ワッフルな気分

朝の光につつまれて、
甘い香りのワッフルに苺をそえていただきます。

忘れな草

2011-05-17 22:48:17 | 日記

 

       庭に忘れな草がさきました。

                                                     花言葉は「私を忘れないで」「真実の友情」「誠の愛」

                                                      真実の愛」

私はこどもの頃、あまり物事を深く考えるタイプではなかったと思うしその日その日をただなんとなく過ごしていたように思います。
中学生になった頃、
家にいた90歳近くの祖母が私に「自分が死んでも誰も泣いてくれない」となげいました。
祖母はこどもがいなくて父と母が入り嫁入り婿に入ったので
血がつながっていないことで1人ぽっちに感じていたのかもしれないと今は思えるのですが、中学生13,4歳の私は「そんな事無いよ・・・」とか言っていたと思います。
不思議なもので当時は90歳になった祖母だけどいつかは亡くなるとは思っていてもすぐにとは思っていないし
願わくば100歳まで生きるのではとおもっていたのです。
だけど祖母が94歳の時老衰で亡くなり、涙がとまらず泣き続け、お葬式の事さえ覚えていないのです。
私が身内の死を初めて経験したのでした。

父が53歳のとき
入退院を繰り返していたのですが患っていた肝臓が悪化し病院んでなくなってしまいました。さっきまで息をしていたのにその瞬間あっという間にどこかにいってしまったような、感じで病室の上を見上げていました。
それも孫2人もでき、喜んでいてまだまだこれから生きて楽しんでもらえるかとの私の思いとは裏腹な早い死でした。

結婚し何の問題もなく長女、長男を出産し3人目を授りました。
何も問題もなく育ってくれると思っていたのですが、妊娠初期に出血し流産となってしまい、まさか自分にこんな出来事が起こるなんて
受け入れる事が当初はできませんでした。病院の若い先生はあまりにショックそうなので「流産は、バッターが三振をするくらいの確率で・・・」と説明してくれてたけどその確率に自分が遭遇していることが受け入れなれないのだからと思いつつそんなにこんなことが起こりうるわけと話を聞いていました・・・
私にとってあかちゃんの姿をみていない状態での別れであるけれど
命があったという事実はしっかりあり、そして亡くなってしまう事実も味わう経験でした。

この後に4人目となる子を授かり、順調に育って8か月近くなった頃
それは主人の証の中にあるように主人が長野に行くと言いだし嵐がきたように家中が、ごったがえしとなりました。
それでも私には主人の絶対に行くという決断が揺るがない事がわかっていたので
こどもと一緒に主人について行くことを私も決心していたのでした。
長野には知り合いは1家族だけいて、その奥さんもちょうど妊娠中という事もあり
産婦人科も紹介してもらい無事に出産することが出来ました。
ただ、私が分娩室で出産し一息ついて良かった~と安堵していると
急に看護婦さんがあわただしく動きだし急患で妊婦さんが隣の分娩室に入っていたようでした。
あまりに何かあったっと感じるような看護婦さんの動きがわかり心配だったので翌日病室にきた看護婦さんに「昨日の方はどうでしたか」と聞くと「もう産み月だったんだけど・・・」と私は無事に命ある子を産む事が出来たのに同じ日に命の鼓動がなくなってしまう、          死とはなんと悲しいものなのか・・・。

私は、生と死など深く考え生きてきてなかったのですが、人間には生まれる事と死があることを深く思うようになったのでした。
長野に来てからは主人が通う教会について行っていました。
主人は私になにも教会に行くことや信仰を持つことに対して強制などしませんでした。ただ長野に来て生活は大変になりましたが家族のために働き、そして楽しそうな生き方をしていただけでした。
長野の山の暮らしは、いままでの付き合いとか嫁の立場としてとか周りがどうなのか思うことより自分がどう思い考えるのかそんな静かな時間がありました。
何かを求めていたわけではないし聖書に興味があたわけでもないけれど
人と知り合える機会がそこにはあり教会に行きバイブルスタディーにも週1回自ら参加していました。
説明や解説をされても私は聞いてもわかならい事ばかりでしたが、聖書のことばにはふれていたのです。

今考えれば、こんな環境の変化がなければ
私が自分から聖書などに耳を傾けるなど考えられません。

静かな時間が流れるある日私は、私が自分でいろいろ人生思い描いていても
病気にもなるし、癌になって死ぬかもしれない、明日事故で亡くなってしまう事もある祖母の死や父、そして赤ちゃん・・・私の計画や思いは空しくはかないもの私の命だって明日どうなるかわからないと不安になり、心細くなり助けてほしいと聖書の神様に祈っていたのです。
 詩編139:13
それはあなたが私の内臓を造り、母の胎のうちで私を組み立てられたからです。
 詩編139:16
 あなたの目は胎児の私を見られ、あなたの書物にすべてが、書きしるされました。

私のためにつくられた日々が、しかも、その一日もないうちに。

人間を造られた神様が、私が母の胎にいる時から私をご存じだと書いてあり
私が生まれることも死さえもすべてご存じなのだとこの方にすべてをお任せして生きたいと思いました。
神様に命があたえられているんだ生かされえているという事をすっと信じる事ができすごく安心できました。
そして理解できなかったことが何が紐解けたように結びついいて主人が信じたときに私に行った「キリストが神様なんだと」いうことも
聞いたときは何それと思っていた事でしたが心には残っていたことが
ピリピ2:6~8
キリストは神の御姿である方なのに、神のあり方を捨てられないとは考えず、

 ご自分を無にして、仕える者の姿をとり、人間と同じようになられました。人としての性質をもって現れ、自分を卑しくし、

死にまで従い、実に十字架の死にまでも従われました。

私はこのピりピの2章からキリストが神様であると信じさせていただきました。
私の罪のためになんにそれもとりえのない私のために死んでくださったのだと

ヨハネ3:16
 神は、実に、そのひとり子をお与えになったほどに、世を愛された。それは御子を信じる者が、ひとりとして滅びることなく、永遠のいのちを持つためである。

死で終わりではなく永遠のいのちがあたえられているという約束と希望まで与えていただいたのです。
のほほんと生きてきた私だけれど人が生まれそしてかならず死を迎えるということを深く思い、静かな時間の中で死に打ち勝つことのできる方、キリストと出会うことができ主に生かされている命に平安を与えていただいたのでした。

これからも何が起こるかわかりません。
真実な方に目を向けながら、
キリストにある平安と希望を与えていただきながら歩んでいかせていだたこう。