~ 恩師の「心行の解説」より ~
先の続き・・・
取る方法は「徹底した自己反省」をさせていただくことです。
生まれてから今日までの間を振り返り、「あの時あのような過ちを犯した」
「あの時はこんなことをして人を恨んでしまった」と、
一つ一つ神様にお詫びさせてもらい、これを改めていくことです。
そしてその悪の償いとして善き行いを積み重ねた時にだんだんと心の曇りが薄れます。
反省を通して心の壁、カーテンを打ち破った時、自らが光であるということが体験できます。
五官の感覚は全く消えて光だけになるという体験を、私はさせてもらいましたので、
間違いございません。妙な霊能力がつくとかいうものとは違って、全く異質なものです。
お釈迦様は誰でもできる道をお説きになったはずですし、
イエス様も誰でもが救われる道をお説きになりました。
仏も昔は凡夫だったのですから、私たちも悟った時には仏と化すことができます。
これを「やがては死ぬから仏になる」と思えば大きな間違いです。
死んだら仏になるのではありません。悟られた方が仏になるのです。
死んだ者は亡くなった者、つまり「亡者」と書きます。
亡くなった方のお宅へ行って「亡者さんにお悔やみさせて下さい」と言うと無礼だと叱られますから、
いっそ死んでしまったのだから仏にしてしまえといって
「仏さんにちょっとご冥福を祈らせて下さい」と言うようになったのです。
ほんとうは悟りもせずに死んでしまったら皆亡者です。
死んで硬直を起こしたり、怖い顔をしたりしている方は気の毒ですけど皆亡者さんです。
この世を去った時、その方の人生のすべてが、肉体に現れます。
昔から「人の価値は死んだ時に分かる」といったものです。
それは、死にざまと、亡くなった時の姿を言うのです。
この世でのお付き合いが多く、顔の広かった方や何とか議員という方のお葬式で花輪がいっぱい並び、
この世的にお葬式の送り人が多かったので値打ちがあるというふうに一般には思いますが、
ほんとうはそういうものではなく、自らの心を悟り、神の子として生き、
この世を去る時に成仏された方こそ値打ちがあります。
こういう方は死後硬直は起きないという形でその方の価値は肉体の上に現れます。
今まで人が亡くなれば死後硬直が起き、必ず冷たくなるものと思い、それが常識となっておりましたが、
硬くなるようでは成仏できていないのです。
その数からいいますと、いかに成仏できないお方が多いかということが分かります。
しかし硬くなったお方にも、
私たちがほんとうに愛の心をもって法をお伝えさせていただきますと即、硬直がとけます。
今冷たくなって見るのも無残な姿をなさっていても、ご本人が自分の過ちに気付き、死というものを認識し、
そしてこの肉体から魂がうまく離れることが出来た瞬間に肉体はふわふわと柔らかくなります。
こういうことはたくさん体験させてもらっていますね。
これは自ら菩提と化すことを悟られたから、そうなったのです。
~ 感謝・合掌 ~