恩師のご著書「真理を求める愚か者の独り言」より
第四章 「思い変え」こそ幸せの扉を開ける鍵
◆あらゆる不幸は五感に翻弄されることから生ずる◆
般若心経の中にある「眼耳鼻舌身意」は「げん・に・び・ぜつ・しん・い」と読み、
仏教では六根と呼ばれています。
このうち最初の五つが感覚器官です。
それぞれが視覚、聴覚、臭覚、味覚、触角という五感を知覚し、
これが外の環境からの刺激として神経を通じて行動に結びついていきます。
善い行いだけをしようと心に決めていても、
ついつい見たり聞いたりするうちに欲望が生じてまいりまして、
葛藤の末についにこれに負けてしまうといったことが起きるのも、
人間に与えられた肉体とそれに付随する五つの感覚器官のせいです。
それなら、いっそのことこんな面倒なものは取り除いてしまった方がいいのかというと、
それでは非常に困ります。
というのは、桜をめでるお顔を見ることもできなくなるでしょうし、
美しい音楽を楽しむこともできないでしょうし、花やお香の芳しい匂いも嗅げないでしょう。
また、おいしいものを味わうこともできないでしょう。
気持ちのいい水の冷たさを感じることもできないでしょう。
これでは人間の存在そのものがなくなるからです。
第一に、五感が働かないと、危険から身を守ることができません。
腐ったものを舌で見分け、異臭や不完全燃焼の臭いなどを鼻で嗅ぎ分け、
変な物音に耳を澄ませられるからこそ、身の安全を確保できるのです。
最高度に精巧なセンサーが私たちには与えられています。
生きていくためにはどうしても必要なものが五感です。
これは今日までの驚くべき科学の進歩によってできた精巧なロボットも及ぶことができません。
危険から身を守り、できるだけ無事に平安に行ける道を選択するように最初からつくられ、
それにしたがって行動できるようになっているのが人間の五官の働きです。
しかし、私たちには意識の働きがあって、様々な思いを抱き、その思いの中に生かされています。
その思い方しだいで五感に引きずり回されて苦しみをつくり出すのか、それとも智慧を
働かせて幸せな人生を送るかが決まってまいります。
般若心経は、わずか二百六十余文字です。
しかし、
この中にお釈迦様の説かれた真理のうち最も本質的なものが結晶化されているといわれています。
お釈迦様のみ教えを後世に遺した天台経、毘盧舎那経、阿含経、華厳経などのお経のいっさい、
七千余巻とされていますが、これらのうちから大事な要素を精選したものが、
この般若心経だといわれています。
ですから、いかに有難い功徳あるものなのかということが、日本に入ってきて今日まで
伝えられているか心経奉讃文という文章でも紹介されています。
その原文をここに引用してみます。
~ 感謝・合掌 ~