりにも面白かったせいか、半分以上読み進めてからふと気付いた。
「僕」ってだれ?
この小説の主人公の名前が書いてないのではと。
それともどこかに書いてあったのに気付かなかっただけなのかな。
もし書いてなかったとしたら作者の意図はどこにあるのだろう。
「ガネーシャ」と「釈迦」と「成功した有名人」は名前が書いてある。
「ガネーシャ」の言葉遣いや行動を強調させる為に、あえてどこにでもいる普通のサラリーマンを登場させて「僕」だけで通していったのか。
読み終わって思うのは、僕という名もないどこにでもいる存在の人物は、読んでいる読者自身のことなのかなと・・・
「変わりたい」「成功したい」と思っている人に向けて書かれたと思われる本なので、この本は作者から読者に向けたプレゼントみたいなものなのかなと・・・
そして最後の「話題の―――」には自分の名前を・・・
なんて深読みしすぎるかな。
本の中で「ガネーシャ」が「僕」から離れていくけれど、いつも一緒にいてアドバイスをしていたら自分で思考することをやめてしまいそう。
だから二人が別れるのは「僕」が成長して成功するためには必要なこと。
ドラえもんを批判するつもりはないけれど、いつも困ったときに傍にいて助けてくれる人がいるのはとても楽だけど、自分が成長するのが遅くなりそう。
だから「メンター」の存在って大事だけど、ある程度のことは自分で答えを出したいと思ってしまう。
「メンター」のいうとおりにしているだけではオリジナリティーに欠けるし、すべての思考が一致しているような人間は二人もいらない。
人の言う通りにしているだけではその人を超える存在にはなれないから。