恩師のご著書「思いの中に生きる」より
思いの中に生きる
先の続き・・・
ところが、同じような環境の中にあっても
喜びの方に心を向けた時、
その人は極楽の生活をします。
そして、感謝。
目が片方なくても感謝と喜びと、
そして片目は見えるという希望、
そういう思いでその方が一生を
送ってくださったら、その人は片方の目が
なくても、間違いなしに極楽へ行かれます。
しかし、もし私とお会いできなかったら、
あの人は死んだら地獄へ行かれます。
悲しみと苦しみの世界に入っていかれます。
恩師のご著書「思いの中に生きる」より
思いの中に生きる
先の続き・・・
ところが、同じような環境の中にあっても
喜びの方に心を向けた時、
その人は極楽の生活をします。
そして、感謝。
目が片方なくても感謝と喜びと、
そして片目は見えるという希望、
そういう思いでその方が一生を
送ってくださったら、その人は片方の目が
なくても、間違いなしに極楽へ行かれます。
しかし、もし私とお会いできなかったら、
あの人は死んだら地獄へ行かれます。
悲しみと苦しみの世界に入っていかれます。
◆お写真はその昔イエス様が法を説かれたイスラエルの
「垂訓の丘」に建立されている「祝福の教会」を見学された帰途
赤い花々の咲いている所で恩師「長尾弘」先生が一休みされて
います。
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思いの中に生きる
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その中で、四年間朝から晩まで泣き続けていた方が、
その方の心が潰れた目の方へ
向いていたから泣いておられただけで、
その方の心がある方の目に向けられて感謝に変わると、
今度は喜びの毎日に変わってしまったのです。
といいますのは、
環境、片目が潰れたという環境の中に
私たちは生きているのではなく、
その思いの方の中に生きているという証拠ですね。
そして、人は苦しみの毎日を送る。
悲しみの毎日を送る。
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思いの中に生きる
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やっぱり別嬪さんでも泣いていたら
顔も歪んできます。
嬉しいお顔をされていたら
ものすごくきれいなお顔の方です。
で、「あんたでしたんか」と言うと、
「お陰さまで本当に助けてもらいました」
と言って、嬉しいお顔で、
もう全然想像つかないような顔に
なってしまっておられました。
その姿を見せてもらって、
その方の目が直ったからその人が
そんなに幸せになってくれたのかというと、
やっぱり目は見えないままです。
肉体に何の変化もないのですね。
片方は見えないし、片方は見える。
◆恩師「長尾弘」先生がインドカルカッタのマザーテレサ様に
招待されマザーテレサ様と歓談されているところです。
恩師のお顔がマザーテレサ様のお顔のように変貌されています。
(不思議写真の一枚です)
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思いの中に生きる
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そして、一週間たってお見えになりました。
よく言うのですが、一回お会いしますと
大慨の方を私は覚えているのです。
「ア、 この前お見えになりましたね」
とか、「○○が悪かったですね」とか、
本当にコンピューターほど顔をよく覚えています。
名前は知りませんけど、顔は知っているのです。
ところが全く見覚えがのない方、
きれいな明るい方がお見えになっておられます。
「いつ見えたのですか」と尋ねましたら、
えらく嬉しそうな顔をして笑っておられるのです。
それで、「どなたでしたかな」
と言って聞きましたら、「あの泣いていた者です」
と言われて、全く別人になっておられました。
ものすごく明るい顔で。
◆お写真は不思議写真の一枚で恩師「長尾弘」先生の
目から光線が出ています。
恩師のご著書「思いの中に生きる」より
思いの中に生きる
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もし両目潰れていたら今のような不自由さではないのに、
この片方をよく助けてくれました』
と言って、神様に感謝して下さい。
こっちの潰れた方にばっかりとらわれて嘆き、
悲しい毎日を送るのも、
これも人生。
しかし、今現実に見える目に感謝の心を
向けるのも一つの現実の生き方です。
選ぶのはご自身です」と言いましたら、
その方は頭のいい方ですから、
「よくわかりました。
今までは私はとんでもない間違った
生き方をしておりました」と
納得してくださったのです。
恩師のご著書「思いの中に生きる」より
思いの中に生きる
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じゃあ、もう十センチ程伸びたら、
これは両眼とも見えなくなるところでした。
今、片目見えていますから、恰好が悪いとか、
ちょっと不便だという嘆きですけれど、
両眼とも見えなかったら大変です。
それを一回思ってみなさい。
そして悲しい辛いと思ったら、
どうぞ手を合わせて、
神さまに『ありがとうございました』
と言って感謝しなさい」と最初言ったら、
「こんな悲しいのにどうして感謝しなければ
なりませんか」と泣かれるのです。
それで、「もし両目潰れていたら、
それこそ全面的な失明になってもうどうにも
できません。しかし、
無事にのこった片目だけで
もちゃんと見えます。だから、
『あの時よくこっちの目を助けてくれました。
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その方に、その人の悲しい辛いその悲しみを
一通り聞かせてもらって―――
「まあ、苦しんでもそれは当然です。
あなたがそのような悲しみ苦しみの
毎日を過ごしておられるのも、
これも一つの現実の生き方です。
しかし、まあ考えてみなさい。
この五体の中で、こんな小さい目玉に
ロープが突き刺さるというのは、
これは奇跡です。
全身の面積がものすごく広いのにこんなところに。
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思いの中に生きる
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中学に行くと同時に心の中に転換が起きたのです。
急にパッと明るく切り替ってしまいましたけれど、
よく両親が言ってました。
「こいつは笑うてても泣き顔しとるなあ」。
顔が泣き顔になってしまうんです。
毎日毎日泣いていましたからね。
で、この人もまさにその通りでして、
ものを言ったら泣いておられます。
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そりゃもう、顔を見たら、
演歌を絶唱中の森進一さんと
同じ顔をされています。
「この世の中の悲しみを私が
一人背負っています」という顔をしてね。
もう笑っても泣かれますね。
ああいう人はもう顔がそうなってしまうのです。
毎日毎日泣いてましたからね。
私の二番目の弟は小さい時泣き虫でした。
で、渾名も「泣き」でした。
「泣き、泣き」と言われ、これは中学へ行くまで
泣き虫だったのです。
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思いの中に生きる
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「それじゃあどうなるのですか」と聞きますと、
「この動脈瘤が腫れたら、あなたは一巻の終わりだから、
もうそこまで大事に生きないと仕方がない」と言われて、
その人の嘆きがまた大きくなったのです。
これはまさに「泣き面に蜂」です。
「あの石原裕次郎のあんなのでも治すのに、
どうして私のを治してくれないのか」と言って、
泣いて泣いて暮しておられたのです。
で、その人のお姉さんが私にご縁がありまして、
連れて来て下さったのです。
「妹がこんなにして四年間、毎日毎日泣き明かしています。
何と助けやってほしいのです」といって見えたんです。
恩師のご著書「思いの中に生きる」より
思いの中に生きる
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あれは難儀です。
目が潰れましたら目が萎んでしまって
だんだん落ち込んでくるのです。
また、義眼(ガラスの目玉ですね)
を入れますとちゃんと目が
閉じられないようになるのです。
夜休んでも目が開いたまま
寝なければなりません。
これも難儀だし、目玉を出したら
グッとへっこんで落ち込んでしまう。
「そういうのを主人に見られるのは辛い。
うまれもつかない片輪になってしまった」と、
泣いて泣いて暮しておられたのです。
四年間、「そんな辛い悲しい私は不幸だ」
とばかり思っているから、
本当にそのようになってくるのです。
今度動脈瘤ができて、
お医者さんに診てもらいましたら、
「あなたのはもう手術できません」。
恩師のご著書「思いの中に生きる」より
思いの中に生きる
思いによってこの世は現れているのです。
そして、人は環境の中に生きていると
錯覚を起こしているのです。
本当は自分の思いの中に生きているのです。
これはちょっと難しいように思いますけれど、
たとえば、
これも思いの中に生きているという
一つの証拠ですね。
ある四十そこそこの女性の方が
ワイヤロープの工場に勤めておられて、
ワイヤがポンと弾いて片目を失明されました。
その人はもう本当に朝から晩まで
泣き通しの毎日を送っておられたのです。
「私は何と不幸だ」と。
恩師のご著書「思いの中に生きる」より
調和と中道
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そして、
「私は今までお城の中の
王子としてあった時、穴蔵の中へ入って
千度禅定・瞑想したけれど
なお悟れなかった。弦の糸が強ければ切れる。
今まさに自分は厳しく締めすぎた
糸が切れる寸前だ」ということを悟られた。
それでお釈迦様は、苦行を一切放棄され、
中道の道を歩むことをお悟りになったのです。
◆お写真は恩師「長尾弘」先生のご講演中を学びの友の方が
カメラに収めたものですが、ご覧のように白色の光が演壇の上に
広がっているだけのものになっています。
このお写真について恩師ご自身が後のご講演会でこれは私の涅槃の
姿のようですねとお話しされていました。
恩師のご著書「思いの中に生きる」より
調和と中道
先の続き・・・
ところがまた、あの彫刻を
作られた方も名工だと思います。
骸骨が座っているようなのに、
何とも言えない慈愛、慈悲に
溢れたお顔に見えますね。
あれを見せてもらいますと、
どうしても涙が止まらなくなります。
それほど厳しい行をなさって、
そして、「このままいっては死ぬ。
死んでは悟れない」と思われた時、
川上の方からその歌声が流れて来たのです。
その時、お釈迦様の気持ちの中では、
もう本当にこれは天女の教えだと聞かれたのです。
恩師のご著書「思いの中に生きる」より
調和と中道
先の続き・・・
そのとき、「あっ、これだったら
もう自分は死んでしまう。
しかし、死んだらもう自分は悟ることが
できない」と思われたのです。
『仏陀苦行像』という像がありますけれども、
それを見せていただいたら、
もう本当に涙が出ますね。
後光はきれいに出ていますけれども、
肋骨の一本一本、そして、その肋骨の
上を這っている血管まで出ています。
顔でも全くもう骸骨の顔になっています。
目は落ち窪み骸骨みたいですね。