※ 不思議写真の一枚。
このお写真も恩師のご著書「真理を求める 愚か者の独り言」に紹介されています。
恩師の御講演中の時に撮影されたものですがご著書に紹介されていますように、
全てが燃えるように白色となっており、しかもその輪郭はお釈迦様の涅槃像のようです。
恩師も浄心庵の御講演のなかでこれは私の涅槃像みたいだ。とおっしゃっていました。
~ 恩師の「心行の解説」より ~
先の続き・・・
「インマニエル・イエス・キリスト 我 神と共にあり」
インマニエルとは「我 神と共にあり」という意味です。
イエスさんだけの名前とは違うのです。
イエスこそイエス様の固有名詞です。
キリストとは代名詞で、どなたでもキリストさんです。
そのようにキリストのごとく生きたら、皆さんがキリストになることができます。
田中さんでしたら「インマニエル・田中・キリスト様」です。
どなたでも内なる神我に目覚めた生活をなさる方は、キリストです。
「癒しの油を注がれし者」として生活した時、必ず癒しの力が与えられます。
癒しの油によって癒されます。
神様を受け入れる器になることです。
その中にはいっさいの自我を持ってはなりません。
自我の中にカルマを背負いますから、
私が私がという偽我をいっさい捨てて、たださせていただくことです。
イエス様の教えを真剣に話させていただいた時、イエス様はこの場所に即、お見えになります。
お釈迦様のお話を真剣にさせていただきますと、お釈迦様の意識がその場所へ来られるのです。
「私はイエスである」と言わなくても、ちゃんと肉体を通してその方が語り給うのです。
実践のないものにそのようなことは起きません。
今「高橋信次霊言集」という本がたくさん出ているそうです。
信次先生の霊が言っておられます。
「わしゃ、苦しい、苦しい」。
信次先生がそんなことをおっしゃるはずがありません。
乗り移るということは、何が乗り移るか分からないということです。
信次先生が、「もうだめだ、もうだめだ、何とかしてくれ」などとおっしゃるはずがないのですが、
それが理解できなくて、信じる人は心から信じているようで、信じる方があるから、
あの本もまた売れるのです。
ただ私は、尊い先生が「僕はもうだめだ、何とかしてくれ」などと、
そんななさけないことはおっしゃらないと信じています。
先生は、この世において、この歳までの間にお会いした方の中で、私の最も尊敬し、
お慕いしている方です。
まさに、男が男に惚れたというに値する、ほんとうにすばらしい方で大好きです。
私は先生が亡くなられた時、
実践をもってどなたよりも先生の身近な弟子にさせていただこうと決心しました。
ただ行えばよいのですからこれなら誰にも邪魔されません。
先生と私たちとの間の何段階の組織の壁などは問題ではありません。
遠く離れていても日々の生活の中で実践した時に先生のもっとも身近な弟子になれます。
~ 感謝・合掌 ~