年賀欠礼を受けて

2019-12-05 14:01:50 | 日々思うこと

      我が家の庭の椿と山茶花

 

京都は今観光客が溢れていて、日常の暮らしにも

大きな影響が出ているようで

「そうだ、京都へ行こう」なんてJRの宣伝は

迷惑だったに違いない。

 

山茶花と言うと詩仙堂を思い出す。

ここは紅葉も美しいのできっとあの静寂な

お堂もお庭も人で溢れていることだろう。

 

::::::

次第に年賀欠礼の便りが届くようになった。

家族を亡くした悲しみは経験者としてよくわかる

けれど、友人当人が亡くなったという知らせは

とても辛い。

 

高校時代の同級生で卒業後会っていなかった

彼と仕事で関わることになったある日、「幼稚園

一緒だったよね」と言われた。

わたくしは家庭の事情で夏に故郷に帰ってきて

9月から地元の幼稚園に入った。

今ならとても歩きたくないほどの距離を最初の

日は親がついて行ったと思うけれど、次の日から

1人で通った。

友達はまだいなかった。

どんな生活をしたかあまり覚えていない。

卒園式は麻疹にかかって出なかったし、幼稚園

の友達はあまり記憶になかった。

「あら、そうだった?でもよく関西弁を話す

女の子を苛めなかったわね?」と聞いたら

「園長先生が今度はいってくる女の子を苛めたり

したら園長先生が承知しませんからね」と強く

言ったのだとのこと。知らなかった。

園長は父の知り合いだった。守られていたのだ。

園長先生にお礼が言いたいと思ったが、すでに

亡くなっていた。

その後、彼とは仕事の場所が変わって会うことも

なかったけれど年賀状だけはやり取りしていた。

その彼が亡くなっていたと奥様からの知らせ

だった。同級生が亡くなるのは寂しい。

 

昨日、弟から実家の町内の知り合いの女性が

亡くなったと聞いた。自死だったという。

「どうして?」と聞いたけれど分からないという。

どういう事情があったのか分からないけれど

ご家族の心中を思うと哀しみより辛さが襲う。

 

年末は辛い話が多い。

コメント (4)
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