浄心庵・長尾弘先生「垂訓」

八正道と作善止悪

{心行の解説」より。

2014-01-31 00:25:05 | 浄心庵 長尾弘先生垂訓

         ~ 恩師の「心行の解説」より ~


先の続き・・・

「たださせていただくのだったら、俺の電車賃を出せ」という人があります。
私は皆さんの電車賃を出すほど大金持ちではないのです。
私は貰っていないから、電車賃を出せと言われてもどうすることもできません。
ほんとうに人に心はそれぞれで、意味をどう受け取るかも人それぞれですが、
人はどのように言っても構いません。「ただただと言うのだったら電車賃を出せ」と
言う人は、神の御心を知らないのです。
神はただ与え給うのみ、私も、たださせていただくのみです。
それに対して、もし異議があるならば、神様に文句を言って下さい。
神様に電車賃を出せと言ってみなさい。神様は「ばかなことを」と言われます。
私に対して、もし背くような批判、中傷をしますと、
それは神様に対してしているのと同じことになります。

なぜかというと、私は神の御心を行っているからです。
その行いに対して、その言葉・神理に対して屁理屈をこねますと、
それは神様の悪口を言っているのと同じことになります。
世の中にはそういう屁理屈を言うお方もおられるのです。
お一人お一人が、たださせて戴くようになった時、この地上界は理想の都です。
この時大事なことは、どなたにさせて戴いたか、何をさせて戴いたかを即、
心から捨ててしまうことです。
なぜ、そうしなければならないかというと、すぐ捨ててしまえば相手に負担がかからないからです。
負担がかからないから、相手の方も素直に喜んでくれるのです。
どれほど良い事をしても、「私はあの人にこんなことをしてあげた」と言いますと、
相手も恩着せがましく迷惑な思いがして「そんなに言うのなら、してくれなければいいのに」と、
いうことになります。
これではいくら良い事をしても何にもなりません。善き行いが、悪しき行いに代わってしまいます。
たださせていただき、その相手がどなたであったか、どういうことをさせて戴いたかも、
自分の心から即、捨ててしまいますと自分の心には、「ああ良かったなあ」という喜び
だけが残ります。喜びは最初のうちは残りますが、これも慣れてきます。


               ~ 感謝・合掌 ~





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「心行の解説」より。

2014-01-30 02:29:11 | 浄心庵 長尾弘先生垂訓

                ~ 恩師の「心行の解説」より ~


先の続き・・・

「自分を愛しなさい」と言いますと、「では、仕事をしないで寝ていよう」と言う人がありますが、
これは、自分を傷めているのであり、悪魔を愛していることです。
インドの言葉で、悪魔のことをマーラーといいます。
日本に伝わりまして、男性のシンボルをマラといいます。悪魔に注意しなさい、
特に男性は大きなマーラーを持っていますから、その悪魔に翻弄されるといろいろ問題が起きるということです。
肉体のことをマーラーといい、己の肉体の中にひそんでいる悪魔、これが私たちを誘惑してきます。
例えば何かしんどいことをしなくてはいけない時に、「止めておけ、そんなしんどいことをして何になるのか」と誘いかけます。
私はいつも悪魔にねらわれています。
「お前はあほと違うか、こんな暑い時に日本国中歩き回って何をしているのか、それよりもっとゆっくりして、
少し楽にしたらどうか」と誘ってきます。
特に「ああしんどいなあ」と思う時は余計に誘いかけてきます。

隙をねらっているのですね。その時、「いやいや、私はそれどころではいのだ、私がゆっくり遊ぶことをせず、
ある場所へ行けば、何十人、何百人の人が救われてくれるのだ。
私のようなものが行くのを多くの方が待って下さっている、楽をするよりも、こちらのほうが大事だ」と思って、
遊ぶほうをふり切るのですね。
ですからおよそ遊びということをしません。
若い時から、遊びを知りません。
人様に少しでも喜んでいただくように生きたいと、これは若い時からの私の理想でございまして、
二十歳ぐらいの時から人様のお役に立たせてもらいたい、
少しでも喜んでいただけるような行いをしようと思って生きてきました。
それがいつの間にか、このように望むことなしに与えられているのですね。
私から、どこそこへお話に行きたいとか、或いは人様の前でこのようにお話をしたいとかは、
爪の先ほども思ったことはありませんが、必要とあれば縁ができます。
ご縁を戴きますと、招いていただきます。
これは、「神様が私をその場所に呼んでいただいているのだから、
何を置いても寄せていただかなければいけない」と思います。
勿論、私には求める心は何一つありません。
電車賃がほしい、私の日当を出してほしいなどとは爪の垢ほども思ったことはありません。
たださせていただきたいという思いだけです。
言葉の唯と只(無料)を間違う人がよくあります。


                    ~ 感謝・合掌 ~




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「心行の解説」より。

2014-01-29 02:01:24 | 浄心庵 長尾弘先生垂訓

           ~ 恩師の「心行の解説」より ~


先の続き・・・

神様の御心を表すのはどうしたらいいか、それは今日まで何回もお話し、テープでも
聞いていただいていますように、「神様を知りたければ、あの太陽を見なさい」、
お日様のお姿こそ、ほんとうの神様と思えばいいのですね。
そして、ほんとうの神様を知った時、私たちはその真似をしたらいいのです。
自分の生活の中で少しでも神様の真似をさせていただいたらいのです。
お日様のように自分を犠牲にして自分を燃え上がらせたらいいのです。
つまり、自分の肉体を使って、人様のために働かせてもらうのです。
「ああしたい、こうしたい」という時間をちょっと横に置いて、
人様の喜びのために肉体を動かす、これでいいのです。
そして「あの人は好き、この人は嫌い」と言わないで、どの人も皆好きになることです。
嫌いな人を一人作りますと、一つ、二人嫌いな人を作りますと、二つ苦しいのです。
世の中の人が皆好きになれば、神様の御心を行うことになります。
また、自分にとって都合の悪いことをされた時、「よくもやったな」と腹を立てて、
一つの不都合に対して三つお返しをしてやろうかと思うのが私たちですが、
これは絶対にしてはなりません。

お日様がなさらないこと、つまり神様がなさらないことを、私たちは決してしてはならないのです。
人が自分の悪口陰口を言ってくれても、自分の持っているものを盗んだとしても、
これを許させてもらい、責め裁かないことですね。
イエス様は、「自分が裁かれないために、人を裁いてはならない」と、おっしゃっています。
お日様が裁くことをいっさいなさらないのですから、私たちも裁いてはなりません。
また責めてはならないのです。といいましても、肉体を持っていますと、
都合の悪い時にはむくむくと怒りが起きてきますがこの思いを早く捨て去ることです。
そういう思いが起きて、「これはいけない」と思えば、早く捨てて、正常な心に切換えることです。
しかし、私たちは、自分の身に都合が悪い事がふりかかってきますと、
心の曇りの中から悪魔が首を出してきます。
悪魔のままに実践しますと、それは自分の魂を悪魔に売り渡したことになります。
「ああこれはいけない、私はまだこんなに未熟な人間である」と思って悪魔を追い払った時、
正常を保つことができます。
イエス様は「サタンよ去れ」と、おっしゃったのですね。
サタンとは、心の中の悪魔です。

私たちは油断をしますと、肉体のサタンがどこかに隙はないか、
隙があれば襲ってやろうとねらっていますから、サタンにやられてしまいます。
悪魔の正体は、自己保存と自我我欲です。
これは私たちの肉体の悪魔で、キリスト教では原罪といい、
「人は罪の子である」と教えています。
しかし、人の内なる意識は神の子です。
肉体が持っている意識が罪の子であり、この肉体の罪は、無理はないのです。
自己保存、自我我欲から離れては生きていくことはできないように作られています。
ただ思いに心が翻弄されてしまいますと、罪の子として生きることになります。


               ~ 感謝・合掌 ~



関連ブログ
http://blog.goo.ne.jp/minraianko 「光の天使」
http://blog.goo.ne.jp/kaminoiyashi 「神癒の奇蹟」
http://blogs.yahoo.co.jp/tenzenhana 「神の御心」






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「心行の解説」より。

2014-01-28 00:39:34 | 浄心庵 長尾弘先生垂訓

         ~ 恩師の「心行の解説」より ~


先の続き・・・

人間の習性といいますか、慣れるということは恐ろしいことです。
かって、昭和五十四年~五十六年頃は、
迷える方が今生きている方の中に入って救いを求めてこられますと、
その都度天上界へ送らせていただきました。
最初の間は、私の側におられる方も珍しいから、テープを持ってきて用意をしてくれていました。
「なんと有難いことだなあ、見えない世界の方が即、救われるとは、
有難いことだ」と最初は感激されて、涙を流して見ていた方が、二年、三年と経ちますと、
私が一生懸命霊の方に諭していても、ワイワイそちらで喋っているのですね。
見えない世界の方に話しかけている時は、
見える世界の方もいっしょに自分に言われていると思って聞けば救われるのです。
見える方にそのように厳しいことを言いましたら、「あいつは生意気だ」と言ってきます。
見えない方にこそ、ほんとうに私の権限を持って法を伝えることができます。
見えない世界からは怒ってきませんが、見える世界の方はすぐ怒ります。

こうして話をさせていただく時と、見えない世界の方にお話させていただく時とは、
私は全く変わっているはずです。
光の天使は、「慈悲と愛の塊にして、あの世この世の諸霊を導かん」
「神より、この地上界の権限を委ねられたもの」と「心行」に書いてあります。
すべての権限とは、財政界のトップに立ったりすることとは違って、
心の世界における光の天使の権限をさしています。
私たちは心の在り方によって、どなた様でも光の天使になることができます。
もともとお一人お一人は全部、光の天使としてこの地上におりてこられたのですから、
それに目覚めることです。愛を実践し、神様の御心を行った方は全部、
光の天使になることができるのです。
そして、地上のすべての人が、自分の行いによって神様の御心を示した時、
この地上は仏国土・ユートピアの神の国が現れるはずです。


                 ~ 感謝・合掌 ~





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「心行の解説」より。

2014-01-27 03:19:24 | 浄心庵 長尾弘先生垂訓

           ~ 恩師の「心行の解説」より ~


先の続き・・・

「私たちは心の教えを知らないために、自分の心を苦しめてきました。
腹を立てましたし、人も恨みました。
どうぞ許して下さい。
あんな憎い人はないと思って憎しみを持ったこともあります。
どうぞ許して下さい」と、一つ一つ反省、懺悔、悔い改めをしていきますと
見ているうちに諸霊の方の心の曇りが晴れていきます。
そこで、「神よ、光をお与え下さい。諸霊の皆さんは今、自らの反省に入っておられます。
どうぞ神の光をお与え下さい。反省を正しく導いてあげて下さい」と言えばいいのです。
私たちは、このように人間として生まれさせていただきますと、必ず過ちを犯します。
それは、過ちを犯すように肉体を与えていただいているのですから、
過ちを犯していない人は一人もおられないのです。
見えない世界の方にお話をさせていただきますが、肉体を持っている者も、
すでにこの世を去った方も全く同じことです。
見えない世界の霊の方に話かけますが、これはこの世を去った霊だけでなく、
その場にいる者も一緒に聞かなくてはいけないのです。聞こえているのですから、
その子孫の方も「私もそうであった、私も過ちがあった」と、目覚めることです。


               ~ 感謝・合掌 ~





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「心行の解説」より。

2014-01-26 02:33:21 | 浄心庵 長尾弘先生垂訓

              ~ 恩師の「心行の解説」より ~


先の続き・・・

仏飯をお供えして、「ご先祖様どうぞ召し上がって下さい」と言ってはいけません。
ご先祖様には感謝と喜びをお供えするのです。
ご先祖様にどうぞと言ってお供えしますと「ここにおったらお供え物をしてくれから安心だなあ。
朝晩供えてくれるし、お経もあげてくれる、この仏壇の中におれば、
子孫は私たちのことをよくしてくれるから安心だ。
他へ行く必要はない」といって、極楽へ行くことを忘れてしまうのです。
そして仏壇の中へ居ついてしまわれますから仏壇は古くなると黒くなってきます。
「私の家は一生懸命お勤めをするから、ローソクの煤と、線香の煙とで真っ黒になっています」と、
自慢をなさっていますが、それは、拝めば拝むほど執着を残させることになるのです。

私がお参りをさせていただきますと、「先生、ローソクとお線香を焚かなくてもいいのですか」と言われますから、
「そんなものは関係ありません。立てたければ立てて下さい。
しかし、そういうものは要らないのです」と言って、ご先祖の諸霊にお話させてもらうのです。
ご先祖様が成仏される前の暗いお仏壇と、成仏された後の輝いたお仏壇の写真がそちらに
幾組か置いてありますが、ほんとうにたちまちにして光ってくるのです。
これは仏壇の中におられた方の霊を天上の世界へ送らさせていただいたら、お仏壇の中が
光ってくるようにできているのです。

毎月、祥月命日にお寺さんに参っていただいて、それがだんだん暗くなってくるのはおかしいことです。
成仏された後は、いくら黒くなっておりましても、古いお仏壇は古いなりに燦然と輝いてきます。
「まず執着を離して下さい。仏壇と極楽とは違う場所です」ということをお伝えするのです。
極楽へ行かないと成仏できませんから、仏壇にいてはいけないことをお伝えしまして、
次に、行く先が分かりましても、心に荷物をたくさん背負っておりますと重くて上がれませんから、
心の荷物をおろす方法をお伝えしたらいいのですね。
心の荷物は、何によって荷物になっているかをお話させてもらいます。

「心の荷物は、腹を立てること、怒り、妬み、謗り、愚痴、恨み、憎しみ、不安、恐怖、取越し苦労です。
また過去の苦しみを離さないでいること、貪欲、嘘、これらが心の荷物になっています。
この世に生活をした時をよく振り返って、自分の過ちに気付けば、心素直にしてその一つ一つをまことの神にお詫びしなさい。
その時、皆様の心は安らぎます。
そしてあの天上の光の世界に救われることができます」といって、反省させてあげたらいいのです。
見えない世界の方に、自分の人生を振り返って反省していただくのです。


                ~ 感謝・合掌 ~




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{心行の解説」より。

2014-01-25 01:04:48 | 浄心庵 長尾弘先生垂訓

                            ~ 恩師の「心行の解説」より ~


                           「肉体先祖に報恩供養の心を忘れず」


                 私たちの肉体が在らせていただきますのは、ご先祖様があってこそで、
                 ご先祖様がなかったら私たちの存在はありえないはずですね。
                 自分の存在は、ご先祖様のお陰であるということを忘れてはなりません。
                 ご先祖様を放ったらかしている方がよくあります。仏壇は締めきって、
                 お供物をしたこともなく、正しい教えを知らなければ、仏壇はあっても、
                 その中に成仏できないお方が入っておられるということも分からないでいます。
                 しかし正しい教えに触れますと、未成仏霊が間違いなしにおられるということが分かります。
                 お墓も同じことですね。

                 お墓の中にも、私たちの肉の目では見ることができませんが、
                 間違いなく天上の世界へ帰ることができないご先祖がおられるのです。
                 なぜこういうことがはっきり言えるかというと、お仏壇に私がお参りさせていただきますと、
                 阿弥陀様のお姿も、書いてある文字も読めないほど暗いお仏壇がありますが、
                 その中に執着しておられるご先祖様にお話しさせてもらって成仏していただきますと、
                 お仏壇がたちまちにして光ってくるのです。
                 「何々家先祖代々の諸霊の皆様、このような仏壇の中におられますと、成仏できません。
                 私たちは極楽に帰ってこそほんとうの成仏ができるのです。
                 この仏壇の中は極楽の世界とは違いますから、この中におられては成仏できません。
                 この仏壇から思いを離して下さい。仏壇の中や家の中、お墓の中、愛しいお方に心を残しますと、
                 必ずその場所に自分の心が残り、これは執着となって縛られます」と言って、
                 お話させてもらうのです。


                               ~ 感謝・合掌 ~






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「心行の解説」より。

2014-01-24 00:43:04 | 浄心庵 長尾弘先生垂訓

         ~ 恩師の「心行の解説」より ~


今日は真夏の厳しい暑さの中をこうしてたくさんの方に集うていただきまして、
誠に有難うございます。
お互いに「心」について学べますことは、人間として生まれて最も尊いことでございます。
私たちの本質は心であり、肉体は仮のものでございまして、
この世を去る時には置いていかねばならないものです。
数多くある宗教は、現世利益を主としています。
お参りをして、病気を治して下さい、金持にして下さい、商売繁盛させて下さい、
家の中がうまくいくようにして下さいといってお祈りをします。
こういうお祈りをさせるのが宗教ですが、これらは全部消え去るべきもので、
あの世に帰る時に持って帰れないものに対しての欲望であり、ほんとうの幸せにつながりません。
ほんとうの幸せとは心の安らぎです。

心に安らぎがなければ、この世の生命が終わって見えない世界へ帰って行く時、
心のあり方が分からなしから、迷わざるをえません。
日頃から心を重くし自分の心を苦しめていますと、この世を去った時、
必ずその続きの世界へ帰って行くことになります。
この世で苦しければ、あの世へ行っても苦しみの世界が続くのです。
今の生活が心満たされたものであり、感謝の生活であり、
またご奉仕によって他の方々を生かす愛の実践をしておりましたら、
「ああ良かったなあ」という思いを持ってあの世へ帰りますから、
その思いの同じ世界へ帰っていくわけです。
「心」の勉強をしますと、だんだんと心が深くなり理解が深まっていき、
過去は過ぎ去ったもので、絶対に戻らないことがよく理解できます。
また未来はまだ来ておらないのですから、今の一瞬一瞬の心のあり方がいかに大事か、
この一瞬の積み重ねが、未来の自分の姿であることもよく分かってきます。
今の一瞬を自ら苦しめないように生きることが大切ではないかと思います。


                ~ 感謝・合掌 ~






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「心行の解説」より。

2014-01-23 01:01:01 | 浄心庵 長尾弘先生垂訓

                     ~ 恩師の「心行の解説」より ~


           先の続き・・・

           私たちはどのようなことがあっても心を苦しめないようにと話しましたが、
           これはそう簡単にはできません。
           腹を立てまいと言っているはしから腹の立つことが起きるようになっています。
           そして見えない世界からテストを受けるのですね。
           「私は一生懸命頑張ったから、腹を立てないようになった」と思っているところへ
           カッカカッカと怒ることが起きてくるのは守護霊さんがテストをしてくれるのです。
           心の修行は言うに易しく行うに難しいと思います。
           しかし私たちは訓練することです。
           絶えず休みなしに練習訓練をしていきますと、やがて上手になってきます。
           そのようにして頑張っていきたいと思います。


                          ~ 感謝・合掌 ~



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「心行の解説」より。

2014-01-22 00:21:28 | 浄心庵 長尾弘先生垂訓

         ~ 恩師の「心行の解説」より ~


先の続き・・・

不思議なもので、心から私のことを思っていただく方から
「自分の胸の中にいつも長尾先生が坐っていて下さっています。
ほっと思えば先生の顔がここに浮かんできます」といっていただけます。
それは常に私の話を思い出していただき、
私と接した時の思いを心の中に抱いて下さるからですね。
私はそういう方の心の中に常に生きていられます。
ですから一人でも多くの方のために善き行いを積み、
善き行いをもって一人でも多くの方の魂の中に自らを生きさせてもらうことです。
自分を捨てた愛の実践、これは必ず人の心の中に入っていきます。
もし望むものをもって「こうしてあげるから、こうしてほしい」
或いは「こうしたから、あんな風にしてもらわなくてはいけない」という思いを持って行為しましたら、
これは自らを苦しめることになります。
徹底した無償の愛の実践をすることです。
この時は心に苦しみが残りません。

相手に笑顔を求めても、感謝の心を求めてもいけません。
ましてや物や金を求めてはいけません。
いっさい無償、そして自分は何をさせていただいたとか、
どなたにさせていただいたという思いもすべて捨てることです。
その時は、心に苦しみが湧き上がることはありません。
あたかも池の鯉に餌をやるごとくさせていただくことです。
餌をやりながら、鯉に「この餌を返してね」と言う人はいないと思います。
この心がけが大切ではないかと思います。しかし餌をやるからといって、
その餌に針と糸をつけて投げてはいけません。
求めて得られないようになっているのがこの世の実相です。
求めて得られるのでしたら、人は苦しむことなどないのです。
与えられないから皆苦しんでいます。
だから求めないことです。
たださせていただくのが、幸せへの道です。


               ~ 感謝・合掌 ~






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「心行の解説」より。

2014-01-21 01:01:33 | 浄心庵 長尾弘先生垂訓

~ 恩師の「心行の解説」より ~


先の続き・・・

あらゆる宗教は「感謝をしなさい」と教えますが、
なぜ感謝しなければならないのかというほんとうの理由は教えていただけません。
これも原因結果の法則から見ますとはっきり分かります。
「有難うございます」と感謝しておりますと。
その感謝の思いの中には怒りも愚痴も恨みも憎しみも入ることはできませんから、
万象万物すべてが神の御姿であればすべてのものに「有難うございます」
「有難うございます」と感謝の時間を長く持てば持つほど私たちの心に苦しみの原因が入ってくることがないからです。
私たちの心は「一念三千」といって一瞬にして三千の方向に動き回りますが、
どんな器用な方でも同時に二つのことを思うことはできません。
一つ一つしか思えないように心は作られていますから、感謝に心を向けておりますと、
外のことを思えないのです。

感謝とは心を苦しめる悪しき想念から自分自身を守る武器であったのです。
このように思わせていただいて、お日様を見ては「有難うございます」
熱・光を戴いては「ああ有難うございます」お水を戴いては「ああ有難うございます」
花を見、人様を見ては常に「有難うございます」と思う時間が長ければ長いほど平安に過ごせます。
今日一日がそのような感謝の心で過ごせましたら、
平均寿命が八十年としましても三百六十五日を掛けてみて下さい。
三万日もありません。
しかもその一日一日は再び帰ってこないのです。
もし取返しができるのでしたら、私の髪の毛はすぐに真っ黒になるのですが、時間の取返しはできません。
しかしこれは自然現象で、髪が薄くなる方、白くなる方は自然の定めであり、
いずれにしてもやがては必ず皆この世から消えていきます。

いつまでも生きたいと思う方がありますけど、人は適当な時に死なせてもらうのが一番いいのです。
朽ち果ててから散ったのでは愛想をつかされます。
桜という花は大変綺麗で人の心を引きます。
春の嵐に「もうちょっと咲いていてほしいなあ」と思う時にハラハラと散ってしまうから
「もったいないなあ、惜しいなあ」と思うのですね。
私のような者が何も望むことなく、自分の思いいっさいなしに、こうして日本国中から招いていただいて、
そしてこんな拙い話を聞いていただき「お陰さまで救われました」
「お陰さまで病気が治りました」「心の苦しみから救われました」と、
数えきれない方々が幸せになっていただいております。

これは人としてこの世に生を戴いて人間として今の私は最も花の満開した時ではないかと思わせていただいております。
私は高橋信次先生よりも、もう十年長生きさせていただきました。
出来る事なら日本のあちらこちらから、私の代わりにこうしてお話をして下さる方が目覚めていただけますように、
そして次の人々を救っていただけますように、―――そうなりましたら私はもう安心して散っていけます。
私が散りましても、私の咲かせた花はまた皆さんが実らせてくれたらいいのです。
散った後に「あの人はこんなことを言ったなあ」と言って、実らせて下さったら私の努めは終わるのですね。
そのように惜しまれる間に散らせてほしいのが私の心境です。


~ 感謝・合掌 ~






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「心行の解説」より。

2014-01-20 01:20:35 | 浄心庵 長尾弘先生垂訓

                                     ~ 恩師の「心行の解説」より ~


                        先の続き・・・

                        間違った信仰では、会を脱会しようとしますと必ず罰が当たると言って脅します。
                        えらい目に遭うとか言いますがあんなものは全部嘘です。
                        これは組織というエゴがそのように言わせているだけでほんとうの神様とは全く無縁のことです。
                        神様はそんなことはいっさい関係なしに、ただ幸せになってほしい、幸せな人生を過ごしてほしいと、
                        その愛を私たちに注がれています。
                        どれほど罪を犯した人間であっても、いかに国が違ってもそれらにはいっさい関係なしに
                        「すべてがいとおしい、幸せに生きよ、健やかに生きよ」と言われます。
                        もしその苦しみがたとえ他の方から与えられたものであったとしても、
                        私たちが自分の心を自分で苦しめた時、父なる神はご自身の苦しみのように辛い思いをして下さるのです。
                        何が最も罪深いかといいますと、それは自分の心を苦しめることです。

                        自分を苦しめる原因は腹を立てることです。
                        私たちは平気で腹を立てて、もう堪らなくなるとカッカカッカと頭から湯気を上げますが、
                        これは自分を苦しめているのですね。
                        怒り、妬み、謗り、愚痴、恨み、憎しみ、貪欲、取越苦労が苦しみの原因です。
                        また過去の苦しみをいつまでも離さないことも苦しみです。
                        過ぎ去った出来事はすでに死んだ出来事です。絶対に帰ってはきません。
                        その帰ってこないものに対していつまでも自分の心を苦しめることは神のご意志に背く行為です。
                        自分の心を苦しめることは全部神様に背いているのだというこの真理を知ることです。
                        その時私たちの心から怒りが消えます。怒りが消え去った時どれほど心が平安であるか知れません。
                        嘘を言わなかった時、恨み憎む方が一人もなかった時どれほど心が平安であるか、
                        私は世界一の幸せ者ではないかと思っています。
                        集うて下さる方々は皆すばらしいお方ばかりです。
                        日本国中どこへ回らせていただいても全部すばらしいお方ばかりが集まって下さいます。
                        世の中にはすばらしくないお方もおられるはずですが、そんなお方は私の側へは来て下さいません。
                        そしてどこへ行っても愛され重宝していただけます。

                        なぜ私のような者をこんなに大事にしてもらい、皆様の愛をそのまま戴けるのか、
                        それは私がたださせていただくから、愛の実践をさせていただくから、
                        皆様から大事にしていただけるのですね。ですから日々の生活で、
                        まず家庭の中で心から愛の実践をすることです。
                        たださせていただく時、自分がしていただけます。
                        イエス様はこのようにもおっしゃっています。
                        「自分のしてほしいと思うことを人様のためにしなさい」と。
                        「あなた達はお互いに愛し合いなさい」ともおっしゃいました。
                        愛するという原因を作りますと、愛されるという結果が出て来るからです。
                        原因結果の法則の中にすべてのものが含まれており、
                        この法則から誰も逃げ出すことはできないのです。
                        そのことをよく理解しますと、愛することによって愛され、
                        させていただくことによってしていただけるということがよく分かります。


                                            ~ 感謝・合掌 ~



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「心行の解説」より。

2014-01-19 01:01:27 | 浄心庵 長尾弘先生垂訓

                                   ~ 恩師の「心行の解説」より ~


                       先の続き・・・

                       神様の御心を私たちがこの肉体をもって実践することです。
                       神様の御心の実践とは相互依存、お互いに持ちつ持たれつの助け合い励まし合いで生きることです。
                       もう少し細かく砕いていいますと、私たちは自分に都合の悪い方はすぐ差別をします。
                       「あの人は嫌な人」、ひどくなりますと「あんな嫌な人とものも言いたくない」とか
                       「あの人のほうを向いて小便もしたくない」とか言います。
                       嫌な人のほうを向いて小便するのももったいないというのですが、それほど嫌うこと自体、
                       差別をしているのです。
                       あの太陽の熱・光のように、いっさい差別なく平等に生きる思いを持たせていただくように、
                       神の子であればこれを実践するのは当然のことです。
                       私たちは自分の悪口をちょっと言われると、たちまち三倍五倍にして返そうとします。
                       「私は何も言っていないのに、あの人は私のことをこんなに悪く言った、もう許せない」と、
                       今度はその人の悪口を一生懸命に言うのですね。しかしお日様を見て下さい。
                       どれほどお日様を侮辱しても、どれほど悪口を言って怒鳴ってもいっさい関係なしに、
                       ただ熱と光を燦々と与え給います。

                       私たちも自分のとって都合の悪い方、自分に良くしてくれない方、
                       或いは悪口を言ってくれる方に対しても、難しいことですけれども、
                       どんなふうに言われようがされようが、
                       なお燦々と与え続ける太陽の御姿をお手本にして生きたいと思います。
                       あの太陽の御姿そのものが神ご自身の御姿です。
                       私たちも神の子としてそのように努力して生きるべきです。
                       私たちはよく人を裁きます。
                       気に入らない人に対しはすぐ言い返したり、こきおろしたりしてその人を裁き、
                       復習し、仕返しをしようとしますね。
                       これも神の心に背いております。
                       お日様から仕返しは受けません。
                       頭の上におられるお日様に向かって
                       「暑いなあ、照りつけやがって」と言って唾を吐きかけてみなさい。
                       その唾は必ず自分に返ってきますが、これはお日様とは関係のないこと、
                       神様に関係のないことです。
                       天に唾した行為が自分に返っただけです。
                       これを天罰覿面といいます。
                       自分で自分に罰を当てているのであって天はそんなものは知らん顔をなさっています。


                                       ~ 感謝・合掌 ~




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「心行の解説」より。

2014-01-18 01:36:53 | 浄心庵 長尾弘先生垂訓

                           ~ 恩師の「心行の解説」より ~


                  先の続き・・・

                  私はいつも神様の御胸の中に抱かれているということを知っています。
                  そのために大安心です。
                  まったく恐怖はありません。
                  しかしそれを知りましても、日々の生活でもしも思うこと、行うこと、
                  語ることが間違っておりますと恐怖が襲ってきます。
                  嘘を言ったとしますと、やがてはばれます。
                  ばれるからまたさらに嘘をつきます。嘘がばれないかと思うその思いが恐怖です。
                  また、悪事や間違ったことをしますと、私たちの心の中にやはり神の心である良心、
                  神我なる我がちゃんと居て下さって、その神が自分を裁きます。
                  そして表面の意識が恐怖に襲われます。夜休みますとすごく怖い夢を見ます。
                  逃げても逃げても追いかけられる夢を見たり、崖ぷっちから落ちそうになって、
                  「ああ恐ろしい」としがみつくと、しがみついた所からまた崩れてきて、
                  底知れない所へ落ちそうになり必死になって逃げようとしている夢などを見たりします。
                  私は悪ガキの頃、そのような夢をいつも見ました。
                  しかし今はいっさい見なくなりました。

                  意識の中に恐怖を持った生活をしておりますと、夜休んだ時に恐怖に襲われる夢を見るわけです。
                  夢はただ寝ている間に起こるものと思っておりますが、これは私たちの昼の生活
                  が夜の意識の中に現れているということです。
                  生活を正した時には、そのような夢はいっさい消えるはずです。
                  そして夜休む前、或いは朝のトイレの中ででも神様に対して心から
                  「お父さん、お父様」と呼べるような自分をつくることです。
                  神様を「お父様」と呼ぼうと思いますと、
                  神様の御心から少し離れても恥ずかしくて呼べませんからこれは厳しいものです。
                  完全に神の子としての一日を過ごした時、胸を張って「お父さん有難うございます」と
                  父なる神に感謝できるはずです。
                  その時、父なる神と自分とはほんとうに親子であったと思うことができます。


                                   ~ 感謝・合掌 ~





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「心行の解説」より。

2014-01-17 00:59:33 | 浄心庵 長尾弘先生垂訓

                         ~ 恩師の「心行の解説」より ~


               先の続き・・・

               この教えは今、磯ノ上の浄心庵でお話をさせていただいていますが、
               しかし宇宙の果へ行ってこの話をしましても「ああなるほどそうか、その通りだ」と、
               通じる話しです。
               こういう教えこそほんとうの正法であり真理です。
               ですから「教え」が、日本でしたら日本だけ、
               或いは韓国なら韓国にだけしか通らないような教えであれば、それは正法・真理ではないわけですね。
               日本にだけおられる神様で、外国にはおられない神様は、これは正しくない神様です。
               地球そのものは神のご身体であり、
               地球そのものが神様の御姿の現れの一つですから方角が悪いとか良いとかいいますが、
               神様のご神体の中に悪い場所のあるはずがありません。

               これらのことはすべて人間が拵えたものであり、しかも人間が自分の都合により、
               またその国を治めた権力者の都合よっていろいろと定められたものが、
               場所や方角の迷信となって世に広まっていったものです。
               地球は神のご身体であり、地球上どこへ行きましても大いなる神の愛に満たされています。
               ここだけは神様の手の届かない場所という、そんな所はどこにもありません。
               トイレの中でもお風呂の中でも山の上に登っても海の中にもぐっても全部神様の中にあるわけです。
               私たちは常に神様の中にどっぷりと漬けていただいており、寝ても起きても神様の慈愛に中に包まれています。
               いってみれば神様漬けになっているようなものですね。
               どぶ漬けというのがありますが、私たちは有難いことに神様漬けです。
               それをはっきりと自覚させていただくだけでも私たちはどれほど有難いことか知れません。
               神様の中にいるのですから不安とか恐怖とかいったものは本来は無いものです。
               それを知らないから不安や恐怖に襲われるのです。


                                ~ 感謝・合掌 ~





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