恩師のご著書「講演集」より
講演集、 二
死を迎え、死を送る心の準備
先の続き・・・
このお話をしますと、皆さんから「水くさい」と言われます。
しかしこの世を去って、いとしい者や心配のある方のところへ現れますと、
決して歓迎は受けません。
死後、お葬式も済んだのちに、「私はあんたらのことが気になるのだ」と
言って出てきてごらんなさい、誰が歓迎してくれますか。
幽霊は若いお母さんが多いです。
子供を抱いたお母さんはその情の故に、愛のなさけの故に迷うのです。
肉体を持った私たちもそうです。
情けに流されたら迷い、そして、苦しみの中にはまります。
死を境として歓迎してもらえないのがこの世の定めですから、
もう一目散に走っていくことですね。
命が終わりました時、自分が死んだと気付かせてもらったら、
振り返ることなく、この地上界のすべてから思いを離してふるさとへ帰ることです。
正しい生活、正しい法の中に生きた時、私たちは苦しみから解脱することができます。
死んでも迷いません。
そして自分の帰っていく世界がちゃんと分かります。
自分はこの世を去った時、あの辺りの世界に帰るのだということが分かって、心が安らぎます。
私はあの世に帰る時は、このようにして帰ろうと思っています。
たとえどんなに苦痛に襲われても、近くにいてくれる方に、
「有難うございました。ほんとうにお世話になりました。
どうぞしっかり法を実践して幸せになって下さい」と、
この世にある限りの力をふりしぼってお礼を申し上げたいと思います。
そして「今この場におられない方々にも、もしお会いになったら、
どうぞよろしくと、私からのお礼を伝えて下さい」と、
これだけは言わせてもらわなくてはいけないと常に思っております。
また、肉体を頂いて今なお死のチャンスを頂かずに生き残った私たちが、
亡くなった方に対して、「どうぞ私についていて下さい、私を守って下さい、
私と一緒にいて下さい」という思いを祈りますと、その思いが亡くなった方の
行く手を遮り、自分のほうへ引き戻すことになります。
これは供養の反対になるのですね。
亡くなった人に対して、「生前はいろいろありがとうございました。
お陰様で私もこの世の喜びを頂きました。お亡くなりになれば、
この世とあの世とは世界が違いますから、私たちは精一杯生きてまいります。
どうぞご安心なさって極楽の世界にお上がりになって下さい」と言って送り出すのが、
あとに生き残った者の定めであり、義務です。
いつの日かあの世のふるさとに帰らねばならないのが私たちの定めですから、
その時のことを今からいつも練習しておくといいと思いますね。
その時に慌てなくて済みます。
~ 感謝・合掌 ~