浄心庵・長尾弘先生「垂訓」

八正道と作善止悪

「垂訓」

2023-05-31 00:30:46 | 浄心庵 長尾弘先生垂訓
  
 恩師のご著書「講演集」より


              講演集、三

          「行深般若波羅蜜多時」

先の続き・・・

そして、その実体の無いものに、私たちは振り回されていたのです。
また、この見方からしますと、
「是諸法空相、不生不滅、不垢不浄、不増不減、是故空中無色・・・
無老死・・・」病気をすることも無いはずです。

不老不死、年老いることも、死ぬことも無いと、
ちゃんと「般若心経」の中に分かり易く書いていただいているのですね。
私たちの肉体もそうです。

オギャーと生んで頂いて五十年、百年の間には、全部消える存在です。
私はここに在りますと言っても、いつの日か必ず消滅します。
なぜ消えなくてはならないかというと、それは実体が無いから消えて当然
のことなのです。

ただ形として現象として現れただけの世界で、かげろうのようなものです。
現れては消え、現れては消えしている水の泡のような存在がこの世の実相です。
「般若心経」はそのことを「三世諸仏、依般若波羅蜜多故」
過去、現在、未来の諸仏は、このことを悟っておられると、語っています。
難しことは書いておりません。


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「垂訓」

2023-05-30 01:22:11 | 浄心庵 長尾弘先生垂訓

      恩師のご著書「講演集」より


              講演集、三

          「行深般若波羅蜜多時」

先の続き・・・

ここに在る食べ物は、形として現れた物質で、
「これはほんとうは無いのです」と言いますと、
「いや、そこに在る」と言います。
在るから実在していると、私たちは思っていました。
そこに間違いがあったのです。

「では頂きましょう」と言って、私が食べたら、
忽ちにしてこの世から消える存在です。
実体が無いから消えるのです。
お茶もそうです。

飲めば、実体が無いから消えて当たり前、
形として現れているから消えるのです。
消えたけど、尻から又同じものが出てきたというのでしたら、
これは実体です。

しかし、この世に実在はしません。
なぜかというと、実体が無いから実在しないのです。
「般若心経」には、それが説かれております。
そして私たちが触れたり、見たり、聞いたりしていることも、
ほんとうにはただ現れているだけで、
実体が無かったのです。



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「垂訓」

2023-05-29 00:01:51 | 浄心庵 長尾弘先生垂訓

         恩師のご著書「講演集」より

             講演集、三

         「行深般若波羅蜜多時」

「色は即ちこれ空なり、空は即これ色なり」の「色」とは目に見えるこの
世界、「空」とは目に見えない世界です。
つまり「実在界はこれ即ち現象世界である。
現象の世界はこれ即ちあの世界であり、あの世は即ちこの世である」と、
説かれています。

ほんとうの言葉の上から見ますと、物質化現象として現れたものが「色」で、
実体のないものが「空」です。
「この世に現れたすべてものは実体がないのである。
物質化現象と化しているからこそ、実体が無いのであって、
実体が無いからこそ、物質化現象として現れているのである」


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「垂訓」

2023-05-28 02:52:05 | 浄心庵 長尾弘先生垂訓

         恩師のご著書「講演集」より


             講演集、三

         「行深般若波羅蜜多時」

そして智慧に到達する行いを日々深く実践した時、
「照見五蘊皆空度」
色、受、想、行、識の五つの人間の構成要素は皆、空である。
この「空」というのは、高橋信次先生は、形のない世界、
目に見えない世界と説かれました。

これは実体が無いということで、それを見通されたのです。
五蘊に囚われた時、それは「一切苦厄」すべて苦しみである。
災難の元であると、説かれたのです。
そして「般若心経」の中で最も大事なことは、
「色不異空、空不異色、色即是空、空即是色」です。


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「垂訓」

2023-05-27 00:23:24 | 浄心庵 長尾弘先生垂訓

 恩師のご著書「講演集」より


            講演集、三

          「観自在菩薩」

心で観ることの自由自在、これは、私たちが努力すれば誰でもできます。
どんな人を見ても、その人のすばらしい面も、すばらしくない面も、
すべて見通す力を常に修練して、身につけることが説かれています。
高橋信次先生の「原説般若心経」では、現在、過去、未来のすべてを見通す
能力をもった方と説かれています。

これは、私たちにはなれません。
なれる方はごく限られたお方ですが、しかし見ることの自由自在は、
私たちの誰にでもできるはずです。
お釈迦様は、私たちにできないようなことはお説きになっておられません。
私たちにも、なれる教えをお説きになっていられます。


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「垂訓」

2023-05-26 00:05:12 | 浄心庵 長尾弘先生垂訓

 恩師のご著書「講演集」より


            講演集、三

        「般若心経」の深い教え

或る方が書かれた「般若心経」の説明には、
「どこの誰がどう言った、
どこそこの誰はこんなふうに説明している」と、
そんなことばかりが書いてあります。
結局、何を言っているのか分からないと、
先日これを読まれた方がおっしゃっていました。

お釈迦様の第一の弟子と称する方が、
「私の説いた般若心経は、後にも先にも説く者は無い」と言って、
「般若心経」を書かれたのですが、お釈迦様の
第一のお弟子が、そんな分からないものを書くはずがありません。
まあ、皆様も「般若心経」については、いやというほど聞いていられると
思いますが、「摩訶般若波羅蜜多心経」
これは、私たちの心の奥底に内在する偉大な智慧に到達する心の教え、
ということですね。

恐ろしい般若と、智慧という意味の般若とが、全く同じ漢字です。
「波羅蜜多」は到達する、東京から岸和田へ到達してもらった、
或いは九州からここへ、この場所(無智)から
あの場所(智慧)へ到達する心の教えが説かれています。


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「垂訓」

2023-05-25 00:22:00 | 浄心庵 長尾弘先生垂訓
 
   恩師のご著書「講演集」より


             講演集、三

        この世における償いの法則三つ

先の続き・・・

次に、折あるごとに、「法の話を聴く」ことです。
正しい教えを常に聴いて、行いに移していく、
これが心を清くしていくことになります。
それと、「自己反省を常に行う」ことです。
それによって、いつの日かまた透明な綺麗な心に変わります。
透明な心になりました時、あの幼な子が神の光を見ましたように、
私たちもまた見ることができるようになります。

そして、神のみ胸の中に自らが抱かれていることを知ります。
イエスは常に「我、神と共にあり、神、我と共にあり」と言われました。
それは、イエス様だけでなく、私たち皆が神と共にあるのです。
それを自覚することです。
善き行いによって、それを知ることができます。
ご奉仕によってそれを体得することができるのです。
神と共にある自覚は、理論によっては、できません。
愛の実践によってのみ自覚されます。


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「垂訓」

2023-05-24 00:09:48 | 浄心庵 長尾弘先生垂訓
 
     恩師のご著書「講演集」より


             講演集、三

        この世における償いの法則三つ

しかし、この世には償いの法則というのがあるのですね。
犯した罪は自分が償わなければなりません。
まず、その罪の消滅のために、「善行を積むこと」です。
亡くなった方は意識の世界ですから、悔い改めれば許されます。
しかし、この世に生きて肉体をもっておれば、過ちを認めた時、
これを悔い改め、そして償いの善き行いを積むことによって
贖罪することができます。

中国の方は、それを短い言葉で「止悪作善」と言って、
悪をとどめて善を積みなさいとお説きなっています。
私たちはあのAさんの幼な子のように、綺麗な心で生まれてきたのです。
神が私を通して現わされるその光を、あの幼な子が見ておられるのです。
だから礼拝をされます。

それが成長するにつれて心を暗くしていきます。
怒り、憎しみ、不安、増上慢によって、やがて心を真っ黒にしていきます。
ではどうしたら、この真っ黒になった私たちの心をまた元のあの幼な子の心に
戻せるかです。
まず怒り、憎しみ、妬み、愚痴、恨みを止めることです。
即、断つことです。
それに代わって、今度は善い行いを積み重ねていくと、いつの間にか清らかな
心に戻るはずです。
これが善き行いによる償いの行為です。


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「垂訓」

2023-05-23 00:10:46 | 浄心庵 長尾弘先生垂訓

   恩師のご著書「講演集」より


             講演集、三

          先祖供養の窮極の目的

先の続き・・・

「もし、お仏壇の中に意識を持っておられる
ご先祖様がおられましたら、
私の申し上げることをよく聞いて下さい。
仏壇の中に思いを残しては、成仏ができないのです。
あの世とこの世とは、世界が違います。
私たちは、この世を去れば、
ほんとうの心のふるさとに帰ります。
仏教では極楽と申しております。
キリスト教では天国と申しています。

その世界に帰ってこそ、ほんとうの成仏ができるのです。
ですから、この地上から一切の思いを離して下さい。
この地上において生活された五十年、
百年の間をよく振り返ってみて下さい。
私たちは、この肉体の故に、或る時は腹も立てました。
又、愚痴、恨み、憎しみを持ちました。
そのような時、皆様の心は如何だったでしょう、
苦しくはなかったですか」と、
聞いてみるのです。

苦しいのは当たり前ですね。
「その苦しみこそ心の錘となって、
その為に光の世界へあがることができないのです。
ですから、よく自分の人生を振り返って、
自分の行いを反省し、心の苦しみを
作った原因があれば、まことの神にお詫びしなさい。
その時、必ず心は安らぎます。

心が軽くなります」といって、話をさせてもらいますと、
皆さんが自分の人生を振り返ってくれますね。
「自分の心を苦しめたことによって、
天にあがることができないことを知って
下さい」と話をさせてもらって、
三分から五分経ちますと、仏壇がパァーと
光り輝いてきます。

仏壇に触れもしないのに光り輝いてくるのはなぜかと言うと、
その仏壇の中におられた諸霊が、極楽へ行って下さったからです。
そう思います。
即、変わります。
長い時間は要りません。
心から悔い改めた時、私たちのどのような罪も過ちも許されます。


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「垂訓」

2023-05-22 00:18:10 | 浄心庵 長尾弘先生垂訓

 恩師のご著書「講演集」より


         講演集、三

       先祖供養の窮極の目的

先の続き・・・

その証拠に、こういう例があります。
或る宗教を信仰される方が、
拝めば拝むほどご利益があるのだと言って、
いっぱいの霊を集めて拝んでいたのです。
その場所が狭いお宅だったらしくて、
箪笥の上に祀ってあったのですね。

南無妙法蓮華経と一年ほどやっておられて、
夜、その人が休まれてうとうとしていると、
その霊が箪笥の上からドスンと飛び下り、
ミッシミッシと歩いてきて、ガッつと体を押さえます。
その方は金縛りになって、もう動けないようになるのです。
これはえらいことだと思って、さらに一生懸命拝みますと、
又、晩になると出てきます。

そういうことがずうっと続きました。
それで、「拝むのをやめなさい、止めてみなさい、
そしたら、それが無くなるでしょう」と言いまして、
その人が拝むのを止めますと、
その晩から下りてこないようになりました。
一生懸命拝んで霊を呼んでいるのです。
そして自分が押さえつけられています。

こんな結果がなぜ出るかと言いますと、
成仏されていない証拠なのです。
私はどこかへ行って、
お仏壇にお参りさせてもらいましても、
まあ三分から五分の時間です。


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「垂訓」

2023-05-21 00:05:34 | 浄心庵 長尾弘先生垂訓
 
 恩師のご著書「講演集」より


             講演集、三

         先祖供養の窮極の目的

さまざまの宗教は、先祖供養を主としてやっているのが多いですね。
この先祖供養の窮極の目的は何か―――。或る宗教では、六親眷族の中の
一人でも多くの死んだ人を寄せ集めてきて拝んだら、功徳があると言って、
それに戒名をつけてもらって、もう何百体という親戚縁者の死んだ人を集めて、
一生懸命に拝んでいます。

これは、もし悟っておられる方であれば、戒名を付けようが、
名前を呼ぼうが、あの狭い仏壇の中には来られません。
悟ったお方はもう自由なのですから、もしも、そういうものに救いを求めて
こられる諸霊があれば、これは成仏のできていない未成仏霊ばかりです。
そういう方をいっぱい自分の家の仏壇にお招きしますと、必ず良い結果が
出ません。

先祖供養の窮極の目的は、この現象の世界から思いを離して、
ほんとうのふるさとへ帰っていただくことです。
天上の世界ですね。
それ以外に、先祖供養はないと思います。
一般の先祖供養をなさっている古い宗教、或いは新しい宗教がありますけど、
それは窮極の目的を知らないで手段をとっているだけです。

例えば、物を供える、お経をあげる、或いは線香、ロウソクを供えるのですが、
こんなものでは成仏できないのです。
成仏どころか、「ここにおれば安心だ、ここにおれば、お経も線香も供えてくれる、
ああ長いこと放ったらかしにされていたけど、ここにいたら安心だ」と言って、
却って霊をその場所に留めてしまって、成仏できない結果になります。
執着を与えるのです。


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「垂訓」

2023-05-20 00:53:43 | 浄心庵 長尾弘先生垂訓

          恩師のご著書「講演集」より


               講演集、三

        先祖供養はまず己が成仏すること

先の続き・・・

私たちの子供は「病気で苦しい」とか、「貧乏だから叶わん」とか、
「お金を下さい」とか、「喧嘩ばかりして悲しい」とか、言ってきたとしたら、
親の立場としてどんなに苦しいか分かりません。
代われるものなら代わってやりたいと思いますが、肉体をもっていても、
代わってやることはできません。
死んだら、今度は急に力が出るのかと言うと、それは出ません。
親が子を思うように、先祖様も私たちを思って下さいます。
可愛い、いとしいその血縁の者が、嘆き苦しむのを喜ぶご先祖様はどこにも
ありません。

ましてや、罰を当てるご先祖などがあったら堪りません。
ご先祖様が祟ったとかいいますが、そんなことはあるはずがないのです。
しかし、ご先祖様が迷っておられますと、苦しい故にその苦しみを訴えて
こられる場合があります。
もし、頭痛、腹痛で、それを肉体の苦しみということを悟ることができない方は、
あの世へ行っても苦しんでおられますね。
そういう方がもし苦しみを訴えてこられた時、肉体を持った自分の可愛い子供に、
同じように現れる場合があります。
だから、罰を当てておられるのとは違って、救いを求めておられるのです。
そこを誤解してはいけません。



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「垂訓」

2023-05-19 00:16:12 | 浄心庵 長尾弘先生垂訓
 
  恩師のご著書「講演集」より


               講演集、三

         先祖供養はまず己が成仏すること

ご先祖様についても、同じことが言えます。
ご先祖様を地獄へ落とそうと、極楽へお上げしようと、
それは私たちの生活態度の中にあるのです。
「南無妙法蓮華経」または「南無阿弥陀仏」と言って、
三時間も四時間も拝んでいても、
自分たち親が喧嘩ばかりして不調和な生活をしておりましたら、
いくら拝んでも駄目です。

ご先祖様に成仏していただこうと思えば、まず己が成仏し、
自分が救われることです。
ご先祖様というのは、私の上にはお父さんお母さんがあり、
そのお父さんお母さんの上には、
又それぞれお父さんお母さんがおれれます。
三十代溯っただけで、なんと、十何億という数になるそうです。
だから十何億というご先祖様の尊い縁の凝固したのが、
私たち一人一人です。
ですから、何々家先祖代々という一本の筋かと思いますと、
そんなものとは違って膨大なご先祖様の筋があるのです。

それこそ十何億という大勢のご先祖様の因縁を
頂いて生まれた私たちですから、
その大勢の方の良いところ、悪いところを頂いているはずです。
今、肉体を頂いた自分が救われた時、
自分に縁あるご先祖様は成仏して下さいます。
自分が苦しんで迷っていて、どうしてご先祖様を救うことができますか。
ご先祖様の前で自分の悩みや苦しみを聞かせることが大変先祖不孝です。




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「垂訓」

2023-05-18 00:09:25 | 浄心庵 長尾弘先生垂訓
 
 恩師のご著書「講演集」より


             講演集、三

         師、親の価値を決めるのは自分

高橋信次先生はもう古いと言って、掲げていた先生の写真を下ろして、
法を説いていられる方があります。
私は生きている限り、先生のお写真は下ろすまいと思っております。
私の死んだ後は知りません。

尊い師を地獄に落とすのも、天上の世界に上げるのも、
私たち弟子の行いの中にあります。
それは、親子の関係でも同じことが言えます。
価値ある親にしようと、価値のない親にしようと、
それは、子供の生き方の中で決まるのです。
もし、子供が世間様に対して恥ずかしい行いをやってくれたら、
親はどれほどつらい思いをしますか。

そして、あの子があんなだから、親もあんな人間だろと言って、
親の値打ちを落とします。
親を悩ませ悲しませると、自分を生んでくれた親をさえ地獄へ落とします。
心配をかけ、夜もオチオチ寝られないような心配をかけたら、
親の心は地獄です。

正しき道を日々に行じ、
そして喜んで安心していただくように私たちが生きた時、
「あの親あって、あの子があるのだなあ、あの子あってあの親はある」
親は立派だと、親を極楽へ上げることができます。
価値ある親にするのも、しないのも、
私たち子供の肩にかかっているのです。


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「垂訓」

2023-05-17 00:40:33 | 浄心庵 長尾弘先生垂訓

恩師のご著書「講演集」より


              講演集、三

           大樹に実る神理の実

私は大地にしっかり根を張らせて、
地震や大風に遭ってもビクともしないような大樹になりたいと思います。
その大木にはいっぱいの実をならせて、
小鳥とか栗鼠とかが私の実を思う存分食べてくれたらいい。
「この木の中はいい場所だな、ここにいれば安心だ」と思えば、
私の木の中に巣を作ってくれても結構、実をいっぱい食べて満腹すれば、
又、余所へ飛んでいってくれても、これも良し。

その母なる大地に自分の根をしっかり下ろして、神から栄養を頂き、
そして、神理の実をみのらせることです。
真理の実はいくらでも実のってくれます。
その実を皆さんが好きなだけ食べてくれたらいいのです。
心の糧としてもらったらいいのです。
飛び去るもよし、あの実はやはりうまかったと言って、帰ってきてもよろしい。
常に実をならせ続けたい、そのような存在でありたいと思っております。
去る方は自由です。

来てくれる方はこれも自由です。
いっぱい私の実を食べて下さい。
私の実は神のみ言葉です。
神理です。
それを日々の生活に実践していただいたらいいのですね。
去るもよし、来るもよし、風とか地震とかに揺れ動かない不動の心、
その不動心をつくって常に神の実をならせ続けていきたい、このように
願っております。
私から離れたら罰が当たるとか、そんなことは言いません。
言わないのが自然の姿だと思います。
ほんとうに為になるものならば、必ず集うてきます。
自分がどうこうは考えなくてもいいのです。
その証拠は、このように私のつたない話を全国の縁ある方々に
聞いていただくことが証明です。




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