新型コロナの渦中、迎えた8月6日。
例年であれば、この時期の広島には国内外から多くの団体が訪れ、街は独特の空気に包まれますが、今年は閑散としています。
前日の平和公園の様子。
バックパックを背負った人が数人と、仏教系の団体が見られた程度。
平和祈念式典は規模が縮小され、参列者の人数は例年の1割程度まで減らしているのだとか。
また、午前中は密を避けるために、公園への入場規制も行うとのことでした。
平和公園では、幾つかの慰霊碑に手を合わせ、散策しながら過去の戦争に思いを巡らせます。
75年前の同じ日、その当時なりに「当たり前の日常」があり、人々は暮らしていたのだな、と。
毎年、式典中も黙祷の時間もかまわず声を荒げる皆さんは、今年も来るのでしょうか。
せめて黙祷の時間くらいは、目を閉じて、降り注ぐ蝉時雨の中に亡くなった人々の声を聴いてほしいものです。
日付は変わり、原爆の日。
会社のパソコンで式典の中継を見て黙祷し、夕方に再び平和公園へ。
原爆ドーム周辺は、8月6日とは思えないほど閑散としていました。
当日に、こんなに人がいない光景を見たのは初めてです。
密を避けるために、とうろう流しも規模を縮小。
とうろうを流す人の姿は、数えるほどしか見えません。
その代わりに、ネットで「オンラインとうろう流し」というものをやっていました。
私も帰宅後、そのサイトからメッセージを流して祈りを捧げました。
警備員から「間隔をあけてください」と注意されながら、慰霊碑の参拝に並ぶ人々。
例年よりは列も短め。
私はいつものように、横から手を合わせました。
原爆投下後、75年間は草木も生えないと言われた広島。
そして今日、広島は原爆投下から75年を迎えました。
暑い日が続きますね。
体調を崩されてませんか。
こうした場で声を荒げる皆さんが
いらっしゃるんですか…。
「安らかに眠って下さい 過ちは
繰返しませぬから」そのためには、
「国権の発動たる戦争と武力による威嚇
又は武力の行使は国際紛争を解決する
手段としては、永久にこれを放棄する。」
これしかないと思います。
残念ながら、世の流れは少しずつ逆行して
いるようです。
僕の個人的な思いです。
失礼いたしました。
県民として、日本人として恥ずかしいです。
様々なところで、歪んだ正義感から、人の分断や対立を煽る動きがあるように思えます。
せめて私たちは、そういったものに流されずに生きたいですね。
渡哲也さんの追悼番組として放映された映画
「愛と死の記録」を視聴いたしました。
広島市の街並みや祈念式典の様子も撮影されていました。
50年以上も前の貴重な映像を目にすることができました。
8時15分に皆さんが、その場その場で黙祷を捧げるシーンが
印象的でした。
主演の吉永小百合さんは、停車した市電の中で黙祷されていました。
そんな映画があったんですね。
機会があれば観てみたいです。
広島市内では、8時15分になるとサイレンが鳴ります。
全ての広島県民がそうとは限りませんが、
足を止め、手を合わせている人もみかけます。
私は、小学生の頃からの平和学習の刷り込みもあるのかも知れませんが、
その時間になると、黙祷せずにはいられないという感覚で、
屋外にいる時は、立ち止まれる場所を探して、そこで黙祷します。
さすがに、いきなり立ち止まったら危ないので笑