浄心庵・長尾弘先生「垂訓」

八正道と作善止悪

「御垂訓」

2021-05-31 00:21:29 | 浄心庵 長尾弘先生垂訓

       恩師の御著書「真理を求める愚か者の独り言」より

         第二章 必要なのは正しい生命観の確立

          ◆服毒自殺の遺体に起きた奇蹟◆


まだ結婚前の二十七歳の女性が服毒自殺をされました。
青酸カリなので劇毒です。
人間を死に至らしめる毒には神経を麻痺させて心臓を止める毒と、
細胞を腐らせてゆく腐敗させる毒があるそうです。
麻痺させるほうの毒はサソリなどが持つものです。
蛇は大きな獲物を鵜呑みにして、
消化しやすいように腐敗させるそうです。

この娘さんが飲んだ毒は細胞を腐らせるほうです。
身体の床面に接した部分はすぐに変色してきます。
仰向けなら背中のほうです。
二時間くらいで真っ黒になり、五、六時間もすると
全身が腫れあがって、
鼻や口など穴という穴から汁が出て来ます。
もう見られた姿ではありません。

鼻や口には綿を詰めるのですが、細胞が腐っていますから、
鼻も口も膨れあがり、穴が広がっていよいよお化けです。
なんとかしてほしいと頼まれて、そのお宅に赴き、到着した頃には、
すでに池の底の泥といった状態にまで身体が変色していました。

お顔は紫色になり、身体は腫れあがり、
胸をかきむしって断末魔の苦しみのまま目をむいて
死んでおられました。
石のごとく硬直していて指一本動きません。
今から二十年も前のことです。

あまり気の毒な姿に胸が痛みまして、家族のご諒解を得てから、
その方に向かって話しさせていただきました。
「どんな事情があったのか私は知りません。
しかし、あなたはとんでもないことをしてくれました。
自らの命を自らが絶つとは神の御心に最も背いた行為です。
神は幸せに生きよ、健やかに生きよとおおせられます。
あなたはその神のご意志に背いてなんということをしましたか。
あなたは間違ったことをしたのです。
その過ちにまず気付きなさい。

あなたは毒を飲むことで死んでしまったのです。
自分の死をはっきりと自覚しなさい。
神様の御心に背いて救われることは誰にもできません。
自然に逆らっても同じことです。
間違いを素直に認めて、神様に心からお詫びを言いなさい。
私も共にお詫びします」

泣きながら赦しを乞い、「どうかこの方の罪過ちをお赦しください。
私たちの罪をお赦しください」とお祈りさせていただき、
目を開きますと、
真っ黒になって腐りかけたその方の顔が
きれいになっているのです。
白くなり、ピンク色さえさしてきています。
目はむいていましたが、手で瞼に触れるとさっと
閉じてくれました。

一瞬にしてお化粧をしたような顔に変わっておられました。
家族の方も親戚の方も驚いておられました。
硬直していた手が柔らかくなっていて、
ぱらっとほどけた指を組ませると今度は離れてしまいます。
縛ってはかわいそうなので、
座布団を二つ折って肘につっかい棒をして合掌してもらいました。
よかった、救われてくれたと感じまして、布をお顔にかけたのです。
有り難うございました。
この方の罪を赦していただきました、という気持ちでした。

すると、白い布が目のあたりから濡れてきまして、
見る見るうちにぐしょぐしょになりました。
「涙で濡れてしまいましたから、新しい布と替えてあげてください」
と遺族の方にお願いしました。
もはや鼻や口から汁が出ることはありませんでした。
この体験をさせていただくことにより、
神様はすべてを赦してくださることがわかりました。
そこでよく考えました。
神がもしお怒りになってお赦しにならないのなら、
いくら私のような者が泣き叫んで赦しを乞うても
こういう現象は起きないはずです。
本人が心の間違いを反省してこれを神様にお詫びしたならば、
必ずその苦しみから救われます。
ただ、赦さないのは、自分自身の内なる良心でした。

その過ちに目覚めるまでの長い時間を苦しみの中で過ごすのです。
神様はご自分に最も背いた行為をした者さえも、救われなさい、
自ら目覚めて救われなさいと、慈愛を与えてくださっていたのです。
「自殺者は永遠の地獄へ落ちる」と説く宗教がありますが、
自殺者でも悔い改めたら救われるのです。
もし神仏の心から一メートル離れたら、
私たちは自分自身を一メートルの苦しみとして
自らを裁くようになっているのです。
しかし、それも神の御心という大宇宙大自然の
正しい軌道に戻るための
調整にすぎなかったのです。


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「御垂訓」

2021-05-30 00:12:07 | 浄心庵 長尾弘先生垂訓
  
 恩師の御著書「真理を求める愚か者の独り言」より

         第二章 必要なのは正しい生命観の確立

         ◆棺桶を破って飛び出してきた遺体◆


人生でいちばん大切なことは何かと言いますと、どこから生まれてきて、
この世で何をして、死を迎えてどこへ行くかということを知ることです。
これを知らないと迷います。
まず、私たちは両親のご縁により肉体をいただいて、
素晴らしい光の世界からこの地上に魂の修行に来ています。

そして、その修業が終われば、またあの光輝く魂のふるさとに帰ります。
帰ることができないと、成仏できません。
この世を去る時にこの世に思いを残してはなりません。
すべてのものから心を離すことです。
自分の生まれる前に住んでいた魂のふるさとに帰らなくてはなりません。
死というものを越えて、光明燦然と輝くふるさとに帰り着くのです。

以前、こんな珍しい話を聞きました。
若い結婚前の男性が、明日結婚式という前日に
交通事故で亡くなったのです。
即死でした。
即死の場合は、自分が死んだという自覚が持てないのです。
死を自覚できず結婚するという執念がどういう事態を
引き起こしたかと言いますと、
すでに祭壇を組んで納棺をし、
そこに安置してあるというのに、夜中になって、
バリバリバリという音とともに棺桶を破って遺体が飛び出してきました。
みんなが寄ってたかって取り押さえました。

それで、遺体を調べてみると、やはり息はしていません。
しかし、暴れ出したらかなわないので、ロープでグルグル巻きに縛って、
それから新しい棺桶を買いに行って、その中にまた遺体を入れました。
これは本当にあったことです。

死んだ者が動くということ自体、科学では考えられないことです。
そういうことは、身内としては人に知られたい話しではありません。
しかし、このような話はちょいちょいあるそうです。
私の知っている限りでも、五、六人の方からその類の話を聞きました。
人間の肉体は科学や医学では解明のできない神秘的な存在です。

現代医学の誤りは、身体がわるければ切ればよいとか、
薬を投薬すればよいと考えてきた点です。
肉体を物質と見なしてきたからです。
絶対に助からないとわかっている脳死の人を生命維持装置をつけて
何カ月も費用をかけて生かします。
実際には死んでいてもとにかく生きさせたらいいということです。
これは現代医学の大きな誤りです。


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「御垂訓」

2021-05-29 00:29:53 | 浄心庵 長尾弘先生垂訓
 
   恩師の御著書「真理を求める愚か者の独り言」より

       第二章 必要なのは正しい生命観の確立

             ◆死ぬとは何か◆


先の続き・・・

この世の肉体生活において色の世界は空の世界と重なり合っていて、
私たちの目に見えるのは、
このうち物質化している色(現象)の部分だけなのです。
しかし、生まれて老いて、最後は必ず死ぬという、
時間の経過とともに移ろい消滅していく肉体が
今目の前に現れている次元を超えた次元に、

永遠に「ある」世界―――言葉を換えれば、
形を現わしたり消したり自由自在に創造できる
「おおもと(根本因)」の世界―――がちゃんとあるのです。
もちろん、神は永遠の存在としてそこにおいでになります。
死ぬと魂は肉体を脱してこの実在界に帰っていきます。
これが本当の死なのです。

肉体に未練を持ったり、この世に思いを残すと、
魂は肉体からスムーズに離れなくなり、死にきれません。
迷える霊魂としてさまよってしまうということを意味します。
これをわかりやすいたとえで説明すると、

お風呂の湯船いっぱいにお湯をはったとします。
そこへスポンジボールを漬けたとしましょう。
スポンジボールの中へ水が浸透してゆきます。
お風呂のお湯が実在界であって、スポンジボールが現象界です。
スポンジの中にお湯が浸透しているように、
この世の現象界の中にあの世の実在界が浸透しているのです。
現象界と実在界が重なって一体となっています。

スポンジボールをお湯の中に漬けて、
「これはスポンジだけですか」と尋ねれば、
多くの人は「いや、中に水が入っています」と言います。
「これは水がけですか」と尋ねると、
「いや、スポンジでしょう」と言います。
つまり、不二一体、見えないものと見えるもの、
実在界と現象界が一つとなって現れる世界が、
この世であるといえます。

このスポンジボールからうまく思いを離して、スポンジの外に出て、
実在界へ帰った人が成仏された方です。
そして、湯垢のようにスポンジボールに付着して
「ここは住み慣れたところだ、
このスポンジが好きだ」と言って、

スポンジから離れない人が迷える霊です。
実在界こそは私たちが帰るべきふるさとです。
そして、私たちは肉体がなくなっても、霊として存続します。
数々の体験を通して、誰よりもよく知っていると自負しています。


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「御垂訓」

2021-05-28 00:09:12 | 浄心庵 長尾弘先生垂訓
  
  恩師の御著書「真理を求める愚か者の独り言」より

         第二章 必要なのは正しい生命観の確立

               ◆死ぬとは何か◆


先の続き・・・

そのためにも生命の本質を知らなくてはなりません。
心臓も肺も胃も私たちの意志で動かしているわけではありません。
私たちは生命の祖でありエネルギーの元である神から
分け与えられた命によって生かされている存在です。
ですから、人は神の分け御霊と呼ばれます。

自分の命がどこから来てどこへ帰るか。
これがわかれば、心穏やかに死を迎えられます。
周囲の人々には迷惑や心配をかけなくてすみます。
「この身体は私のもので、私が生きているのだ」と
思われがちですが、それはとんでもない見当違いです。

その証拠に、「私は年をとりたくない」と言っても、
また「死ぬのは嫌だ」と言っても、
時間が経てば必ず年をとり、死ななくてはなりません、
これを自分ではどうすることもできません。

自分がいただいている命がどこから来ているのかが理解でき、
この世から離れる時は諸々の執着より思いを離し、
感謝できてはじめて、帰るべきところに帰ることができます。
「母なる大地に肉体をお返しし、
魂は天の父なる神のみもとに帰る」ということです。

あの世の存在については科学的な証明が
ないではないかという方もいらっしゃいます。
しかし、臨死体験の研究やサナトロジー
(死の科学)の開拓者として世界的に有名な
「死ぬ瞬間」の著者エリザベス・キューブラロス
(一九二六年生まれのスイスの精神科医)
の努力などにより、近年では一般にもかなり
浸透しつつあります。

一杯のお茶を「頂戴します」と言って飲べば、
この世からそのお茶は消えてなくなるように、
現在ある建物でも何百年か何千年も経てば
消えてなくなってしまいます。
同様に私たちの肉体も現にここにあるように思っていても、
定められた時間が過ぎた時には、
この肉体は消滅してしまいます。

死が訪れるとたちまちにして肉体は腐ってゆき、
一瞬たりともとどまることなく腐乱しいきます。
野に放っておけば、やがて腐り果てるか、
動物や鳥に食べられて、やがて消えてしまいます。
今在るように見えるのは、
ただ一時的に現れているにすぎません。

この世に形あるものとして生じた限りは、
必ず消えてゆかなければならない宿命のもとにあります。
頂いたお饅頭が、トイレに行くとそのままの形で
出て来るなどということはありません。

この世のいっさいはまったく実体がないことがわかります。
形となって現れた世界、般若心経で説かれている
「色即是空 空即是色」の「色」の
世界に当たる目に見える現象世界
(以後、現象界と呼ぶことにします)を「この世」と
呼んでいます。

一方で、「空」と表わされている世界、
「あの世」という世界が、実はちゃんとあるのです。
そして、こちらこそが実体のある世界
(以後、実在界と呼ぶことににします)です。


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「御垂訓」

2021-05-27 00:59:17 | 浄心庵 長尾弘先生垂訓

     恩師の御著書「真理を求める愚か者の独り言」より

         第二章 必要なのは正しい生命観の確立

              ◆死ぬとは何か◆


死を心安らかに迎えた方は、死後身体が硬直することはありません。
体も温かく、お顔も化粧をしたように美しくなっていらっしゃいます。
信じられないかもしれませんが、
これは実際に見聞した数多くの事例から言えることであり、
立ち合ったお医者さんも驚かれる事実にほかなりません。
日々の生活の中で常に、
「有難いなあ、私は幸せだなあ、何と幸せ者なんだろう」と
いう思いに満たされて生活をし、
人生を過ごしますと、死んだ時に硬くなりません。

いくら表面上はよい格好をして、着飾ったり、
人様に対しも偉そうに振る舞ったりしていても、
誤った思いや行いによって心の中に苦しみをためてしまっていますと、
あの世に帰る時に必ずその決算が出て来ます。
心の中に苦しみをためている方の場合は、

あの世に帰る日が近づくにしたがって肉体的にも
精神的にも非常な苦痛が現れてきます。
そして、いよいよ息が切れてまいりますと、肉体は硬直を始めます。
見ている間に冷たくなります。
悲しい雰囲気とともに硬くなり、
石さながらの硬さにまでなってしまうものです。
顔も、見るのも恐ろしい嫌な顔となります。

成仏なさった方のお顔が惚れ惚れと見とれるような
美しいお顔になるのとは対照的です。
本当は、自覚するとしないとに拘わらず、
世界中の人々が心の底から共通に望んでいらっしゃるのは、
いかに楽に死ねるかということではないでしょうか。

いかにこの世で幸せで健やかに生きることができるかということこそ
人類共通の関心事であるのとまったく同様に、
ごく自然なことであると思います。
いかに幸せに健やかに生きるか、そしていかに楽に死ぬか、
この二つは両方揃って互いに相補い合い、
完璧に調和した一生となります。

歴史的な人物によくありますが、
いくらこの世的に栄耀栄華を極めても、死に様が哀れなら、
その一生を羨む気持ちにはなれません。
昨今では生命維持装置等による延命措置が可能となり、
脳死や臓器移植の問題も出て来ました。

とすれば、今度は本人や周りの人々の選択の幅は広がります。
それにともない、生命倫理とか生命科学などの
領域も研究されてきています。
これまでは現代医学は肉体をただ物質として学んできました。
医療現場では、手術の成功を喜び乾杯する一方で、

患者本人は死んでしまっていたと
いうケースまであると聞きます。
しかし、いかに生命を維持させるかという技術上の問題もさることながら、
患者本人がいかに心安らかに死を迎えるかということこそ、
最重要課題のはずです。


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「御垂訓」

2021-05-26 02:16:22 | 浄心庵 長尾弘先生垂訓

恩師の御著書「真理を求める愚か者の独り言」より

          第二章 必要なのは正しい生命観の確立

            ◆絶対を忘れているむなしさ◆


先の続き・・・

十歳の時に、とてもよい方であった叔父が亡くなって、
その死に顔があまりにも醜い恐ろしい顔になっていたので、
たいへんショックを受けました。
死は苦しく、遺体は汚れたもの。
これが今までの人類の歴史を通じて当たり前とされてきたことです。
けれども、この常識を完全に超越しない限りは、
新しい生き方と理想的な社会は見えてきません。
死への恐怖とエゴイズムはつながっています。

これを解決しないと、個人にも人類にも本当の救いと幸せはありません。
母が九十四歳で亡くなった時、
その死に顔は想像もつかない美しさと言いましょうか、
まるで二十代の女性のようでした。
シワやシミは全部なくなり、若い頃と同じ肌に戻っておりました。
それどころか、まるで赤ちゃんのような肌になっておりました。
人がどういう死に方をするかは、
生きている間の日々の心の状態によるものであって、
人それぞれに違います。

そもそも、私たちは日頃から死ぬということをあまり深く考えていません。
死を自覚して日々の生活を送っているとは言えません。
いつかは必ず直面しなくてはいけない死であるのに、
まるで他人事みたいに思って生きていることが多いのです。
そして、ある日突然のように、
それまでは他人事と思っていた死が自分の身に訪れた時、
それを安らかな心で迎え入れ、

自らの生涯と出会った人々や周囲の人々に感謝して、
あの世に逝けるという人は稀であると思います。
「会者定離ありとは常に聞きおれど昨日今日とは
思わざりけり」という古言があります。
人生の無常は生きている者同士の突然の別れから、
死に別れまで、いついかなる時でも
予告なしに襲ってくるものです。

目先のことばかりにとらわれ、
日々の生活に齷齪としているうちにいたずらに歳月を費やし、
気付いてみたらもうすっかり年を取っていたという人が
ほとんどではないでしょうか。
必ず死ぬとわかっていても、
なかなか死を迎えるだけの心の準備ができないのです。

なぜでしょうか。
それはもちろん十分に生命を燃焼し尽くさなかったということもあります。
もう十分にやりたいことをやり、使命も果たした。
満足と感謝に満たされ、
いつあの世に召されても不足はないと言いきることができたなら、
抵抗なく死を迎えられそうです。

けれども、もっと大切なことがあります。
死んだらどうなるかかがわからないということが、
人間が死に対してあまりにも不必要な
恐怖や苦しみを持ってしまう原因になっているということです。
人間とは単なる肉体的存在ではなくて、
肉体がなくなっても心は続き、あの世に霊として
生き続けるのだとわかれば、死への態度も一変してしまうことでしょう。
それがわかると生き方も変わる筈です。

「父母にかりに呼ばれて客に来て、
またたちかえるもとのふるさと」このうたは、
この世は仮の宿ということを教えています。
どんな世界から生まれ、何のためにここに来ているのか、
魂の目的というものがわからない限り、
死に対しても無知であり続けるでしょう。
無知であればあるほど、それは突然襲って来る
恐ろしいものであるかのように受け取られます。
その結果、生きている間は心の安らぎがなく、
どこかで疑問や不安を持ち続け、これを
解消しきれずにいることになります。
これが残念ながら、
現在までのこの地球社会の実態にほかなりません。


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「御垂訓」

2021-05-25 00:50:52 | 浄心庵 長尾弘先生垂訓

 恩師の御著書「真理を求める愚か者の独り言」より

            第一章 或る愚か者の生涯

           ◆絶対を忘れているむなしさ◆

      
あるとき、
講演会の折に青年が次のような質問をしてこられました。
「先生はお話の中で絶対という言葉を何回が使われました。
この世の中で絶対といえる絶対はあるんですか」
「あなたは哲学を学びましたね」
「はい、哲学科を出ました」
「それでは私からあなたに質問させてください」
「あなたは太陽が西から昇るの見たことがありますか」
「いいえ」
「絶対に太陽は東の方角から出て来ます。
そうでなかったらこの地球はつぶれてしまいます」
青年は、へえなるほどそうですねとおしゃっています。
「では、もう一つ質問させていただきます。
あなたはいつまでも生きることができますか」
「いや、それは無理です」
「絶対にあなたは死にます」

そうしますと、ああもうようわかりました、とおっしゃいます。
そこで、もう一つ聞かせてくださいと言いますと、
いやあもうやめてください、
とおっしゃいます。
「あなたは今お若いです。
しかし、その若さをいつまでも保てますか」
「いや、もうようよくわかりました。もういわないでください」
「絶対に年をとります。
その絶対の中に私達は生きさせてもろうてるんです。
これが自然の定めです。法則です」
そうしますと、
「先生、ぼくはなんで哲学を勉強したんですか」と言われます。
「そんなことは私は知りません」と答えました。
「あなたは理屈屋さんだからでしょう」大笑いになりました。
真理というのは、その中に私達が生かされています。

最も考えるべき事柄を考えるのが哲学だとしたら、
この青年が哲学を勉強した理由が
自分自身でわからなくなったというのも当然でしょう。
死ぬことは生きることと同じくらい大事なことです。
生きていればいずれは死ぬのは当たり前です。
これは絶対に避けられないことです。

医療技術がいかに発達しようが、
この絶対ということはなくなりません。
絶対に死ぬものであるならば、
いかにして楽に死ぬかということは、
私たち一人一人にとっては大きな問題のはずです。
人様に迷惑もかけず、楽に死ねたらいいとは
誰もが口にする言葉です。

しかし、自分の平素の心掛けと努力次第で、
望みどおりに楽に死ねるということを
理解していらっしゃる方は甚だ少ないと思います。
死は恐ろしくて醜いもので、
望み通りの死に方はできないものと信じられ、
そらが常識のようになっております。
死を忌み嫌っていたあの哲学科出身の
青年も例外ではありません。


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「御垂訓」

2021-05-24 00:31:22 | 浄心庵 長尾弘先生垂訓
 
恩師の御著書「真理を求める愚か者の独り言」より

           第一章 或る愚か者の生涯

       ◆高橋信次先生との邂逅と天職を見出すまで◆


先の続き・・・

昭和四十五年に癒しが始まった後、四十九年に高橋先生にお会いし、
太陽のような与えっ放しの「無償の愛」を学びました。
又、「今世、天下った光の天使は宗教でめしを喰っているような者は
一人もありません。
神はそれだけのものは与え給います」という教えを守っています。
昭和五十三年四月から鍼灸専門学校に二年間通い、
昭和五十五年に国家試験に合格して
資格を取得し、職業的な治療家の道に進むことになっていきます。
昭和五十七年には織物業を止めることになりました。

癒しを始めた当初は一日に五人から十人くらいの方が
治療にいらっしゃいました。
癌であと三カ月の命と宣告された方が御縁があって来ているうちに、
完全に病巣が消えて
しまって、もう帰ってよろしいと医者に言われた方とか、
女性の方の子宮筋腫がすぐに消えたりするなどのケースは
枚挙にいとまがありません。

こういう不思議な力がいったいどこから来るものかもわからず、
いろいろな宗教の門を叩きました。
求道者のようにあちこちに足を運び、質問したりしましたが、
納得することも、
これはといった師にめぐり逢うこともありませんでした。
そして、とうとう高橋信次先生との邂逅とも言うべき運命的な
出会いの御縁をいただいたのでした。

そこから学んだ無償の愛というものを実践させていただきました。
初期の頃には大阪近辺でお話させていただいていたのですが、
昭和六十二年からは遠い招請を受けまして、
枯野に火が燃え広がるような具合で全国各地へと活動範囲は広がりました。
海外での奉仕活動もやはりこの頃から始まりました。
そもそもの動機は、故高橋信次先生の「正法は必ず全世界の人々に
伝わるべきものである」
と言われたその遺志を受け継いで、法の灯を絶やすことなく
海外にもお伝えしたいという願いからです。
しかし、それも仕事を持っていたからこそ、
人様に対して無償の奉仕ができたのだと思っています。
最初は無償で感謝箱だけ置いてありました。

汗水流して一生懸命に癒させてもらっていますと、
「ハイ、お賽銭です」と十円入れていかれる方もあれば、
ティシュにティシュをくるんだものを
御礼の代わりに入れられる方もおられたりと、
実に様々な方がお見えになります。
たいへん心の勉強になりました。
ときには、お金に困った方はそこから持っていってください、
と感謝箱からお金を持って
いってもらうこともありました。

その後、数年前からは治療券を受け取っていただくことにしました。
隣の部屋で若いマッサージの先生たちに治療してもらってから、
私が祈ります。
すると、十年以上ものあいだ無料で治してもらうのを
当然のように考えて見えていた方が、
ある日突然にみなさんが治療券を受け取っているのに気付かれて、
「えっ、ここはタダじゃなかったんですか」と驚いて聞かれたのです。
これには私の方がびっくりさせられました。
十年間も無料で治療を受けられていたそうです。

感謝箱を設置したのも、癒しは商売として
始めたわけではありませんから
神様への感謝を忘れないでいただきたい、という願いからでした。
もちろん、人間には各人に自由意志が与えられていますから、
何事もご本人が判断して行動されるべきものです。
ただ、人間誰しもがそれぞれ内なる良心を持っていますから、
やがて神我に目覚められるであろうということを信頼し、
また一人でも多くの方に神我に目覚めていただきたいと
祈る毎日です。


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「御垂訓」

2021-05-23 00:46:19 | 浄心庵 長尾弘先生垂訓

恩師の御著書「真理を求める愚か者の独り言」より

             第一章 或る愚か者の生涯

        ◆高橋信次先生との邂逅と天職を見出すまで◆


昭和四十五年に不思議な出来事が起こりました。
近所におばあちゃんがいまして、
レントゲンをとると膝の骨がグチャグチャになってしまっていたのですが、
私が手を当てると完全に治ってしまったのです。

レントゲンを撮るともとどおりになっているのがわかりました。
それがきっかけとなって、治してもらったという情報が口コミで広がり、
治療をしてもらいたいという人々が集まってくるようになりました。
そして、不思議な運命の糸に操られるかのように、人生が変わっていきました。

しかし、これも高橋信次先生という方を知ることなしには
考えられないことだったのではないかと思います。
人生を変えることになったのは、一つは「足ることを知りなさい」という教えです。
それからもう一つは「無償の愛」ということです。

昭和四十九年十一月に高橋信次先生の講演をはじめて聴きました。
しかし、直接お会いして先生から指導を受けることはついにありませんでした。
ただ、演壇に立ってお話されるのを群衆の一人として拝聴したのみでした。
高橋先生の伝えられる正法にふれて、
まず「足ることを知る」ということの大切さを改めて知りました。

講演の中で聴いたこの言葉は、自分に向かって言われているような気がしました。
ちょうど商売を少しでも大きくしようとか、もっと儲けようとかして、この世の現実と
四つに取り組んでいる頃でした。
事業を拡大しようとすれば、借り入れが増えます。
すると銀行はいい顔をしない。
手形を割ってもらおうと思って銀行に行くと、考えておきますと言われ、
こちらはどうしても期限内に手形を落とせないと困るから頭を下げて頼みこみます。
もう朝から晩まで寝ていても頭の中ではお金の算段ばかりで、
心の休まる暇はありませんでした。

商売というのは下手だから倒れるのであって、
倒れないためにはあらゆる頭を使わなくてはなりません。
お金を動かすのはたいへんだとつくづく思います。
その当時は自分の工場で稼働している織機は三台でして、ほかに三十台分は外注に出して、
毛布の製造を下請けしてもらっていました。

ふつうなら毛布を造り、製品として袋に詰めて問屋に入れなくてはなりません。
しかし、運よく毛布丹前を主として生産していました。
外注に出した製品は起毛屋が集めてくれ、
それをミシン屋が仕立ててから問屋に入れるので、私の手はかかりません。
いくら多く生産しても私は何もしなくていいのです。
私がすることと言えば、支払い、糸の手配、糸の仕入れ、
そして問屋から集金するということのみです。

ところで、足ることを知りなさいという言葉に出会ってから、
外注の三十台分の製造を止めました。
すると、お金が余ってきてしようがなくなりました。
取引の規模を今までの十分の一にまで縮小したのですから、
十倍の在庫と原材料があり、仕入れの必要もなくなりました。
その結果、銀行に借りなくてすむようになり、資金もたっぷりになり、
銀行からは上得意と見られるようになっていました。

足ることを知ればこんなに楽だったかということがわかりました。
それから、昭和五十一年一月に高橋信次先生がお亡くなりになるまでの
一年八カ月というものは、月に一度ですが、
欠かさず講演を拝聴しにまいりました。


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「御垂訓」

2021-05-22 00:33:26 | 浄心庵 長尾弘先生垂訓

   恩師の御著書「真理を求める愚か者の独り言」より

             第一章 或る愚か者の生涯

           ◆葡萄一粒で故郷を捨てた少年時代◆


先の続き・・・

さて、大和川と石川の支流にはさまれて広々とした平地がありました。
大和川と平行した堤防の内側に大きくUの字形をした
農道が小さな堤防のようにして走っています。
大和川から小さな堤防の農道までの間はよその葡萄畑でした。
農道を隔てて反対側に私の家の田圃がありました。
堤防を降りて、自分の家の稲を見て回ってから
再び堤防へ上がってほっとした時、

反対側の畑の柵が目に入りました。
堤防の上に上がった私は、その畑の柵に下がった
たわわに実を実らせている葡萄を見て、
思わずつまんでみたくなりました。
そこで、そこに降りてこっそり一粒だけ失敬いたしました。

まだ朝早くて朝露が皮の表面に光る葡萄の実は、
冷えていることもあって、
大阪弁で言えば、「ゴッツイ」おいしかったのです。
私はその実を房からそっとちぎり、口に入れました。
口の中で甘酸っぱい汁が広がっていきます。

禁断の木の実を人知れず食べているかのようなうしろめたい気分と、
十六歳の少年の胸をときめかすに十分な、
今まさに独りで冒険しているのだというドキドキするスリル感
とを味わう、悪の愉しみの瞬間を体験しておりました。

ところが、二粒目をちぎった次の瞬間です。
何か人の気配がするなと思って、上の方を見上げると、
堤防の上からどこかのおじさんが
見降ろし歩き去っていきました。
私はもう恥ずかしくて恥ずかしくて、
自転車に飛び乗って一目散に逃げました。

その人と反対の方向に逃げたのですが、
四角い田を回っていくうちに、
ちょうど向こうから来る人とさっき葡萄をとった現場を
目撃された人と立ち話をしているのが見えて冷や汗をかきました。
あの子がさっきの葡萄泥棒だという目で私を見て
話しているのが感じられました。



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「御垂訓」

2021-05-21 00:23:01 | 浄心庵 長尾弘先生垂訓

恩師の御著書「真理を求める愚か者の独り言」より

            第一章 或る愚か者の生涯

         ◆葡萄一粒で故郷を捨てた少年時代◆


私はずいぶん変わった子だったのではないかと思います。
それは、後になって思ったことです。
「忘却は神の愛である」ということが言えると、つくづく感じます。
何から何まで覚えていたら苦しいことが多いでしょう。
人間がもし完璧であれば、過去をふりかえって反省する意味もないわけです。
年に一回、開催する富士宮市での反省研修会では、
自主的に参加される皆さんにそれぞれの過去へと溯っていただいて、
自分自身というものを深く知っていただきます。
自分の人生に影響している過去の過ちや心の傷というのは、
潜在意識の深いところに隠され、埋もれたまま、
なかなか思いだすことができないようになっています。
それを思いだそうと皆さんずいぶん苦しい思いをされます。
しかし、心の誤りがわかった時には素直に神様にお詫びして、
その償いを行為に表していくことが、
結局は自分のこの世の人生もあの世の暮らしも幸せに導くことになります。

或る時、
反省した折りにそれまでは埋もれていた幼年期から少年期にかけての記憶が
鮮明に戻ってまいりました。
四十何歳まで忘れていた幼い時から少年期にかけての記憶がよみがえってきました。
それまでは十七歳以前のことは記憶にありませんでした。
その年齢を境に家を出ました。
十六歳の時のことです。

大和川に沿ったその地域には四枚の田があって、
早朝その見回りをするのが私のつとめでした。
というのは、秋になりますと稲穂の実る収穫期に入りますが、
雀が集まってきてこれをついばんでしまうと
お米が実らなくなってしまうからです。
雀が田を荒らしていないかどうかを自転車で見て回るのが、
学校に登校する時刻までの私の役目です。


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「御垂訓」

2021-05-20 00:04:25 | 浄心庵 長尾弘先生垂訓

         恩師の御著書「真理を求める愚か者の独り言」より

                第一章 或る愚か者の生涯

               ◆親孝行ができたと思うこと◆


先の続き・・・

         四六時中 休むことなし 我が行は
                 父との誓い有ればこそなり

この歌について、「父との誓いというのはなんですか?」と
質問される方がよくあります。
しかし、この父というのは肉体の父ではなく、霊の父、
つまり神様のことです。
私たちはこの肉体を世に出してくださる父と母なしには、
この世に生まれ出ることも、
この世で活躍することもできません。

確かに父母は最大の恩人ではあります。
しかし、その父母にとってもやはり親があり、
その親の親にとっても親があり、
と限りなくさかのぼっていきますと、
結局最後はすべてを創造された神様にたどりつきます。
そして、今日一日、空気や太陽や水の恵みを与えて私たちの命を
維持させていただいているのも
神様のお陰以外の何ものでもありません。

そうしてみると、やはり誰にとっても共通の親は神様ですし、
人類全体のたった一つの親もこの神様ということになります。
人類はさまざまな人種や民族や国家に分かれて今でも戦争や紛争を
起こしていますが、この神様のもとでは人類はまったく一つです。
今の状態に対して、神様は嘆いておれれることでしょう。

だから、宇宙の運行や自然の法則とも一つになるために、
また親子兄弟、社会、国家、地球が
一つに調和して仲良く助け合って生きていくためにも、
神の御心に沿った生活ができればいいのです。
それがいちばんの親孝行にもなっていきます。

世間の尺度だけではあまりに型にはまった生き方になりがちです。
そこからはみ出せば、親不孝というレッテルを貼られてしまい、
本人も悩むことが多いでしょうが、
本来は天地自然が多様な働きを示しているごとく、
その人その人の個性に合った生き方、
各人の天命にかなった生き方が世間常識とはまた別にあるはずです。

それを見出すためにも心の反省をしながら、
神様の御心にかなう真実の生き方を模索して
いきたいと思います。
人から教えてもらうのではなく、
誰にも肩代わりのできない自分の人生を自らの力で
切り開いていく以外に道はありません。

親孝行の話をするつもりがずいぶんと話が広がってしまいました。
しかし、親は私たちにとっては最も大切な存在であり、
中国にも古くから「孝は百行の本」という、
親孝行はすべての善なる行いの基本であるという意味の諺もあり、
これも必然としなくてはなりません。


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「御垂訓」

2021-05-19 00:00:58 | 浄心庵 長尾弘先生垂訓

         恩師の御著書「真理を求める愚か者の独り言」より

             第一章、 或る愚か者の生涯

             ◆親孝行ができたと思うこと◆


先の続き・・・

いい学校に入り、豊かな暮らしをするために子供の頃から塾に行かされ、
親子の対話、
家庭での躾等についてはほとんど熱心ではないのが昨日今日の社会の有り様です。
そこで、親孝行というとせいぜいいい学校に入るとか、
いいところに勤めてお金持ちになったり、
出世したりして、親にいい思いをさせてあげるくらいしか
思いつかないのも無理からぬことです。

しかし、本来の親孝行とは親のエゴを満たすことでも、
自分の欲のままに生きて何かこの世で成功することだけでもありません。
そうではなく、正しい生き方を貫いた時に、人のためになり、
同時に世の中のためになるように生かせていただくことが一番の親孝行です。
せっかく生んでも、その子が悪いことをして世間に迷惑をかけたならば、
親は子を生まなければよかったと思います。

また、いくら偉いお役人になっても、有名になっても、
その末路が哀れだったらどうでしょう。
悪いことがばれてしまったり、自殺したり、人に殺されたりなどしたら、
それまでの地位や名誉もなんにもなりません。

もちろん、本人がいくらエリートとして成功しても、また商売が繁盛しても、
心の中に不満や寂しさを抱えて悶々としていたとしたら、その顔を見て親は、
「この子はこの頃ちっとも幸せそうではないな」と、
子供の頃の元気で屈託のない顔がまなこの裏に焼き付いているだけに、
余計に寂しいことと思います。

先ず、心を正しく生きて自らが心の底から幸せになること、
本当にうれしそうな笑顔を親にも見せられるようになることです。
もちろん、物心両面においてですが、
そうなるために私たちは神の御心にかなった生き方を
しなくてはならないと思います。
地位がなくとも、そんなにお金がなくても、子が幸せそうなら、
親は生んでよかったと思います。

それが真の親孝行だと思います。
ところで、心が幸せであるとは他人の幸せも喜べるような、
また人や世の中のためにもなれるような心になっていることです。
心に陰りがあってはなりなせん。
太陽のように明るい心になるためには心にお荷物や
未解決の問題があってはなれません。

なんの波風も立たない人生ではなく、
困難な問題が来ても、いつも乗り切っていけるだけの
自信が持てることです。
その自信とは、やはりいつも神様と共に道を歩んでいるのだという
確信から来ると思います。


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「御垂訓」

2021-05-18 01:02:10 | 浄心庵 長尾弘先生垂訓

恩師の御著書「真理を求める愚か者の独り言」より

           第一章、或る愚か者の生涯

          ◆親孝行ができたと思うこと◆


先の続き・・・

本当の親孝行とは何かと改めて考えてみます。
今の世の中は戦前の「教育勅語」の精神も消し去られ、
人の生きる道さえ失っております。
縦横の秩序や忠節、感謝や友愛の心も失われて、その結果、
学校や家庭において子供がいろいろな問題を起こしています。
もちろん、子供だけでなく、

大人の世界でもいちいち例を挙げるまでもないほど毎日のように
新聞をにぎわせるおぞましい事件が起きています。
戦前の教育勅語の、君に忠にという言葉が
君主主義につながるからいけないと、
日本の国から消し去られました。
しかし、「親に孝に 兄弟に優に 夫婦相和し 
朋友相信じ 博愛衆に及ぼし 
強健己を持すべし」の精神こそは、
人の生きる基本であるとおもいます。

御義を受けた方に忠義を尽くすべく、
再び日本国民が目覚めなければならないと思います。
世界を歩きますと、どんな小さな国にも国旗が立っていますが、
日本の国際空港で日の丸の国旗を
見たことがないのは不思議なことです。
世の識者たち、指導者たちは、

自国を愛してはいけないと思っているのでしょうか。
自然の草木を見ても、生まれた土地に根を張って、
生まれた土地から栄養を吸収して生きています。
あの鮭を見ても何年も大海を回遊し、
やがては生まれたふるさとの川へ帰り、
産卵をします。

そして、新しい生命を生んで育んでいきます。
悲しいかな、人間は自然の掟を破りつつあり、
やがてクローン人間をつくる日が来るかもしれません。
しかし、絶対にいけません。
自然の掟を破れば、神に逆らうことになるからです。
その時、必ず自然の反動が来ます。

そして、人類は人類を滅ぼすでしょう。
科学とは尊いものではありますが、一つ間違えば、
人類を滅ぼす恐ろしいものでもあります。
つまり、自分の命のもとを考え、
自然の恵みの中で生かされているお陰、
生み育ててくれた親への感謝に目覚めなくてはなりません。



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「御垂訓」

2021-05-17 00:56:42 | 浄心庵 長尾弘先生垂訓
 
  恩師の御著書「真理を求める愚か者の独り言」より

              第一章 或る愚か者の生涯

             ◆親孝行ができたと思うこと◆


私は八人兄弟の五番目として生まれました。
長じて独立し、親も老いてから、私の家に遊びに来てくれる度に、
「八人も子がいるけれど、
おまえのところに来るといちばん気持ちが安らぐ」と
父母から言われておりました。

それだけに兄弟から嫉妬、反感を受けていたようです。
しかし、それも現在ではすっかり調和しています。
母は私がお腹にいる時に、たいへん重く感じたそうです。
体重が四キロ近くあったから重いということではなく、
ひどく重く感じたそうです。

しかも、誕生が七月二十五日でしたから、
「おまえは親不孝や」とよく言われたものです。
暑い最中に生まれ、おまけにえらく重くてしんどい目に遭わせたから、
そのように言われるのは当然と思っていました。
ところが、私が稼業の織物業をやめて、

人さまのためにあちこち飛び回るようになりますと、
寸暇を惜しんで我が身も顧みずに東奔西走する倅の姿を見て、
自分の身は過ぎたる方に宿っていただいたために
あのように身が重く感じたのだと
思うようになったそうです。

      我が如き 者の腹より よくぞこそ
                   尊き方と 母の言葉や

母はよく浄心庵に来られる方に対して、
「私のようなもんの腹からよくこんな尊い方が
生まれてくれはったこっちゃ」と話しておりましたが、
私は「それだけは言わんといてください。
それを聞いた人は親バカと思いますから」と言ってお願いしたものです。

しかし、母は自分の腹を痛めた子でも自分の所有物のようには
考えていなかったのです。
子は神様からの授かりもと言われますが、

この言葉は子宝に恵まれることを祈り、
子が授かれば感謝する心を示しています。
ところが、とかく子を育てる苦労を経ながら、
私たち凡夫はいつしか本当の親バカになっていきがちです。

      母言わる 我れ一人の 子にあらず
                  数多の子故 身を大切にせよ



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