は行の日記

ははは、ふふふ、ほっほっほと笑って暮らせたら人生幸せです!

延長線上の自分

2013-12-07 23:28:12 | 健康&節約生活

昨夜の晩は夜勤でした

今月は、鎌倉の旅、東京研修+仕入旅、山仲間の忘年会と泊まりで留守の日が多い

介護のお仕事の勤務表を作ってもらうのにも、ダメな日ばかりで、まっこと申し訳なくて・・・・

その上、諸々の用事やら、次の仕事との絡みやらで

この職場にお世話になるのも、どう頑張っても1月までが精一杯の状況のkikiです

年末年始は頑張らせていただきますから~と、職場に1月で退職をとお願いしました

出来上がっていた勤務表を見ると・・・・・ 

見事に  年末年始がお仕事で埋まっている(笑)

まっ、ダンナも息子達も、かあちゃんが居なくてもなんら困らない人達だし

一人っ子のダンナにはお正月に遊びに来る兄弟もないし

kikiの実家は近いがゆえに、行きたい時に行っているからと、毎年年始だからと特別な挨拶にもいかない

だから、遊びにも出られない混んでいる正月は、お仕事でもしていた方が良いくらいよ(笑)

鎌倉一人旅では、当初、手芸材料の仕入れの予定は無かったのだが

鎌倉スワニーに行った途端、きれいな色柄の布に、あれもこれもと目移りし

結構な布を買って来た(笑) ↑

江戸っ子のkiki(気分はですが)宵越しの金はもたねぇと、持って行ったお小遣いを使い果たし

今度の東京研修+布の仕入れ旅 の時の大事な仕入れ代金が無い (;一_一)

落語の文七元結のように、身売りしてお金を作ってくれる娘もいないし・・・・・・・そこで

その分を、この年末年始のお仕事で目いっぱい稼がせていただきます 

と、ここでやっと最初の日記の流れに戻った(笑)

夜勤のお仕事は、大変でしょ!とみんなに言われますが

一対一でお年寄りと向き合える、kikiにとっては楽しみの時間でもありました

仕事であり、楽しみであり、癒される時間でもありました

このお仕事を辞めてしまうのは大変さみしいことですが、次の仕事との兼務は到底出来ないだろうことが予想されます

母の介護で、それまでしていた介護の仕事を辞めたのはもう7年くらい前

資格も頑張ってとって、張り切ってやっていた仕事でもあり

今辞めてしまうのはもったいなくない?と何人もに留められたのですが

何かをすると目いっぱいになってしまう性格なので、仕事と介護の兼務は自分が潰れると

その時も決断したのでした

その母の介護体験からの縁で、逆に今度の仕事のお話が来た・・・・・自分でも不思議です

長男が小学校の時の担任の先生の言葉

将来の自分は、今の自分からかけ離れたところにあるのではなく、今の自分の延長線上にある

この言葉を聞いた時は、姑の看護の最中でもありましたし

子どもも小さく、自分のしたいことを諦めなくてはならない時期でした

介護保険制度などまだなく、実母もまだ認知症になっていなかった頃

ヘルパーという言葉を聞いたのもこのころが最初だったと

村の福祉課でヘルパーを募集しているという有線放送でした

入退院を繰り返す、姑の看病に病院に付き添っていて、自分はこういう仕事が向いているんじゃないかと思った

お医者さんや看護師さんとは違って、病気は治せないけれど

患者さんに向かい合って、寄り添って行く仕事が自分には合っているんじゃないか・・・

子どもの頃から、特別にしたい仕事などなかったkikiですが

安曇病院の病室で、姑の付添いをしながら、初めてしたい仕事が出来ました

先生の言葉を聞いて、今は現実には動けないけれど、将来を夢見て、今出来ることをしていようと思った

もう20年も前のことです

あれからの自分

姑を看取ると前後して始まった、母の認知症

大変だった時期が長い

母の変わり様に、怒ったり、泣いたり、笑ったり

なんで私が・・・・と思い詰めることも多かったけど

今になれば、そのどれもが今に繋がっていた気がする

成りたかった自分、、、、、、、、認知症地域支援推進員の研修に今月、行きます

そして、村の福祉課に勤めることに・・・・・・やっぱ繋がっていたんだよね

今のkikiの延長線上にはどんなkikiがいるのでしょうか、更に10年後、20年後の自分が楽しみです(笑)

 

・・・・・・・と  なんで話がこうなったのかな?

夜勤明けで頭がボケているせいか? 妙に感傷的ねぇ~

まっ、いいか(笑)