恩師のご著書「思いの中に生きる」より
「感謝する」とは
「感謝」は自分の心を一切の魔から守っていただけます。
それはどういうことかといいますと、人間の心は二つの思いを同時に思う
ことはできません。
どんなに器用な方でも心は二つを同時に思えないように神様が
お作りになったのでしょう。
心を分析しましたら、心というものは
必ず一つずつしか思えないようになっています。
瞑想又は精神統一されたらよくわかるでしょう。
「一度、心を統一しよう」と思って坐ってみて下さい。
心はたちまちコロコロと転げ回ります。
まるで山野の猿の如く飛び回るものです。
ところがよく考えてみますと、必ず一つ、一つずつを思っています。
禅定して、「今日は心を統一して禅定三昧に入ってみたい」と思っている時、
誰かが下駄の足音をカタカタと鳴らして通ったとします。
「ああうるさいなあ」「今の下駄の音は重そうだからたぶん男だろう」
「あれは大分よく肥えた人にちがいない」「どこの人かなあ」
「今頃、何をしに来たのだろう」・・・・もう次から次へと休むことを知らず
思いが飛び回りますが、必ず一つずつだけ思っています。
「ああ悲しい、ワッ嬉しい」この思いを同時に思うことはできません。
また、怒り狂いながら心に安らぎを持つこともできません。
必ず一つずつだけを思っています。
ということは、「ああ有難いなあ」、
「有難いなあ、結構やなあ」と思っておりますと、
その思いだけしかできないはずです。
それでは、もし一日のうちの十分間「ああ有難いなあ、結構やなあ」
「ああ有難いよ」と持続できますと、
この十分間は、他の考えは入れないです。
ということは、今日という日の一日の中で十分間が心安らかだったのです。
では、一時間「ああ結構やなあ、結構やなあ」と言って感謝の念を持ち続けたら、
今日という日の一時間は幸せな時間が保つわけですね。
じゃあ、もう一日中「結構や、結構や」と言って暮らしたら、今日という日が、
幸せ以外の思いが入らないから、幸せだったはずですね。
して、その積み重ね、今日一日「結構結構」と言って暮らし、また明日も
「結構結構」と言って暮らしますと、また明日も幸せな一日。
二つを同時に思えないのですから。
この積み重ねが幸せな人生になるはずです。