恩師のご著書「講演集」より
講演集、 二
東京・沖縄の旅にこと寄せて――幸せになる為には
先の続き・・・
また「伏見の山じゃ」と言って、入ってきたのがあるのですよ。
「どうして山が人間の体に入るのですか」と聞くと、「それもそうじゃ」と言います。
そのうち「何が何だか分からないようになった」と言いました。
そんな分からなくなるような神さんはありません。
「南無観世音菩薩!!」と言って、素晴らしい声を出して入ってくるのもあります。
「へえー観世音菩薩でございますか」と言うと、「さよう!」と、高い声で言います。
いかにも有難そうに言うので、あれでだまされます。
「お名前は何とおっしゃる観音様でございますか」と聞くと、ここでもう答えなれないのです。
「南無」と上に付けたらそれは偽もの、南無とは帰依することですから、
観音さんが観音さんに帰依してどうしますか。
そんなことも分からない人が、「南無観世音菩薩」と言って入ってくるのです。
すると皆「へえーっ」と有難がって観音さんのご宣託を聞くわけです。
私が見ますと、そんなものは観音様どころか、成仏できていない迷える霊が憑いているのです。
私は先に見通していますから、向こうのほうがだまされているのです。
「なぜ憑いておられるのですか」と尋ねると、「この者の身を救う為じゃ」と言います。
「へえーこの身を救う為でございますか」と念を押すと、「さよう!」
「ではなぜこの身を救う為なのに、この身があそこが痛い、
ここが痛いというのは、これいかに」と言いますと、「この者の修行が足らん為、
力がでないのじゃ」と、人のせいにしています。
「嘘おっしゃい。あなたは観世音菩薩などといい加減なことを言って人をだましているのです。
しかし一般の人の前では通りますが、私の前でそのようなことは通りません。
私は先程からちゃんとあなたを見通しております。
正直に言いなさい」と言うと、「エッエッエッ」と怒りだしました。
「観世音菩薩がそのような愚かな真似をされますか」ときめつけると、
「お許し下さい」とあやまります。
「あなたもほんとうは助けてほしいが為にこの人に縋ってきているのです。
正直に言いなさい」と言うと、「私は祀ってくれる者がない。子孫が死に絶えて
放ったらかしにされて、何とかお経の一つでもほしい。
この人は信心深くて無縁仏さんによく参ってくれるから、
この人に憑いたらよく拝んでくれるだろうと思って憑きました」と白状しました。
「観世音菩薩などと言うて、何にも見えない人間をたぶらかしてはいけません。
そのようなことは許しません」と言うと、「お許し下さい。お許し下さい」と、
あやまります。
そこで、「あなたも助けてほしいのでしょう」と言うと、「助けて下さい」と
助けを求めてきました。
これは、自分が供養を受けたい、自分をお祀りしてほしいという強い思いを
持っておりまして、自分を祀ってくれる人がおりますと、
その人に神や仏の名を騙って肉体を支配するのです。
ところが、ふつう私たちにはそのことが分かりません。
~ 感謝・合掌 ~