浄心庵・長尾弘先生「垂訓」

八正道と作善止悪

「御垂訓」

2019-11-30 23:13:52 | 浄心庵 長尾弘先生垂訓

~ 恩師の「心行の解説」下巻より ~


                   講演 九

「己の肉体が苦しめば心脳乱しわが身楽なれば情欲に愛着す。
     苦楽はともに正道成就の根本に非ず」

先の続き・・・

心の状態によって異なります。
ものすごく素晴らしい光の天使がお入りになって
正しい法をお説きになったとします。
しかし、肉体を通して語っておられたお方が、
その時もし増上慢になったり、また怒りや貪欲に捉われたりした時は、
たちまちにして闇の世界からのものが、その方に入ってきます。

もっとも危険なことは、例えば「私はミカエルでございます」と
言ったとしても、この場合、
ほんとうの光の世界のミカエル様がお入りになった場合でも、
闇の世界から入ってきた場合でも、
全く同じように「わ・た・く・し・は・ミ・カ・エ・ル・で・
ご・ざ・い・ま・す」と言われることです。
ご本人の心の状態によって入れ替わっていても分かりません。
しかも質が悪いのは、同じ名前を使い同じ言葉を使うということです。
ですから霊的に捉われますといかに危険であるかということを
自覚したいと思いますね。

見えない世界は、何重にも重なっていて、
はっきりした確証を掴むことは大変難しいものです。
過去世が誰であったとか、
今、何々様が私の身体を通して語りますとかいいましても、
それにははっきりとした証明がありません。
ただそのようにしゃべっているだけで、証明のないものは、
いってみれば幻のようなものです。

幻のようなものは、あると思えても消えてしまいます。
そういう幻を信じては間違いもとになるということですね。
私たちは今頂いている肉体をもって、例えば私でしたら、
長尾弘という人間を通して、日々の生活に神の子として
恥ずかしくない生活を努力することです。
神の御使いとして間違いのないような生活をすることです。
過去世のようなものは関係ありません。




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「御垂訓」

2019-11-29 23:07:52 | 浄心庵 長尾弘先生垂訓

~ 恩師の「心行の解説」下巻より ~


                  講演 九

「己の肉体が苦しめば心脳乱しわが身楽なれば
       情欲に愛着す。苦楽はともに正道成就の根本に非ず」

先の続き・・・

京都から電話がありまして、
「私はある法華宗の僧侶でございます。私なりの
修行をしていましたところ、突然組クンダリニ
(ヨガのチャクラの内の一番下のところ)が
開いてしまいました。
今日も朝から二つ法事をさせてもたったのですが、
その法要中にも、その現象が出てくるのです。

今のこういう状態から解脱する方法について
是非教えていただきたい」というのです。
自分の心について、生まれて以来今日までについて
徹底的に追求することなく、
精神統一したり、瞑想したり、禅定に入りますと、
そういう現象が起きます。

よく霊道が開くといいまして、
過去世のことを話される方があります。
この前、神戸から来られた十五、六人の中には、
何人もの方が過去世を語られるということでした。
「あなたは自分の心に問いかけてみなさい。

あなたの心は綺麗ですか」と、聞きますと、
「いや駄目です。自分の心は汚い」と言われます。
汚いままで、そういう霊道が開きますと、
光の世界からも来ていただきますし、
また一つ違えば即、闇からも入ってくるわけです。
だから大変危険が伴います。
光も来れば闇も来ます。


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「御垂訓」

2019-11-28 23:32:59 | 浄心庵 長尾弘先生垂訓

~ 恩師の「心行の解説」下巻より ~


                 講演 九

「己の肉体が苦しめば心脳乱しわが身楽なれば
       情欲に愛着す。苦楽はともに正道成就の根本に非ず」

先の続き・・・

お釈迦様の教えに全く反したことを教えておられます。
私たちはいわば荒れ果てた山と同じことです。
大きな木もあれば石ころもある原野、
つまり愚痴もあれば怒りもある荒れた山を良き畑にするには、
怒りの根を切り、愚痴の石ころを取り出し、
貪欲の根っこを掘り返し開墾して、もののできる畑になります。
畑ができて初めて良い種が播けるのです。

それを「腹の立つ時は腹を立てろ、貪欲を離すな」と言えば、
苦しみの木をどんどん成長させているようなものです。
これでは幸せになることは難しいと思います。

私たちの学びは、聖なる学びであり、聖なる実践です。
お釈迦様のお説き下さった心の安定を追求するものです。
怒り、愚痴、貪欲を持っておれば、
心は絶対に安らぐことはありません。
つまり不調和な生活が現れてきますから、
イライラした不安定な生活をするようになります。

人間の幸せは心の安らぎです。
安らぎを得るために私たちはそれなりの努力を
しなければなりません。
真の安らぎとは、他に喜びを与え、その時の他の喜びよって、
「ああよかった」という喜びを持つことで、それが、
大いなる安らぎに繋がるのです。
奉仕です。
無償の奉仕、愛の実践によって、
初めて大いなる安らぎが頂けます。


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「御垂訓」

2019-11-27 23:27:19 | 浄心庵 長尾弘先生垂訓

~ 恩師の「心行の解説」下巻より ~


                  講演 九

「己の肉体が苦しめば心脳乱しわが身楽なれば
      情欲に愛着す。苦楽はともに正道成就の根本に非ず」

先の続き・・・

静かに過去を振り返った時、「妻は今、何をしているだろうか、
城で共に暮らしていた時はこのようなこともあったなあ」という思いが
湧いて、もとの生活に自分の心が向きそうになるのですが、
これは思って当然です。

しかしお釈迦様は「悪魔よ去れ」と、
自分の心の中の魔を追い払われたのです。
そして、あの偉大な悟りをお開きになりました時、
「私の悟った教えは、世の常に逆らうものである。
逆らうのが真理であった」とおっしゃっています。
世の常とは、人のこの世的な常識です。

「出すのは嫌い、貰うのは大好き」というのは世の常です。
しかし出さなければ入ってこないということを
お釈迦様は気付かれたのですね。
原因、結果の法則をお悟りになったのですが、
普通の我々凡夫は、腹が立つ時には怒らなくてはしょうがない、
愚痴が言いたい時は愚痴を言ったらいいと思うわけです。

この前、三十過ぎの女性の方が、
ふとしたご縁で尋ねてこられて、この方は
ああいえばこう言うし、こう言えばああ言うという方で、
絶対にうんと言われません。
お顔を見れば苦しみをいっぱい背負った顔をしています。

「あなたは幸せにならなくてはいけません」と言うと、
「いや、私は幸せです」
「しかし、あなたの顔は幸せとは違います。
心の中にいっぱい苦しみを持っています」「そんなこと、
あなたに分かるはずはありません」「いや、よく分かります」
こういう具合で、何を言っても受け入れません。
この方はヨガの有名は先生についておられ、二十代の頃、
高橋信次先生のご講演を何回も聞いているのです。

その後ヨガの先生に質問したそうです。「腹が立ったり、
愚痴を言ったり、貪欲になったりしてはいけないと、
信次先生に学びましたが、
そのように思ってはいけないのですか」そうすると、
ヨガの先生が「馬鹿野郎」と怒鳴ったそうです。
「人間だったら腹を立てて、愚痴も言え、貪欲になれ」と
言ったのですね。

そして「大勢の前で馬鹿野郎と怒鳴られて、
わしの言うことが気に入らなかったら、わしを恨め、憎め」と
言ったそうです。
まあ、えらい先生があったものだと思います。
その方はもう亡くなっておられますが、有名なヨガの先生です。


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「御垂訓」

2019-11-26 23:10:03 | 浄心庵 長尾弘先生垂訓

~ 恩師の「心行の解説」下巻より ~


                 講演 九

「己の肉体が苦しめば心脳乱しわが身楽なれば
    情欲に愛着す。苦楽はともに正道成就の根本に非ず」

先の続き・・・

あまり楽な生活に走ってもいけないし、
またあまり肉体を厳しく痛めても、正しい道を成就できないと、
お釈迦様がご自身のことをいっておられます。

お釈迦様は今まさに自分の命の灯が消えようとしていた時に、
川上のほうから聞こえてきた少女の歌声によって
「調和・中道」ということを悟られたのですが、
日頃から聞いておられた民謡の今まで気付かなかった意味を、
「なるほど」と悟られたのですね。

お城での栄耀栄華の生活は、歌のことばでいえば
弦がゆる過ぎたのであり、
今の苦行に状態ではあまりにも弦を強く締めていたために、
命の切れる寸前まできていたのだとお悟りになって、
いっさいの苦行を放棄されました。

快楽も苦行も共に捨ててしまわれて、
あの菩提樹のもとに吉祥草を刈ってきて、
それを厚く敷いて心地よい場所を作られ、
ご自分の生まれて以来今日までの反省に入られたのです。
反省・禅定に入られた時、いろいろと悪魔が攻め襲ってきたと、
仏典には書かれています。

悪魔は外部から襲ってきたのではなく、
自分の心の中から湧きあがってくるのです。
静かに反省していると、国に置いてきた妃のことが思いうかぶのです。
今ふうに言えば「家内はどうしているだろうか」、ということです。
信次先生のご著書の中には、
「妃がその春を売るようなポーズをしてきたので、
悪魔といって追い払われた」と書いてあります。
自分の心の中に現れるのです。



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「御垂訓」

2019-11-26 01:43:58 | 浄心庵 長尾弘先生垂訓

~ 恩師の「心行の解説」下巻より ~


                  講演 九

「己の肉体が苦しめば心脳乱しわが身楽なれば
       情欲に愛着す。苦楽はともに正道成就の根本に非ず」

私たちの肉体が苦しめば心は乱れます。
痛いところがあると、ああ痛い、苦しいと、
肉体の支配者である心が悩み乱れます。
肉体の健康は、幸せに欠くことはできません。
また、あまり肉体が楽で、おいしいものを食べ、時間もある、
お金もあるという場合は、まともなことを考えないものです。

情欲に捉われたりします。
ところがそのような苦しみやまた快楽は、
正道成就の根本ではないのです。
お釈迦様は両親、妃、子供、お城のすべてを捨てて出家をされ、
厳しい肉体行をお求めるになりました。

お城の中では栄耀栄華を極めた思いのままに生活をなさり、
これは「楽」に相当しますが、
その中で心を悟ることはできませんでした。

何とか心を悟らなくてはと、道をお求めになり、
厳しい肉体行の先生について修行されましたが
やはり悟ることはできなくて、
今度はご自分で厳しい肉体の行いをなさったのです。

飲むもの食べるものを何日も断ったり、
焼けつくような岩の上で何日も耐える
修行をなさったのですが、
それほどの苦行を通しても自分を悟ることはできなかったのですね。

これは、肉体を苦しめては心が乱れるということです。
例えば氷を割った中に漬かってお経をあげていましても、
冷たいという感覚があり、
肉体が痛みますから悟ることはできないのです。
また護摩といって火を焚いて汗を流してエイヤーとやっていますが、
火の側へ行けば熱いのは当たり前で、
「ああ熱い」と思っていては心が乱れて悟れません。



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「御垂訓」

2019-11-24 23:16:38 | 浄心庵 長尾弘先生垂訓

~ 恩師の「心行の解説」下巻より ~


                    講演 九

「己の心・意識のエネルギー源は調和のとれた日々の
     生活のなかに神仏より与えられることを悟るべし」                                

先の続き・・・

心を苦しめ自分を不調和にしておりますと、
心のエネルギーを失い、消耗していきます。
その上、神仏からも与えられないのですから、
だんだんと肉体の支配者がエネルギー不足になって、
いくらおいしいものを口に頂いても身につきません。

家庭の中では「ああ、有難いなあ」と心満たされて、
家族の皆が心配することもなく、仲良く暮らすことです。
高橋信次先生はよくおっしゃいました。
「家庭の中にハ、ハハ、ホ、ホホといって笑いの絶えないような、
そういう環境をつくりなさい」と。

これが調和とれた日々の生活のはずです。
家の中でもめごとや争いごとがあっては、
絶対に幸せにはなれません。
いちばん安らぐべき場所である家庭に安らぎがなかったら、
幸せになる道理がありません。

また、満たされた環境を頂いておりながら愚痴や
不足ばかり言っておられる方もあります。
あまりにも結構すぎて、それが当たり前だと思ってしまうのですね。
私たちが最も注意しなくてはいけないのは、
「当たり前と思ってはならない」ということです。
当たり前と思うと、感謝を失っていきます。

調和のとれた日々の生活であるためには
「三つの幸せの根元」といえるものがあります。

一、健康  
二、足ることを知った経済力   
三、心の安らぎ

つまり肉体の調和と、調和した経済と、心の調和です。
この中のどれが欠けてもほんとうの幸せは掴めません。

これらが調和された時は心が穏やかですからエネルギーが
失われることもありません。
神仏からは心のエネルギーを与えられ、
心が安らかで何の心配ごともなく、
腹を立てることもなく、恨む人もいない、
憎む人もいない、こういう時はとても楽に生きられます。
その楽な状態にあるから心に活力があり、また次の喜びを得て、
この喜びを人様に分かたなくてはいけない、
お伝えしなくてはいけないという気持ちも湧いてくるはずです。
それにはまず自分自身が救われることが先決です。


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「御垂訓」

2019-11-23 23:50:26 | 浄心庵 長尾弘先生垂訓

~ 恩師の「心行の解説」下巻より ~


                  講演 九

「己の心・意識のエネルギー源は調和のとれた
      日々の生活のなかに神仏より与えられることを悟るべし」

先の続き・・・

私たちが忘れていた心の持ち方について高橋信次先生は
「心行」に書き遺して下さいました。
ほんとうに小さい冊子ですけれど偉大な光が秘められており、
この世を卒業さうれた方に読んで聞かせてあげますと、
その方が救われる場合が多いです。

こんなものを読んだだけで大丈夫かなという思いでは駄目です。
心から信じて、
今、姿を見ることはできなくても必ず救われるという
強い信念をもって読んであげて下さい。
必ず現証を見せていただけます。

肉の目では見ることはできませんが、心の目をもって見ますと、
ものすごい光が出ているそうで、
その光をご覧になった方は何人もおられます。

また私の「愚か者の独り言」(講演集)も、
置いておればものすごい光が出ているそうです。
何が光っているのかと思って側に行きますと、
あの本が光っていたという報告をたくさん頂いております。
「歌集」も同じことですね。

手に持てばとてもあたたかくて、
それが体に伝わってくるとおっしゃる方もよくあります。
あまり自分の本の宣伝をしておりますと笑われますが、
ほんとうの正しい真理であれば、それは当然なことです。



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「御垂訓」

2019-11-22 23:03:36 | 浄心庵 長尾弘先生垂訓

 ~ 恩師の「心行の解説」下巻より ~


                   講演 九

「己の心・意識のエネルギー源は調和のとれた
      日々の生活のなかに神仏より与えられることを悟るべし」

先の続き・・・

先日、ある方がお礼に見えました。
「母が亡くなってドライアイスをいっぱい入れました。
普通なら冷たくなって当たり前ですが、
それが全く冷たくなっていませんでした。

またその顔の美しさは言葉では表現できませんでした」と。
ドライアイス漬けにしてあっても温かいという信じられないような現象を、
成仏された形として見せていただけるのです。
正しい法とは、学ぶことによってそのような功徳を頂くことができます。

昔から、「金儲けと死病とはおろそかではできない」といいます。
金儲けは辛いもので、苦労しなくてはできないものですし、
死ぬのもちょっと苦労しないと死ねません。
これが大体の相場らしいですね。

しかし、この法にご縁を頂いて、
常に自分の心を苦しめないようにして、
もし苦しむことが起きても一瞬のうちに
これを捨て去る努力をすることによって
安定した心の状態で生活し、常に感謝と平安に心を
満たしておりましたら、俗に言われるような死病も
それほど苦しむことはないと思います。

その証拠に、悟られた偉大なお方は、
坐ったまま極楽往生なさっておられます。
こうしてお話をしながらすーっとこの世を去られる方もあるそうです。
そういう方は、心に苦しみが少なかったと思いますね。



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「御垂訓」

2019-11-21 23:46:42 | 浄心庵 長尾弘先生垂訓

 ~ 恩師の「心行の解説」下巻より ~


                 講演 九

「己の心・意識のエネルギー源は調和のとれた
        日々の生活のなかに神仏より与えられることを悟るべし」

先の続き・・・

すばらしい天上の世界から、
私たちは魂の修行に生まれさせていただき、修行が終わればまた、
あの光の世界に帰らなければならないことを常に信ずることですね。
絶対なる信念を持つことですね。

まあ死んだあとのことは皆あまり分かりません。
しかし亡くなった時のあの安らかな姿、硬直も起きず、
今お化粧したような綺麗なお顔で、
生きている時よりもすばらしい姿となってこの世を去られ時は、
たしかに光の世界というのはあるのだなあということが分かります。
私たちの仲間の方、或いは直接私にご縁がなかった方でも、
私のテープを聞いたり、
「明来闇去」の名刺とか光を入れたハンカチなどを与えてもらうだけで、
その方々が極楽往生をなさったという報告をたくさん聞いております。

私たちの魂のふるさとを心に描いて下さい。
今、目を閉じて、私たちがこの世にい生まれる前に住んでいた、
調和されて光に満たされた緑したたるすばらしい世界を
心に描いて下さい。
この世の修行が終わった時、
間違いなくあの光輝くふるさとへ帰りたいと思います。

そのふるさとへうまく旅立ったか、そうでないかは、
死んだ時の姿によって分かります。
もし不幸にして死後の体が硬くなっておられたり、
冷たくなっておられたら、
気の毒ですが天上界には帰っておられないということが
はっきり分かります。


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「御垂訓」

2019-11-21 03:54:11 | 浄心庵 長尾弘先生垂訓

~ 恩師の「心行の解説」下巻より ~


                講演 九

「己の心・意識のエネルギー源は調和のとれた
        日々の生活のなかに神仏より与えられることを悟るべし」

先の続き・・・

前世のカルマというのは、
私たちが前世でもし過ちを犯しますと、
その過ちの世界へ必ず落ちます。
そして長い時間、この世的三次元的にいいますと
地獄という刑務所のようなところにいるわけです。
そこで何年も何年も罪の償いとして苦しみます。

長い時間が経ってのち、自然治癒能力、
自然浄化作用という神の愛を受けて、
自然に浄化されて天上界へいったん帰ってから、
また両親の縁を頂いてこの地上に生まれてきます。
前世で失敗した方は、再び失敗は繰り返したくない、
何とかあの時の失敗を修正しようと、
この世の厳しい環境に生まれてきます。

この世で善い行いをして心安らかに徳を積んだ方は、
亡くなりますとすぐ天上界へ帰ります。
そしてまたこの地上に生まれてきます。
地上での修行が終われば、そのまま天上界へ直行してこそ、
ほんとうの浄化ができるのです。

五百年、千年、もっと長い時期、
暗闇の世界で苦しむ方もありますが、
いつか時が経てば必ず天上界に帰りますから、
前世の因縁というのは、
それほど大きくは受けないはずです。
勿論因縁を少しは持って世に出てきます。
そしてこの世に生まれてから、
その上にさらに過ちを積んでいき、
苦しみを作っていきます。



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「御垂訓」

2019-11-19 23:43:41 | 浄心庵 長尾弘先生垂訓

~ 恩師の「心行の解説」下巻より ~


                    講演 九

「己の心・意識のエネルギー源は調和のとれた
        日々の生活のなかに神仏より与えられることを悟るべし」

先の続き・・・

「私の心が安らかになった、
これなら心を苦しめることはもうない」と日頃は思っておりましても、
何かの縁に触れた時に、たちまちにして自分の持っている悪い癖、
欠点がむくむくと頭をもたげてきます。

しかし、欠点が出てきても肉体を持っておればこそで、
これは致し方のないことです。
ただその時、いかに早く捉われの思いを捨てるかが、
私たちの修行であります。

高知から来ていただいたおばあちゃんは、ある信仰をなさっていて、
ご縁の信者さんがたくさんあるそうです。
しかし信者さんのことでいろいろ心を苦しめ、
このままでは死んだら地獄へ行くかもしれないから、
何とか地獄へ落ちない方法を教えて下さいとのことで、
お話させてもらっていたのです。

その宗教では、前世の因縁によって、
あなたは今こういう苦しみを受けているとか、
過去世にカルマによって今このような裁きを受けているとかいう
「前世論」という教えを説いています。
しかし前世論では人は救われません。

私たちは前世で何をしたのか今の自分には分からないのです。
どれほど前世で悪いことをしたのか、善いことをしたのか私たち自身、
分かりません。
その分からないものによって今生が苦しいのだとしたら、
苦しむ方があまりにも可哀相です。
苦しんでいる方を諦めさせるしかないことになります。



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「御垂訓」

2019-11-19 01:10:38 | 浄心庵 長尾弘先生垂訓

~ 恩師の「心行の解説」下巻より ~


                    講演 九

「己の心・意識のエネルギー源は調和のとれた
        日々の生活のなかに神仏より与えられることを悟るべし」

私たちの肉体保存のエネルギーは、食事によって与えられますが、
では心のエネルギーはどこから頂くのかというと、
それは調和のとれた生活をした時神仏より与えられます。

日々の生活が不調和でしたら、
心のエネルギーを頂くことはできません。
生活が不調和とは常に、怒り、妬み、謗り、
愚痴、恨み、憎しみ、取越苦労、不安、恐怖、
人の悪口、貪欲、或いは足ることを知らない欲望、
このような思いに心が捉われ心を苦しめることによって
調和を欠いてしまうことです。

私たちはこの教えにご縁を頂きますまでは、
平気で自分の心を苦しめてきました。
そして日々の生活を不調和にしていたのです。

このように聞きますと、ごく簡単でございます。
この簡単な教えを私たちは日々の生活においても、
一つでも二つでもいいから、行うことです。
ただ実践と聞きますと、
何か行動を起こすことだと思いますが、
高橋信次先生にご縁を頂きまして、
心の面での反省という実践が大事であることを
教えていただきました。

私の場合、行動の面では、
よくお話しておりますトイレのスリッパを
揃えることから始め、
心の面では腹を立てないようにしようと、
毎日の生活の中でこの実践に努力しました。

そして怒り、妬みという十項目余りが、
努力によって自分の心から消えていった時、
調和されて心が安らかになっていきます。
そうなりますと、別に神様にお願いをしなくとも、
心にエネルギーが注がれます。
逆に怒り、妬みの思いを持つと、
心のエネルギーが消耗され失われていきます。



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「御垂訓」

2019-11-17 23:37:43 | 浄心庵 長尾弘先生垂訓

~ 恩師の「心行の解説」下巻より ~


                    講演 八

「日々の生活のなかにおいて己の魂を修行すべし」

先の続き・・・

その後レントゲンで見ると完全に元通りになっていたそうです。
あれはマッサージとは違います。
手も触れずに治る愛の祈りです。
二、三分もかかっていないですね。
あっという間の出来ごとです。

これは神様の癒しであり、愛の祈りによって、
神が働き給うた出来ごとです。
来られた時は痛くて痛くて片手で支えなくてはいられないし、
服を着るどころではありません。

上からジャンパーをかけて来られたのですが、
帰りには知らない間に服を着て帰られたのです。
昨夜は沢山の皆さんといっしょに神の癒しを見せていただきました。

熊本から見えた方たちは帰る時、
「あれはヤラセのサクラを使っていたのだ」と
言っていたと後で聞きました。

信じられない出来事でしたけど、
こういうことは今までにもたくさんありました。
複雑骨折を起こして、元に戻すことは不可能といわれた膝の骨折が、
祈りによって手術もしないで、今、
完全に元通りの正常な骨に戻っているという方もおられます。

また三つに折れてバラバラになった仙骨が、たちまちにしてくっついて、
レントゲンを撮ると、何の傷もないという方もありました。
それは全部神の御業です。
肉体を頂いた私たちが、愛を実践しました時に、
神がその御業をなし給います。

愛の実践ほど強いものはありません。
日々の生活の中で魂の修行をし、
愛の実践をしていただきたいと思います。



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「御垂訓」

2019-11-17 02:15:39 | 浄心庵 長尾弘先生垂訓

~ 恩師の「心行の解説」下巻より ~


                  講演 八

「日々の生活のなかにおいて己の魂を修行すべし」

日々の生活の中でしか、魂の修行をすることはできません。
寝ている間は魂の修行はできないのですから、
よく夢のことばかり言う人があり、

「夢の中に高橋信次先生が出てきました」
「お大師様が夢の中に出てきてこんなことを言いました」と
おっしゃいますが、これはあくまでも寝ていた時の出来事です。
「心行」の中に、
夢の中で日々の生活の修行をすべしとは書いてありません。
私たちは起きている日々の生活の中で魂の修行をしております。
日々の生活の中で愛の実践をしていただきたいと思っています。
 
正法という名を騙る小集団がありますが、
その今月号に、私のことが書かれています。

それによると
「長尾というマッサージ師は大勢の方を騙して歩いている」の
だそうです。
私は皆さんを騙すかもしれないから、
騙されないように、しっかり疑問追求して下さい。

昨夜九時頃、アメリカンフットボールをして、
鎖骨を骨折された大学生の方が、
大きな三角巾で腕を吊り下げてお見えになりました。
皆さんとお話していましたが、ちょっと待ってもらって、
「骨はくっつきなさい、あなたは折れてはいけません、
元の位置に帰りなさい」と光を入れますと、
腕を吊っていた三角巾を取っても、
「あれ、もう痛いことありません」と
言って、治ってしまったのです。



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