浄心庵・長尾弘先生「垂訓」

八正道と作善止悪

「講演集」より。

2015-02-28 00:24:04 | 浄心庵 長尾弘先生垂訓

        恩師のご著書「講演集」より


            講演集、 二


        我が子を救いたい親の愛


先の続き・・・

親の愛というのは、自分を地獄に落としでも子を救おうとします。
自分を犠牲にしてでも子を救いたいという親の愛ですね。
お母さんの大きい愛を頂いて、現在の私たちの存在があります。
親はどのような親であっても、
その親から戴いた恩を忘れないようにしていきたいと思います。
すべての始まりは親孝行からです。

親に安心していただかなくて、親に喜んでいただかなくて、
自分の幸せは絶対に訪れません。
そう言いながら私は、おばあちゃんに心配をかけております。
お客さんがこられて夜の十時十一時になると、
「お前、もう早う寝な、そんなことをしていたら、
身体が悪うなってしまうで」と言われ、
又土曜から日曜にかけて留守にしますと、
帰って顔を見せるまで心配をかけます。
この歳になってもまだ親に心配をかけ続けているのですけど、
ほんとうに申し訳ない親不孝者でございます。

心の中では少しでも母親に心安らいで頂きたいと、常に思っております。
親に心配をかけないように生きること、これが人生の基礎ですね。
その道が分からないから、自分が勝手に生まれて、
勝手に生きてきたような顔をして、気に入らなかったら、
「誰が私を生んでくれたと言ったんや。
お前ら勝手にいいことをして」と、
親に向かってこんなことを言う人がいますが、
これほどの罰当たりはありません。
しかし、平気でこれを言う人が案外多いのです。
ほんとうの親の有難さを知らないからですね。


          ~ 感謝・合掌 ~



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「講演集」より。

2015-02-27 00:12:01 | 浄心庵 長尾弘先生垂訓

          恩師のご著書「講演集」より


              講演集、 二


        我が子を救いたい親の愛


まだ一か月も経っていませんが、先日或る方が御相談に見えました。
足が痛くて引きつって歩けないのですね。
話しを聞きますと、夜中二時頃に起きて、藁人形をもって氏神様の森へ行き、
一生懸命呪いの釘を打っていられるのです。
こんなことは昔の物語かと思いましたら、今でもあるのですね。
鼈甲(べっこう)
の櫛を口にくわえて、鏡を胸に吊り下げ、頭に三徳をのせてロウソクを
三本立てて白衣を着ておられます。
鼈甲の櫛で口が裂けたように見えるのです。
そして人を呪い殺すのです。

これは人間の想念、行為の中で最も恐ろしい思いと行いです。
これをやりますと、相手を倒すだけでなくて、自分も倒します。
鬼の心にならないとそういうことはできないのです。
その方に言いました。
「あなたはどうかそれだけは止めて下さい。いろんな事情はあると思います。
しかし、それをやりますと、やがてあなたご自身がやられます。
これは間違いありません。だから、その恐ろしさに目覚めなさい」と。
足の痛い原因について、何か思い当たることがあるでしょうと尋ねますと、
実は丑の刻参りをしていますと告白されたのです。
普通ならお参りしているところを他の人に見られても人に知られても、
願いが成就しないのです。
そして自分の命が無くなるともいいます。
それを、その人は告白されました。
そこで、その恐ろしさを話しさせてもらいますと、「もう今日から止めます」
と言われました。

では、あなたの足、腰の痛みを治しましょうと言って光を入れますと、ポッと治ってしまいました。
あれほど跛(びつこ)を引いて痛んでいたのに、もう何ともありませんとのこと。
その鬼の思いに、鬼が食らい付いているのです。
これも話しをきけば無理がないのですが、その方はお譲ちゃんのことで心を痛めていたのですね。
お譲ちゃんというのは、勉強はよくできる、高校、大学と一度も親に心配をかけず、
よい大学を出られたそうです。
それが卒業して就職されると同時に、悪い男の人にひっかかったのですね。
それは暴力団の人だということです。

フィリピンからの女の人を連れてきては売っているような男にひっかかってしまって、
歳は二十も上で奥さんもある人なのですね。
こういう悪い人からどうしても離れられないでいたところ、
結婚の話しが持ち上がって結納も頂いたのに、
そのお譲ちゃんは嫌だと言うので、なぜ嫌なのかと問い詰めますと、
実はこういう人と付き合いがあると告白されたのです。
何とかしてそんな人と別れさせなくてはいけないと、両親は娘さんをきつく
責めたのですね。
お前がそんなことをするなら、私たちは死んで世間にお詫びをするとまで言われたのですが、
あまり厳しく言われたものですから、お譲ちゃんが家出してしまって、
一つ先の駅の所にあるアパートに住んで生活しておられたそうです。
それは男から逃げる為ですか、と尋ねますと、荷物はヤクザさんが運んできたもので、
男の為のものなのです。
お譲ちゃんのお兄さんが、あちこち探し回って居場所を突き止めて、アパートを訪ねた時に、
そのヤクザと会ったそうです。

そこで辛抱できなくなって、お兄さんがその男を殴ったのですね。
すると、逆にねじを食って二百万円も巻き上げられてしまったのです。
親にしてみれば、娘は取られるわ、銭は取られるわで、居ても立ってもいられず、
何とかしようと思って、こういう呪い事をしてしまったようです。
親は子への愛情の故に、鬼になってでも子を救おうとします。
たとえ地獄に落ちるとも、その子に代わることを思うのです。
大きな親の愛だったのですね。
それでお母さんを責めることはできませんから、「そういうことをしても、
お譲ちゃんは絶対に帰ってこられません。今日から止めて下さい」と話しますと、
「よく分かりました。来て良かったです。助けていただきました」と言って帰られました。


              ~ 感謝・合掌 ~



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「講演集」より。

2015-02-26 00:42:34 | 浄心庵 長尾弘先生垂訓

            恩師のご著書「講演集」より


               講演集、 二


         悪口を止めると心が楽になる


「人のことを悪く言わない、悪く思わない」と心に決めますと、
とても心が楽になります。
他の宗教に関係ある話しは、一つの分かり易い例になりますが、
人の悪口を言うことは、自分の心を苦しめる一つの大きな原因になりますから、
そういう話は一切言わないと誓い過ちを人様の前でしゃべってしまいますと、
言われた人はつらいと思います。
本当の愛に目覚めたら、そういうことも恥ずかしくなってきますね。
私は今後何年生きさせていただくか分かりませんけど、他の宗教、宗教に関係ある方、
或いはお医者さん、先生と言われる方たちの過ちを指摘しないように頑張っていきたいと思います。

そういう話を一切しないと決めましたら、すごく楽です。
笑い話しみたいなものですけど、胃下垂で何も食べられず、
肥えられるはずはないのにと思いますが、これはまあ笑い話しみたいなものですね。
こんな笑い話しでも、お医者さんが聞かれたら、あいつは何をぬかすか、と
嫌な思いをされますから、今後は一切言いません。
「言わない」ということは、ほんとうに楽なものです。
人の悪いことを知っていても見ない。
そして思わない。
そして言わないようにすると、素晴らしい人生に変わります。

これは決心をして行った時、これほど楽なものかなあと分かりますから、
皆さんも一つ私の真似をしていただいて、どなたのことも悪く思わないようにして下さい。
いかに功徳が大きいか分かります。
人を悪く言い、悪く思うことは、自分を苦しめる原因となっております。
「己の心を苦しめてはならない。己を大切にせよ」という神の御心に従って、
私たちは自分自身を大切にしていきたいと思います。
自分を苦しめたら可哀そうです。
自分の心を苦しめて、どうして幸せになることができるでしょうか。
そんなことはできません。
しかもそれを知らなければ、平気で私たちは自分の心を苦しめます。
怒り、妬み、愚痴、これはもう法に縁がなかったら、日常茶飯事のように繰り返しております。
怒った結果として頂くものは、心の傷であり心の苦しみです。


              ~ 感謝・合掌 ~



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「講演集」より。

2015-02-25 00:14:14 | 浄心庵 長尾弘先生垂訓

      恩師のご著書「講演集」より


          講演集、 二


       神は唯お一人である


インドのサイババさんという聖者は、偶像崇拝を否定しておられて、
神はただお一人であると言っておられます。
私の所にもお釈迦様、イエス様、お地蔵様といろいろのお像が置いてありますけれど、
これは祀っているのではなくて、ただ置いてあるだけで、
私は手を合わせて拝んだことはないのです。
困るのは、誰か知らないけれどそれらの前に銭を置いていかれることです。

そうしますと、崇拝することになりますから、どうか感謝、
お礼だけを言うようにして下さい。
物を供える必要はありません。
では、なぜ置いてあるのかと言いますと、こういう人類の尊いお師匠様、
地球人類の大お師匠の前で、日々の生活が恥ずかしくないように、
自分自身を常に監視していただくように置かせていただいているのです。
自分を常に監視していただいても、
見えない所でついちょっと過ちを犯す私のような者もおります。


         ~ 感謝・合掌 ~



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「講演集」より。

2015-02-24 00:28:12 | 浄心庵 長尾弘先生垂訓

          恩師のご著書「講演集」より


            講演集、 二


      大自然の力は念力を超える


先程のコンピューターの話しのように、
生かそうという菩薩の思いは壊れたコンピューターを動かしてくれます。
あの水晶に穴をあける能力を持っている方に向かって、
「あなたの持っている念の力と、私の頂いている自然の力と、どちらが偉大か、
どちらが強いかを試してみましょう。

あなたは自分の胃が絶対に動いてはいけないと念じてみて下さい」
と言いますと、その方は強力な念力で念じておられましたが、
私が「胃よ、その位置を変えなさい」と言いますと、胃はパッと位置を変えておりました。
皆さまもすでにご存じのように、胃は上から押さえますと、胃のある場所は痛いですね。
前もって胃のある位置を押さえておきましてこの場所ですから、確認していただき、
この場所から絶対に動いてはならないと念じて下さいと言い、その方が
念じられたのですが、私が言えば、胃は上に下にと位置を変えます。
大自然のエネルギーは小さい人間の念力などをはるかに超えているのです。
もう関係なしに超えますね。

自分にはそんな力は無いくせに、どちらが強いか試してみましょうと、
つい口を衝いて言ってしまったのですが、私が胃に対して上にきなさい、
下にきなさいと言いますと即、変わりました。
大いなる神の御業です。
訓練や鍛練によって、火のない所に火をつけたり、念の力で物質に穴をあけたり、
物を破壊したり、大きい声を出して岩を破壊したり、今でもチベットの
山奥に行きますと、そういう行者さんがおられるそうです。
目のあたりに見てきた人もあります。
いろんな人の出会いによって学ばさてもらいます。


           ~ 感謝・合掌 ~



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「講演集」より。

2015-02-23 00:13:57 | 浄心庵 長尾弘先生垂訓

      恩師のご著書「講演集」より


          講演集、 二


      救われる側から救う側に


縁なき方々に救いの手をさしのべていただくこと、これが神様に対する御奉公です。
救われる側がいつまで経っても救われる側であっては、神の使命を果たすことはできません。
全部が神の御子としてこのように肉体を頂いているのですから、
せめてこのことが分かった私たちは、肉体をもってこれを示し現わしていくべきです。
望むことなしに、その御業は示されます。

以前お話した、手が動いて止まらなくなったお子さんとか、
ものが言えない方とかを、私は治す力も自信もありませんし、
こうしたら治るということは全く分かりません。
ただ救われてほしい、こんなわけの分からない病から救われほしい、
何とか幸せになってほしいという私の思いが、神様を動かしたのです。
愛ですね。
その愛は誰でも皆現わすことができます。
「苦しい方を幸せにしてほしい」こんな思いは、ただ行えばいいのです。
力のないのは皆同じ、肉体を持てば同じ人間です。
ただ、要は行うか行わないかの実践にかかっています。

為せば成る為さねば成らぬ何事も成らぬは人の為さぬなりけり
何事も為せば成るのです。
私にこのような不思議な力を与えていただいても、
「相手が喜びもしないのにそんなことはあほくさくて、ただでできるか、
しんどいのにできるか」といって、
私がしなかったら、神の御業は現れません。
それと同じことで、皆さまもしていただいたら現れます。
神様は平等で、えこひいきは一切なさいません。
私も皆さまも同じことです。
では、私だけがどうしてこういうことができるのかと言いますと、私が行うからです。
皆さまも行っていただいたら、大なり小なり差はあるかも知れませんが、
必ず現れます。
それが神のご意志です。
救われる側から救う側に立ちたいと思いますね。
これが仏に目覚めることです。
菩薩はすべてを生かそうとなさいます。


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「講演集」より。

2015-02-16 00:58:23 | 浄心庵 長尾弘先生垂訓

         恩師のご著書「講演集」より


            講演集、 二


      神の心を人間が具現する


人間は全部神の御子、神の御使いです。
神様はなぜ人間をおつくりになったのか。
神は自分の姿に似せて人をおつくりになったと聞いております。
では、人間に何をさせる為に姿を神自らに似せてつくられたのかと言いますと、
それは、神の御心を人間が現わしてくれるように神様の模型をつくられたのです。
神はその愛の故に姿を滅せられました。
そして姿あるものを人間としてつくられて、この肉体を頂いた私たちが、
神の御心を、つまり神ご自身を具現―――

具体的に示し現わす為に、人をおつくりになったのです。
だから、私たちは、神が何を望んでおられるか、まずそれを知らなくてはなりません。
それを知るのが「法」です。
そして法を知ったら、自分でよく考え、よく思い、今度はそれを行動に移して
いくことですね。
神の心を、この肉体をもって現わしていけばいいのです。
その時、神は人間が肉体をもって神の心を現わしたことに対して、
「あなたは神の心をよく現わしてくれました。私は満足です」と、
喜んでくださるはずです。
その時、私たちは一人一人がみな神の御使いと変わります。


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「講演集」より。

2015-02-15 01:52:28 | 浄心庵 長尾弘先生垂訓

            恩師のご著書「講演集」より


               講演集、 二


        調和は幸せの根源――紙屋さんの話


I島に行きました時に、紙を漉いておられるお宅へ初めて伺いますと、
ジャンパーを着て貧乏髯を生やしていかにも貧乏たらしくみえるご主人が、
私を見てうさん臭そうにしておられました。
そこのお仏壇にお参りさせていただきますと、たくさんの金が出てきました。
おばあちゃんはその金を持ってご近所に見せに回っておられました。
お仏壇の真っ黒けの位牌を拝みますと、忽ちに文字が浮かんできて、金箔を
塗ったうるしの位牌がきれいになりました。

ご主人が小学校五年の時、修学旅行で奈良へ行き、金箔を塗った大仏様の
小さいのを自分の小遣いを全部はたいて買ったというのが、
お仏壇の奥から出てきました。
これも真っ黒です。
お仏壇には、お仏壇の作法がございます。
まず宗旨によって、正面の中央にはご本尊様、右側には祖師様―――
その宗教を興された方、左側には中興の祖――― 
一旦滅びかけたのを再び興して下さった方をお祀りするのが普通のしきたりです。
そこのお宅にはそういうものが何もないので、やはり作法に従ったほうがよろしいと言いまして、
その奈良の大仏さんの模型は毘盧遮那仏(びるしゃなぶつ)ですから、
大日如来様をこしらえましょうと言って、光を入れて大日如来様をこしらえまして、真ん中におきました。

次に、弘法大師様の色紙がありましたから、それで弘法大師さんをこしらえて置き、
不動明王様の代わりには観音様の首の落ちかけたのがありましたから、
これで不動明王様をつくり、三体揃えて光を入れますと、忽ち真っ黒だった
大仏様が光輝いてきて、お位牌も真新しいようになりました。
古いものは古いなりに光ります。
その方がおっしゃるのですね。
働いても働いてもお金は溜まりません。
その辺りにA教という宗教があるのですが、
それを信仰したらお金が溜まると聞いたので、
そこへ入ろうかと思っていたと言われるので、
「いやいや。そんなところへ入ったら、余計貧乏になります。
なぜかというと、信仰したら必ずお金をあげなくてはいけないから、
出した分だけ貧乏になります」と言ったのです。

「これでお金が溜まりますか」と聞かれるので、「お金がいっぱい溜まります」
と言って帰ってきました。
その後、一年経ってから再びそこへ行きますと、
きちんと背広を着てネクタイを締めてパリッとした方が迎えに来てくれました。
「あなたは初めてですか」と尋ねると、
「いや私はあの貧乏の紙屋です」と言われるので、びっくりしました。
あれから紙が売れて、二千枚綴じた半紙を壁の土間から座敷まで山のように積んであったのが忽ちに売れて、
注文に追いつかず、もう一年先までの注文がきているということです。
あの時、紙を安くたくさん買っておけば良かったと思うぐらい、それほど
売れっ放しになっているのですね。
主人いわく、「今度は紙の値段を高くして下さい」と、私は「知りません」と答えました。
この前の時、ご近所に金を見せに行かれたおばあちゃんが、
「先生はほんとうに福の神様ですのぅ、不思議な方です」とおっしゃいます。
これは、ご先祖様が救われ、家中が調和するからです。
光を頂いて調和しますと、身体は健康になり、商売は繁盛し、
家の中が明るくなって、幸せが訪れます。


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「講演集」より。

2015-02-14 00:26:51 | 浄心庵 長尾弘先生垂訓

         恩師のご著書「講演集」より


            講演集、 二


       喜びがその場所を清める


先日福井に招かれて、
Fさんという大きな履物屋さんのお宅でお話をさせてもらいました。
その町は静かな町であまりお客さんの動きもなく商売も成り立たないので、
もういつ止めようか、止めようかと思っておられたそうです。
ところが、私が寄せてもらってから毎日入れ変わり立ち変わりお客が見えて、
思わぬ売上があったそうで、商売繁盛で喜んでいられます。
それは、こういう心のお話をさせてもらいますと、その場所が清められるのです。
なぜ清められるかと言いますと、皆さんの「喜び」が、その場所を清めるのです。
そして光に満たされます。

光に満たされると、物事がうまくいくのです。
それはそれは、「福の神様」を迎えたようにように喜んでいただきましたね。
何年か前に岐阜に寄せてもらいまして、そのあと犬山のほうへ行く途中で、
或る大きいレストランに入り、おいしいフランス料理を御馳走になったことが
あります。
ところが見渡しますと、お客さんが少ないのです。

「先生、どうかお客さんが多くなるようにしていただけますか」とおっしゃるから、
私は「はい、はい」と言って外に出て、駐車場のところで、
「どうぞ光をお与え下さい」と祈りましたら、忽ちにお客さんがどっと入ってこられて、
私たちの坐る場所もないくらいになりました。
私自身が信じられないことばかりです。
その後一、二年して行きますと、
「先生、もう一回立ってお客さんを呼んで下さい」と言われましたが、
まあ、こんなことは絶えず起きます。

今日は犬山から、Mさんの妹さんもお越しいただいています。
庭の椎の木に何十年間実がついたことがなかったということですが、
去年は実がいっぱいなったそうです。
数え切れないほどの小鳥たちが集まってくるそうです。
ですから植物も喜んでくれます。
人間だけではありません。
植物も光を頂いたら、実をたわわにつけてくれますね。
すべてが調和されるのです。


              ~ 感謝・合掌 ~




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「講演集」より。

2015-02-13 00:26:33 | 浄心庵 長尾弘先生垂訓

        恩師のご著書「講演集」より


           講演集、 二


      すべてを生かす力は「仏の心」


先の続き・・・

ただ行かせていただいて、コンピューターに話をさせてもらっただけです。
そこで私にも壊す力が与えられていたら、良かったにと思うのですが、
私には、ただ生かすだけの力、ただ癒すだけの力しか与えられていないのです。
破壊する力は私にはありません。
すべてを生かさなくてはいけない、その心こそ仏の心です。

もう私は羨ましがるのは止めよう、
その人その人に与えられた使命でなさっているのだから、
そういう力をほしがってはいけない、その時思わせていただいたのです。
この話しを福井でさせていただきますと、或るおじいちゃんが「それはおかしい、
そんなことはあるずがない」とおっしゃるのですね。
もしそうなら、機械が潰れた時はみな、私が「直れ」と言えば直るのかと言われるのです。

それで、「そんなことを言っても、機械を直す為に専門家がいるのだから、
故障すれば専門家が直せばいい、専門家がよう直さなかったら、
私が直させていただくのです」とお答えしたのですが、その後も随分逆らっておられました。
それで、「百聞は一見に如かずです。もしお疑いなら、私がその会社にご案内します。
会社の方からあなたの納得のいくように説明していただけると思います」
と言ったのです。

その時面白かったのは、コンピューターが直ったあと、二階でお茶を御馳走になったのですが、
「先生、ついでにこの株もちょっと上げておくなはれ」と言われたのです。
株券というのは今まで見たこともありませんでしたが、たくさん持ってこられました。
私は「はい、はい」と言って、光を入れておきました。
そうしますと、その年、何千万円かの赤字だったのが、株で儲かったお金で
借金を全部返して、まだ何千万円か残ったということです。
(会場に来ておられるご本人に「ほんとうですねえー」と先生が声を掛けられて大笑い)
何千万も儲かったのなら、その内の少しでも私に呉れたらいいのになあと思ったほどです(笑い)。
しかし、光を入れると現実にそうなるのです。


             ~ 感謝・合掌 ~



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「講演集」より。

2015-02-12 00:16:29 | 浄心庵 長尾弘先生垂訓

        恩師のご著書「講演集」より


             講演集、 二


     すべてを生かす力は「仏の心」


たまたま、私は潰れてコンピューターを直させてもらう体験をしました。
Uさんは近くの大きな生コン会社の社長をしておられます。
生コンのミキサー車を五十台ほど持っておられる会社です。
そこのコンピューターが潰れて動かなくなり、専門家が何日も泊りがけで
悪い所をしらべて修理してくれたけど、コンピューターが動いてくれないのです。
そこで社員が相談して、専門家が来ても駄目だったら、
長尾先生に頼まなければしょうがないということになって、
そこの社長から電話があり、一度お願いできませんかと言うのですね。

私はコンピューターは見たこともありませんから、「専門家に頼んで下さい」と
言ったのですが、「専門家が駄目だから、先生にお願いしているのです」と言われます。
行きますと、事務所にコンピューターが据えてあって、
現場のほうにその指示する機械が置いてあるのです。
私はコンピューターに話をする前に、
どうぞこのコンピューターに調和の光をお与え下さいと祈ってから、
コンピューターに、「あなたもこの世にコンピューターとして生命を持たれたのですから、
精妙なる働きをしなくてはいけません。

それをこのように不調和を起こすとは何事ですか。
この世に現れた限り、みな使命があるのです。
あなたはその使命を果たしなさい」と話しますと、コンピューターがパッと直ったのです。
その後、一回も故障していないということです。


           ~ 感謝・合掌 ~




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「講演集」より。

2015-02-11 00:33:33 | 浄心庵 長尾弘先生垂訓

      恩師のご著書「講演集」より


           講演集、 二


        破壊する超能力


或る先生はすばらしいお話を毎月しておられるそうです。
その先生がこられた時の話しですが、日本の防衛庁にも、遅ればせながら
超能力をもって相手のスパイ行為を探知するとか、或いはミサイルを人間の
念力によって破砕するとかいう研究を進める機関ができて、その国家予算が
この程おりたそうです。

科学先進国の米・ソなどでは、国の研究として進められているそうです。
ミサイルでも水爆でも、みなコンピューターで動いています。
そのコンピューターを壊してしまえば爆発しないわけですが、
それをうまいこと研究する機関が日本にもできたのですね。
そこへ、その先生が教官として招かれたそうです。
最初はそれとは知らずに、一度来て下さいと招かれて東京に行かれたそうです。
すると、「コンピューターを念力で破壊することができるのですか」と聞かれたので、
「できるでしょう」と言って、コンピューターというのはどんなのかと見せてもらうと、
三台あったそうです。

「A,B,Cのコンピューターを破壊させる箇所をそれぞれ別の場所を指定して潰しましょう」と言って、
離れた別の部屋から意識を送られたら、三つともその
箇所が潰れたとおっしゃっていました。
目の中に指を突っ込んで掃除をされるBさん、この方も超能力の持ち主ですね。
念力で直径三十センチ程の水晶の原石に穴をあけられたということですが、
私はこんな真似はとてもできません。
世の中には不思議な人もいるものです。


            ~ 感謝・合掌 ~



※ こちらも御覧下さい。
「恩師「長尾弘」先生の関連ブログ」
① 「神の御心」・心身の神癒
http://blogs.yahoo.co.jp/tenzenhana 
② 「光の天使」・ブッダのことば
http://blog.goo.ne.jp/minraianko 
③ 「神癒の奇蹟」・心身の神癒
http://blog.goo.ne.jp/kaminoiyashi 
④ 「長尾弘先生垂訓」・講演集
http://blog.goo.ne.jp/hanatenzen 
⑤ 恩師「長尾弘」先生御著書・御講演 
http://blog.goo.ne.jp/eikawa-tenzen 
⑥ 恩師「長尾弘」先生御著書・思いの中に生きる (新規に追加)
http://blog.goo.ne.jp/omoinonakani






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「講演集」より。

2015-02-10 00:14:49 | 浄心庵 長尾弘先生垂訓

        恩師のご著書「講演集」より


            講演集、 二


    病気の原因は肉体を支配する「心」


すべてがそうだともいえませんが、病気というのは、
心の不調和が集まり集まって、肉体の上に形として現れたものです。
現象化した私たちの肉体を支配している支配者とは、
それは私たちの「心」です。
心は肉体の目で見ることができません。
しかし、今日お話会がある、
では寄せていただこうかと皆さまは心に決定を下されたはずです。
そして、肉体がそれに従ってこの場所に集われました。
もし、「ああ、私はもう止めておきます」と、心に決めますと、
この場所に肉体は絶対に来ません。
心はそのように、決定権を持っております。
心が支配するのであれば、病気も同じように心の支配を受けます。


            ~ 感謝・合掌 ~





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「講演集」より。

2015-02-09 05:02:51 | 浄心庵 長尾弘先生垂訓

        恩師のご著書「講演集」より


            講演集、 二


      光に満たされると病が消える


先日F市で質問の時間をいただきました時、
或る五十代の男の方が手を挙げられました。
「どうぞ」と言いますと、
「質問は無いのですけど、先生にお礼を申し上げたいのです。
私はぎっくり腰で今日はタクシーに乗ってこの会場まで来て、
人の手を借りてやっと部屋まで来たのですが、今は全然何ともありません。
お話を聞かせてもらっている間に腰痛が治り、なんともなくなりました」と言って、
前で体操をしておられるのです。

すると、肩の痛かった方が何人も、「そういえば、私も何ともありません。
治った、治った」とおっしゃいました。
それはなぜかと言いますと、その会場が光に満たされるのですね。
光に満たされますと、あそこが痛い、ここが痛いという闇が消し去られてしまうのです。
肉体の不調和、つまり痛い苦しいというのは全部闇です。
その闇は法の光で照らされた時、光にさからうことはできませんから、
痛みが消えてしまうのです。
こういうことはよくございます。

お医者さんから見放された肝硬変の方が、お話を聞いていただいている途中で、
完全に治ったという例があります。
そのお医者さんはなぜ治ったのか分からないとおっしゃっていますね。
まさに奇跡です。
一般的には全く考えられないことですから、奇跡が起きたとおっしゃるのです。
しかしそれは光によって闇が払われただけのことです。
そのように寄せっていただく先々で、
信じられないような奇跡を見せていただきます。


           ~ 感謝・合掌 ~




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「講演集」より。

2015-02-08 00:27:18 | 浄心庵 長尾弘先生垂訓

       恩師のご著書「講演集」より


            講演集、 二


      火事の時も神から守られる



この前の金曜日でしたか、夜、皆さんがおいでになって
ここで禅定をさせていただいていました。
皆さんと坐っておりましたら、静かにそこを開けて小声で
「燃えてますよ、燃えてますよ」と言われるので、
何をおっしゃっているのかと思って、
静かに目を開けて「ああ燃えてますか」と外に出て見ますと、
一軒おいた家がぼうぼう燃えているのです。

火の粉が飛んで来て、しかも台風の夜で、風がこちらに向いていますから、
これは危ないなあと思いました時に、急に風向きが変わって反対に吹き出しました。
それで「もう皆さん心配ありません。どうぞ安心して下さい」と言って、
私は燃えている火の元を消しにいっておりました。
一軒おいて隣からずっと十軒燃えたそうです。
大火事で、そこへ台風でしたが、さすがに皆さんは私の心の友で、

心ができておられます。
二階に上がって火事を見物なさっています。

普通だったら荷物をかついで出るところですのに、燃えている隣の家の屋根に
上がって火事見物をしておられるのです。
私は火を止めるに必死の思いで走り回っているのに、
二人のお客様は火事見物をしておられました(大笑い)。
心を学んでいても、各自その人その人の心の段階があります。
しかし本当に有難いことで、瞬時にして風の向きを変えていただいて、
二階から見ておられた方は、火がこちらに来ても、途中で炎は向こうのほうへいったと
話しておられました。

そのお陰で焼けずに助かりました。
もし燃えてしまったら、皆さん集まる場所が無いところでした。
神様のお陰だと思って心から感謝しました。
皆さんの「心のふるさと」が燃えたらえらいことでしたが、
ほんとうに神様のお陰ですね。
こうして守られている、守っていただいているということが、
ひしひしと感じられます。


             ~ 感謝・合掌 ~



※ 関連ブログとして新しく恩師「長尾弘」先生御著書「思いの中に生きる」を
  追加しましたので、こちらも御覧ください。
  http://blog.goo.ne.jp/omoinonakani




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