「新個人主義のすすめ」に書いてあることは、ほぼわたしの生き方に似ている。
と言うことは、わたしは新個人主義者ということになるのか。
こういう生き方が正しいなんて思って今まで過ごしてきたわけではない。
一人っ子の息子がハワイへ行きたいと5年生のときに言ったときも、九州へ一人旅が
したいと6年生で言ったときも送り出したわたしたちを、学校もよその人々も
「なんて思い切ったことをするのか」とあきれられた。
しばしば美術展があるからと京都や他府県まで出かける息子を学校はあまりよく思っていなかっただろう。
届けはちゃんと出していたけれど。
親と本人の責任。一人っ子だからこそ、自分で計画し、実行したいと言う希望をかなえてやりたかった。
わたしたちは、できる限り、人に頼らないで毎日が過ごせたら一番いいと思っていたので。
これからの人生でどうしても人に頼らなければならないときも出てくることだろう。
今までだって多くの方に支えられてきた。
自分の力を超えたらそれも仕方がないけれど、できる間は何とか自分で、つるまず、人に干渉せず、
人に無駄や自分の好みを押し付けずに過ごしていけたらいいなと思っている。
と言うことは、わたしは新個人主義者ということになるのか。
こういう生き方が正しいなんて思って今まで過ごしてきたわけではない。
一人っ子の息子がハワイへ行きたいと5年生のときに言ったときも、九州へ一人旅が
したいと6年生で言ったときも送り出したわたしたちを、学校もよその人々も
「なんて思い切ったことをするのか」とあきれられた。
しばしば美術展があるからと京都や他府県まで出かける息子を学校はあまりよく思っていなかっただろう。
届けはちゃんと出していたけれど。
親と本人の責任。一人っ子だからこそ、自分で計画し、実行したいと言う希望をかなえてやりたかった。
わたしたちは、できる限り、人に頼らないで毎日が過ごせたら一番いいと思っていたので。
これからの人生でどうしても人に頼らなければならないときも出てくることだろう。
今までだって多くの方に支えられてきた。
自分の力を超えたらそれも仕方がないけれど、できる間は何とか自分で、つるまず、人に干渉せず、
人に無駄や自分の好みを押し付けずに過ごしていけたらいいなと思っている。