私は家では、以前にミシン屋さんからもらった木製の大きなお針箱を使っています。
和裁教室に行く時は、持ち運びに便利な小さなお針箱を持って行っていました。
小さな工具箱みたいなものですが、少し小さすぎて必要なものがすべて入りません。
和裁教室のお仲間、みなさんがそれぞれ自分の使い勝手のいいお針箱を持って来ますが、
そんな中で、T恵さんの持ってくるお針箱は(右側)結構大きくて、何でも入っています。
「あれ、ない~?」と誰かが言うと、このお針箱の中をごそごそと探して、いつも貸してくださいました。
私も着物の袖の丸みの型紙や、待ち針を何度も借りました。
そんなT恵さんの針箱を見ていたら私も欲しくなって、
この缶(左)を実家から略奪して来ました(笑)
こんなことを考えるのは私だけではなかったようで、
和裁のT先生も。
「私ね、T恵さんのような針箱がほしくてね。そしたらね。○○にちょうどいい大きさのお菓子(缶に入った)が売ってたから、即、買ったのよ。」
「先日息子がご近所のおうちでよばれてね。お世話になったご近所の家へのお礼が何か無いかなぁと思ってたら、ちょうどいいのがあるじゃないと思ってあげちゃったの。」
「後でよく考えてみたら、缶が欲しくて買ったお菓子よね。お菓子だけ食べて缶を返してくださいって言うわけにもいかないしね・・・・・・・」
(と、愛すべき先生なのです)
先週の水曜日、和裁教室でのお話です。
みんなでT恵さんの思い出話をしている時のお話です。
T恵さんは私の父と同じ年(86才)でした。
私が、あっちが悪い、こっちが変と、大して具合が悪いわけでもないのにオサボリをしていた3ヶ月の間に、
いつも元気だったT恵さんは検査入院から帰らぬ人になってしまいました。
「先生、お葬式に行ったらお家の人に、『針箱を形見にください』ってもらって来ちゃえば」
「いいね~、そしたら、ここでまた、T恵さんのお針箱を見て、いつでもT恵さんを偲ぶことが出来るし」
「そうなる運命のために、先生の買ったお菓子箱はご近所さんのところへ行ったのよ・・・」等々。
水曜日の和裁教室では泣いたり笑ったりしながら、みんなでT恵さんの思い出話をしました。
翌日がお葬式でした。
私はT恵さんとお別れがしたくて、また先生のアッシーも兼ねてお葬式に行くことになりました。
お葬式の後、娘さんが「和裁教室の会計を預かっているので後日どなたか取りに来てください」と。
つかさず先生の肩をつつき、(言え、言えと)促す。
「T恵さんが使っていたお針箱、よかったら形見にいただけないでしょうか」
快く了解していただいて、
私が土曜日、会計の書類なんかと一緒にいただいてきました。
来週の教室まで我が家でお預かりしています。
T恵さんのお針箱に勝手にカバーをつけました。
借りたままだった、名前入り待ち針1本。
これも、勝手に、私が形見にいただいておくことに。大事に使わなくちゃ。