浄心庵・長尾弘先生「垂訓」

八正道と作善止悪

「御垂訓」

2021-09-30 00:03:25 | 浄心庵 長尾弘先生垂訓
 
  恩師のご著書「真理を求める愚か者の独り言」より

        第六章 人類滅亡を救う奇跡と癒しの秘密

        心の教えを正しく行うと証がついて回る


作善止悪という簡単で難しい実践

奇跡は求めて得られるものではなく、
そういう気持ちさえ忘れて、一生懸命に日々のやるべきことをやり、
また心の学びを人生の中で地道に行っていく時に、
必要に応じて与えられます。

私たちにできるいちばん基本的な法の実践とはなんでしょう。
いつもお話させていただくのは、
悪いことをしないようにして善いことはどんどんと実行していく、
「作善止悪」の実践です。
なんだ、当たり前のことじゃないか、と言われる方も多いと思いますが、
これが案外やってみるとできないものです。
残念ながら、今の世の中を見てもそうです。

悪いことをするにはなんの努力もいらず、
ただ欲望のおもむくままに生きていればよく、
善いことはこれを行うのに、なかなか強い意志と勇気とを必要とします。
この言葉の由来である古い時代の中国の故事を調べると、
こんな話しがあります。

白楽天という唐の時代の有名な詩人が、
かねてから気になっていた高名なふくろう和尚を訪ねます。
いつでも高い木の上で坐禅をしているので、
誰言うとなくふくろう和尚と呼ばれていました。
森の木の上にいるふくろう和尚に会うと、木の上の和尚に向かって、
白楽天はどうしたら人間は幸せになれるかと質問します。
すると、ただ一言「作善止悪」という単純な答えが返ってきました。
白楽天は思わず笑いました。

白楽天には教えのあまりのやさしさが意外に感じられ、
その言葉の幼稚さにあきれて帰ろうとした時、
うしろから「三歳の童子これを知り、百歳の翁
これを行えず」と痛烈な一言がひびきました。
私たちはものの善悪は三歳にして教えられますが、
百歳になっても実践できないのが凡夫の姿です。

 「我が道は易しすぎなり 幼稚なり 人は言うなり 行いもせで」(弘)

口でいうのはごく易しいものですが、
行なえる人はほとんどおられません。
悪を行うと砂袋に砂を積めるように心を重くし、
善を行うと心が軽くなります。
また、よくないことをするのは、コップの中の水にスポイトで
墨を一滴ずつ落としているようなものです。

心が濁ってきたら、反省をして悔い改めます。
それから償いの善き行いをさせていただくことです。
一生懸命に善行を積ませていただくのです。
それから、法の話、真理の言葉を聴くのもいいでしょう。
そうしていれば、多少の悪を犯してしまったとしても、
その濁った水に新しい真水を注ぐことになります。

和尚は「三世の諸仏はことごとくこの法門を説き給う」と
言われました。
三世は過去・現在・未来です。
いつの世にも変わらない真理として、
仏と言われる方はこの法門を説かれています。


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「御垂訓」

2021-09-29 00:08:31 | 浄心庵 長尾弘先生垂訓

 恩師のご著書「真理を求める愚か者の独り言」より

       第六章 人類滅亡を救う奇跡と癒しの秘密

       心の教えを正しく行うと証がついて回る

          不思議なユリの現象


先の続き・・・

私たち人間の行為を通す以外に、具体的には神の御心を
この地上に現わせません。
そして、もし誰もかれもが、本来の神の子としての心を
素直に実行し、互いに
助け合い尽くし合い、愛の光に満ちあふれた神の国が
地上天国としてできるはずです。

神様はそれを最も望んでおられるのです。
個人の幸福も健康も、この神の御心と肉体にいる
自分の心とが同一になった時、
はじめて運命や境遇や心境となって自然と現れてきます。
それは神の世界の光がそのまま現象界へ流れてきますから、
当然と言えば当然のことです。
神様の世界に苦しみや不幸や悪や不完全のあるわけがありません。
「我が与えし、その肉の身を持ち 
我が思いをこの地上に示し現わせ」。
これが、神様の願いです。

その神の御心を我が心にいただき、
私たちが日々の生活の中に実践した時に、
はっきりとそれが正しい法にしたがう行為であることを
証明するような現象が現れてきます。
これが現象による証明、すなわち「現証」というものだと思います。

これまで奇跡と呼ばれてきたものの中で、
真実に神様がお現わしになったものは、
すべてこういう経緯のもとに必然の結果として
出てきたものだと言っていいと思います。
それは因果律の法則にかなったものです。
奇跡はたしかに不思議な現象です。

しかし、一方でこの法則を考えれば、
心と行いが法に照らして正しいものなら、
早晩なんらかの形で結果が出てくる、
その一つの現わし方が奇跡として現れますから、
ちっとも不思議ではないということになります。

原因はいつも私たちの心の中で思うことにあります。
つまり、私たち人間の心はいつも神霊の側からは
しっかり見られているのだということを忘れてはならないのでしょう。
厳しい心のチェック体制を怠ってはなりません。
これを怠り、自らをごまかしたりすると、
憂き目に遭うのも自分自身です。

そして、奇跡を体験しても、それにたらわれ、
あたかも自分に特別な力がついたのだなどと増上慢に陥ることなく、
ああこれも神様の慈愛と励ましなんだな、
これからも怠らずに心磨きと人のためになる善き行いを
積み重ねていこうと決心を新たにすることです。
そうすれば、ちゃんとその努力は神様が御覧になってくださっています。
心の調和を目指し、正しく法にかなった生活をしていくと、
その心は神様に通じます。



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「御垂訓」

2021-09-28 00:52:00 | 浄心庵 長尾弘先生垂訓

恩師のご著書「真理を求める愚か者の独り言」より

       第六章 人類滅亡を救う奇跡と癒しの秘密

       心の教えを正しく行うと証がついて回る


不思議なユリの現象
自然現象であったとしたなら、ユリの蕾は必ず一つずつ別々に、
時間の間隔をおいて開花するはずです。
それが同時に全部そろって咲くのですから、
奇跡としかいいようがありません。

「今話させてもらったことを神様がその通りだとおっしゃって、
その正しさを証明してくださったのです。
もし、お話が間違っていたら、
こんな現証は見せていただけるはずがありません」と、
お話させて頂きました。

そういう不思議なことを見せていただくことはよくあります。
浄心庵を訪れた方は必ず目にされるでしょうが、
やはり講演中に百合の花が
垂直に立ってしまったという不思議な現証の写真が
額に入れて飾ってあります。

ふつう釣鐘状の花は上を向くことはありません。
上を向いて咲くと花の中に雨水がたまり腐ってしまうからです。
それが茎と同じ方向にピンと上を向いて咲いています。
茎とオシベが一つづきのように直立をしています。
正しい神理を語る時は、神の力が言葉の中に宿ります。
これを言霊と呼びます。

その言霊に自然の植物も動物もすべて感応してくれます。
念力でもなければ、霊能力でもないし、
また神様以外の霊的な存在の応援による力でもありません。
自分の力で起こしているものではなく、
神様が証しを見せてくださっているのです。

山に入って護摩を焚くとか、何もそういう厳しい行をしなくても、
日々の生活の中で正しい法をよりどころとして調和された
安らかな心で生きていけばいいのです。
もっと具体的に言うと、反省と与えられた環境への感謝です。
無償の愛の実践です。

ウィスキーの空き瓶にたまった皆さんの愛の真心の
募金を寄付できたのを神様が喜んでいらっしゃると、
お話させてもらっていると、ユリに奇跡が起きた
―――ということをもっとわかりやすく説明すると、
以下のようになります。

神様はこの物質や肉体の目には見える現れの世界では、
御姿を現わして直接人助けなどの善い行いを
されるわけにはいきません。
神様は肉体も声もお持ちにならず、
ふつう私たちには見えない存在です。
しかし、「人の目を通して語り給う」と
いう言葉があります。


「我が行為 神の御心あらわさん 
父の御心世に示さんがため」(弘)


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「御垂訓」

2021-09-27 00:45:07 | 浄心庵 長尾弘先生垂訓

恩師のご著書「真理を求める愚か者の独り言」より

           第六章 人類滅亡を救う奇跡と癒しの秘密

           心の教えを正しく行うと証がついて回る


不思議なユリの現象

安らかな気持ちで正しい法の中に生活していると、
自然界さえもその証明を見せてくれることがあります。
これは或る会場で起こった出来事で、
その場にいたたくさんの人々も同時に
体験したことですが、だいぶ以前に大阪の柏原市という所でお話をさせて
もらった時のことです。
細長いかたい蕾のユリを何十本も生けていただいておりました。
ユリは頭が重いですから、茎が曲がって首を垂れたように
四方へ開いた形に生けていただいていました。
「まあ、綺麗なユリを生けていただいたのですねえ」と、
感動は思わず声になりました。

当時自宅には大きなウイスキーの空き瓶がおいてありました。
その瓶には「あなたさまの愛を恵まれない不幸な方々にどうぞ、
私も実践しております」と書いて貼ってあるのですが、
そこに五円、十円、一円あるいは
千円と思い思いに皆さんが喜捨をしてくださいます。
空き瓶にいっぱいになると、福祉施設から身寄りのない
お年寄りや赤ちゃんの世話をしていただいている施設に
寄付させてもらいます。

幸い大きな瓶二本が一杯になりましたので、
これを柏原市の福祉の方に使ってもらってくださいといって預けました。
そのことを例にあげながら、
奉仕と愛の実践についてお話をさせていただきました。
神様は私たちに何をいちばん望んでいらっしゃるでしょう。

私たちよりもさらに恵まれない不幸な人々のために、愛の手をさしのべた時、
神は、「よくやってよくやってくれました。私はその思いでいっぱいであるが、
それを形に表すことができない。
私の思いをあなたはよく行ってくれました」と、神様はおおせられ、
お喜びになるにちがいありません。

そのように話しておりますと、何十本も生けてあったユリの、
それまでは細長くかたく閉じた蕾であった花が、
いっせいに全部開いたのです。
曲がっていた茎も一度全部垂直に立ち上がりました。

みなさんがいっせいに驚きの声をあげました。
ただ一本だけ、さっきの状態を証明するかのように
茎が曲がったままでした。
実際にすべての蕾が同時にパーッと開いたのです。
わたしの今のお話は間違っていない。

そんな確信を与えるように、植物も喜んで応えてくれたと思います。
二部屋向こうの鏡台の上に一輪ざしで生けてあったユリも
いっしょに開きまいた。
大勢のみなさんが見ている目の前で起きた出来事です。


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「御垂訓」

2021-09-26 00:52:23 | 浄心庵 長尾弘先生垂訓

 恩師のご著書「真理を求める愚か者の独り言」より

       第六章 人類滅亡を救う奇跡と癒しの秘密

       心の教えを正しく行うと証がついて回る


お釈迦様やイエス様の心身の癒しは反省を重ね、
自らの心を徹底して見つめるとともに、
太陽にも等しい神様の御心を行ないに現わしていく。

そうした善い原因の種を蒔いていった結果として、
神がいとし子である人間の肉体を使い、
多くの人々の心身を癒す無限なる力を授け給い、
いとし子たちは神様の愛と、その有り難さを身をもって知らされます。
これは私の体験をとおして知った、法と人間、神と人間の関係です。

自分の外界の現象ではありません。
神と人間との関係は自分の内なる事実として発見すべきものです。
ここに紹介するのはあくまで一個人の体験です。
真理は、たとえ悟りを得た宗教指導者の場合でも、
あくまで個人の体験によってのみ知りうるものであるという現界があり、
その人の実践を見る以外に誰かと分かち合うことも
証明することもできないはずです。

ところが、不思議な出来事というものを通すと、
私たちの心の奥底に秘められた神の力は物質化され、
目に触れる形に現わしていただけますから、
どのような否定論者であっても否定することはできません。
昔から奇瑞とか霊験譚とか、
所謂不思議な兆しやお陰話しの類はよくあります。

高度な法の話しや厳しい修業だけでは、
なかなか多くの人々を救うのは困難なために、
こうしたものの存在意識があります。
これらはみな神が人間の心を正しく導くための
方便として使われるものです。

日夜起きている出来事もそういう性格のものです。
なぜこのような出来事が起こるのかについても、
真に人間の心が調和した際には、
神の分け御霊、分け命として生命を与えられている
私たちに神の本源からの生命の光、
愛の光が障りなくそのまま流れてきて、

ふつうなら考えられもしない奇跡的な出来事が起きてくるという、
原因と結果の法則から理解することができると思います。
お釈迦様もイエス様もできる限り嘘をつかない、
言ったことは命をかけて守る言行一致の実践をされ、
不惜身命の努力をもって示し、
愛行を日々行じてくださったにちがいありません。

地球社会を理想の世界に立て替えるため、
今の時期に生まれてきた私たちは
偉大な人類の大指導者であり、尊師であり、
大先生である、聖者方の、
遠きにありても近き弟子として、
その実践をとおして生きて行きたいと思います。

自らの行いが神の御心とズレていないか、
少しの狂いも赦さぬように、
毎日毎瞬、己れを見つめ反省を欠かさないように
努力していきたいものです。
これは私たちが自らに課せられた魂の修行でもあります。

そして、その結果、私たちは神様から愛され、
信頼される人間として、
多くの人々の下僕となって生き抜くことです。
正しい法の教えの実践とともに、
与えられた調和の役目を果たしていきたいと思います。


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「御垂訓」

2021-09-24 23:59:40 | 浄心庵 長尾弘先生垂訓

恩師のご著書「真理を求める愚か者の独り言」より

         第六章 人類滅亡を救う奇跡と癒しの秘密

     奇跡の真の目的――地球の波動の次元上昇する
             二十一世紀に向けて


先の続き・・・

心というものがここに現れている環境、
物質世界を生みだしている原因であれば、
自分の心を自由自在にコントロールすることができれば、
いつも自分の望ましい楽な世界に安住することができます。
想念はエネルギーであり、思いは力だと言われます。
そして、たとえ粗悪な環境に落ち込んでも、人間は思い一つで、
また心の用い方一つで、一転して高い世界に行くこともできるので、
心は錬金師でもあり、マジシャンのようでもあります。

自分の運命さえも自分の心がつくっているのですから、
私たちは原因と結果の法則を知り、
自分の想念行為に責任があることに気付くべきです。
過ちを犯し、人や自分を傷付けたまま、
反省もせずに自らの運命のわるさを
嘆き、自らの心を苦しめていくか。

自分の過ちに気付いて素直に改め、
正しく自然の法則にかなった調和した
生活を行うことによって、
多くの人々の心に明るさや希望や勇気を与え、
自らが幸せになるとともに、他をも幸せに導いていくか。
そのどちらも神から与えられているのが人間の心です。
そして、この本に縁ある方々が、

原因と結果の法則を理解して正しく生きた時には、
こんな有り難い出来事の援助も与えられるのだということを知る機会と
してくださったならば、この本の出版目的も果たされると思います。
誰の心にも宿る神我の存在を信じて、
それに目覚めようという情熱が一人でも
多くの方の胸に喚起されることが、神の喜びともなります。
そもそも、奇跡は興味本位で見たり聞いたりするものではありません。

テレビでもやたらと興味本位の番組として霊能者を紹介したり、
UFOや不思議な現象をつかったりしすぎます。
商業ベースで利益さえ上がれば何でもよいという考えは反省すべきです。
奇跡とは、物質世界の常識にとらわれた人々が、
科学ではもはや証明できないほどの不思議な現象が、

心の在り方や用い方によって起きるのだという事実
に目覚めるために現わされているものです。
心が主導権を握り、物質世界を思いのままに動かしていくのです。
こういうことが、これから人々の心が調和してまいりますと、
可能になってくると思います。



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「御垂訓」

2021-09-24 00:08:01 | 浄心庵 長尾弘先生垂訓
 
 恩師のご著書「真理を求める愚か者の独り言」より

       第六章 人類滅亡を救う奇跡と癒しの秘密

    奇跡の真の目的――地球の波動の次元上昇する
          二十一世紀に向けて


先の続き・・・

この物質世界のすべての現れには、必ず原因があります。
どのような出来事も例外ではありません。
その原因となる心に気付くべきです。
この心というのは不思議なものです。
一念三千という仏教用語があります。
思い方が三千通りあるとすれば、
それに応じて現れてくる世界が三千あるという意味です。

また、一念にして三千の思いが起きるとも言われます。
たった今、私たちの置かれている世界は、
私たちが抱いている思いによってつくられている世界です。
次の瞬間にはもう別の思いが呼ぶ別の世界に行っています。

さっきまで美しい景色を見たり、友達と笑いあって楽しんでいたと思ったら、
ちょっとしたことで腹を立て、クシャクシャしている。
この時は、上のほうから下へと住む世界は一気に下降し、
レベルダウンしていることになります。

ここで誰かのせいで腹を立てさせられたなどと思わず、
自分で自分の心を苦しめていることに気付いて、思い方を変えると、
また新たに調和した楽な心の映し出す世界へと瞬間的に
移動することができます。

物質化現象世界(この世であり、目に見える世界)は実在界
(あの世であり、目に見えない世界)と
渾然一体となって存在しています。
肉体は見ることはできますが、心は見ることができません。

この目に見えない心こそ目に見える肉体を動かしている
エネルギーだと言えます。
心は主であり肉体は従とも言います。
主であるべき心を苦しめますと従である肉体も
苦しんで当然のことです。

自分の心を苦しめない生活こそ私たちの日々の修行でもあります。
心の苦しみにも数多くありますが、怒り、妬み、謗り、愚痴、うらみ、
憎しみ、貪欲、取越し苦労などが代表的なものです。
この様な思いをできるだけ自分の心に入れない
練習の積み重ねこそが健康で平安で幸いへの道であると思います。
又、人にも苦しみを与えてはいけません。
それは必ず自分に返ってくるからです。


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「御垂訓」

2021-09-23 00:10:40 | 浄心庵 長尾弘先生垂訓

恩師のご著書「真理を求める愚か者の独り言」より

        第六章 人類滅亡を救う奇跡と癒しの秘密

      奇跡の真の目的――地球の波動の次元上昇する
            二十一世紀に向けて


先の続き・・・

私たちの心が調和し愛の生活の実践を重ねますと、
今迄は考えられなかったようなことも起きてまいります。
あまりにも多くの不思議と思われる自分の体験をとおして太古の昔も、
人類の未来もこのようであればと思います。
神の癒し、自然治癒能力のお手伝いをさせていただくとともに、
「大自然の法則にかなった神様のお心を我が心にいただき日々実践した時、
このように考えられぬような出来事が起きました」という事実を
世にお伝えするのが私の使命かもしれません。

世の中で起きる信じられないようなひどい事件の報道が後を絶たず、
特に若い人々は何を信じていいのかわからない時代です。
自信とか希望の持てるような生き方をお互いに追求していきたいものです。
世のすべての人々が大自然の法則(正法)を日々の生活の中に実践した時、
神の光は私たちの心身に燦然と輝き、安らぎと調和を与えずにはおかないでしょう。
今の時代は正しい心の在り方のために照らし合わせるべき
基準が影を薄くしてしまって、
どこにあるのかもわかりません。

世の中で最も大切なことは、私たちが生まれる前にかわした神との約束である
大調和、「人々と手を取り合って幸せに健やかに生きます」という約束を忘れ
「法則」に反して生きてきた人生を反省することです。
過ちがあればこれを悔い改め、神の御心と自分の心を照らし合わせ、
正しい心に修正します。

あとはこれを行いに現わしつつ生活していけば、
必ずどんな形であれ、その人の天命にふさわしい形で完全なる力が発揮でき、
与えられた天分を現わして
地球や人類社会のお役に立つ人間になれるはずです。
これから紹介する奇跡の事例は、従来のオカルトものと同様に扱われたり、
又、好奇心の対象とされ、興味本位でとらえられることは、
まったく本意ではありません。
あくまでも愛の実践の結果です。
表面の現象に目を奪われず、なぜこうした不思議な出来事が起きるのか、
徹底的に疑問追究してください。




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「御垂訓」

2021-09-22 00:11:29 | 浄心庵 長尾弘先生垂訓
 
 恩師のご著書「真理を求める愚か者の独り言」より

         第六章 人類滅亡を救う奇跡と癒しの秘密

       奇跡の真の目的――地球の波動の次元上昇する
             二十一世紀に向けて


先の続き・・・

神の御心と等しい質を持つ本来の自分が神我です。
私たちはもともと神の愛し子として幸せで健康になって当然の存在として、
誕生しています。
しかし、自己保存や自我我欲などの想念が心を曇らせ、神我との間に隔たりと
分離をつくってしまい、不完全な現象が出来事として現れてきます。
それも表面が不完全なように見えるだけで、
本当の私たちというのは神の子として完全な存在なのです。
今は地球がたいへんな変革期を迎えています。

物質文明から精神文明への大転換はもうそこまで来ています。
アセンションとか次元上昇ということも言われています。
すでに地球より進化し、調和した魂と高度な文明を持った先輩星が、
これからの地球の次元上昇を見守っているという情報が書店を通し
一般に読まれてきています。
それらの星々のレベルに近づいていく過程で、
私たちの世界はだんだん物質文明から精神文明へと移行していくでしょう。
そうすると、何もないはずの空間に物が突然出現したり、
瞬時にして思った通りに体が違う場所に移動したりということが
常識になる時代もそう遠くないかもしれません。

奇跡が驚異の対象だったのが、だんだんとこういうことも
当たり前になってくると思われます。
環境問題に対応した宇宙エネルギーとかフリーエネルギーなどと
呼ばれるものが開発されつつあります。
過去地球に埋蔵されてきた有限な化石燃料に頼らない無限供給の夢のような
エネルギーの時代へと入っていくと言われています。

それと同じものですが、最近では真空エネルギーという呼び方も出て来ており、
これは反重力という力を利用して、恒星間旅行、つまり宇宙旅行を可能にする
第一歩となる画期的な研究に基づき、これまでの科学常識を
完全に超えるものだということです。
一万年以上も太古の昔、地球上にあったと言われるアトランティス大陸の時代には、
クリスタル(水晶)を用いた優れたヒーリング技術や空飛ぶ円盤なども
存在したと言われています。
今後不可能なことではないかもしれません。




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「御垂訓」

2021-09-21 00:31:32 | 浄心庵 長尾弘先生垂訓
 
 恩師のご著書「真理を求める愚か者の独り言」より

       第六章 人類滅亡を救う奇跡と癒しの秘密

     奇跡の真の目的――地球の波動の次元上昇する
            二十一世紀に向けて


正しい教えを実践した時には、必ず文証 理証 現象が望むことなしに
現れてきます。
文字としての証明、理論的証明、そして目に見える形として起きる出来事の
上の証明です。
これは自分が望む望まないに関係ありません。
正しい法の実践にはこれはつきものです。
ついて回ってくるのです。
言ってみれば、副産物です。
そうして現わしていただく現証は、大宇宙・大自然・大神霊の御業であると
思います。

では、これにはどんな目的があるのでしょう。
神の癒しである神癒を説明します。
神癒の本当の目的をお伝えするのに、
しばしば用いるのは漁で使う投網のたとえです。
神様が気に入った人を使って放つ投網とは、
現世的なご利益を方便として人々を真理に導こうとするための道具です。
たとえば貧乏から救われたとか、病気が治ったとか、商売がうまくいったとか、
良縁に恵まれたとか、そういうことが所謂この世的なご利益です。

これらを励みとし、神仏への感謝の心に目覚め、
また自らの心の過ちに気付いてそれらが生活を改めるきっかけとなることが、
実は神様の意図であり、神のお計らいであります。
しかし、この投網に残る大きな魚が、
そこから漏れてしまう雑魚よりも圧倒的に少ないうちは、
この世は心では幸せを求めつつも、
まだ幸せになりたくない方が大部分だというとになってしまいます。
これは、幸せになる秘訣がわかっていないのと、わかろうとする人がいないからです。
ところで、幸せの秘訣となんでしょう。

それは大自然の法則、神の法則から外れた分だけ不幸の大きさが増すということを
知らない自分の心こそがすべての原因である、という真理を理解し、
自らの心がこの神の法則から外れないように絶えず努めることにあります。
私たちの存在の本質は、完全なる神様から分かれた命であり、
霊(神の分け御霊)であり、明るく素直な善なる心であり、
すべてを可能にする能力であり、無限の可能性を信ずる心です。



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「御垂訓」

2021-09-20 00:04:55 | 浄心庵 長尾弘先生垂訓

    恩師のご著書「真理を求める愚か者の独り言」より

     第六章 人類滅亡を救う奇跡と癒しの秘密

       現代によみがえるイエスの奇跡


先の続き・・・

まことの神を知った時、宗教も組織もつくらないことを誓いました。
なんの営利も、この世の名誉も関係なく、講演・癒しなどに来られる
縁ある方々の中で一人でも多くの方が健康で幸せであってほしいという一念です。
全国各地や海外での講演・奉仕活動に必要な経費についても、
人に迷惑をかけない原則を守ってまいりました。

そのことは胸を張って世間に公言できます。
いつも自分の心はオープンですから、
人様の前で自らの現在の生きざまを問われても、恥ずかしいことはございません。
今日までの何の不都合もなく、
行く先々で多くの方々から愛され、大切にされており、
身に余るほどの幸せ者です。




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「御垂訓」

2021-09-19 00:08:20 | 浄心庵 長尾弘先生垂訓

       恩師のご著書「真理を求める愚か者の独り言」より

         第六章 人類滅亡を救う奇跡と癒しの秘密

          現代によみがえるイエスの奇跡


そういう自覚と有り難さと、そして厳かな気持ちから、
非常に満足して喜びと平安に満たされた心でおります。
しかも、その「現象」が実は神の証しである
「現証」であるということを十分に知っています。
だから、神との約束であれば、
それを果たしていく以外に生きる道がないようです。

かつては多くの過ちを犯してきたこの身であっても、
厳しい反省を通して悪を止め、善を作ることにより、
この世に生を享けた意味と、
お役目ということをはっきりわからせていただきました。
いくら頭で天の理想を理解していても、
この肉の身にそれを体現できなくては、
この地上の生活はよくなりません。

雲の上から降りたら、
今度は神様の愛の心を自分の肉体を通して行為として
具現していく必要があると思います。
ただ、病気を治すだけではありません。
病気を治すのは、あくまでも方便です。

神癒とは、
私たちの一人一人が生まれてきた目的や心の正しい在り方に
気付くために手段の一つであり、
大自然の法則と神の御心に沿った生き方を実践するための
きっかけにすぎません。

最終的な癒しは体だけでなく、
心までも安らぎと至福感で満たし、その人の心を救うものです。
心が救われてこそ癒しは成功したと言えます。
神の御心とはどういうものかを述べ伝えていかなくては
ならないと思います。

ただ言葉や理論だけでなく、
生活の中で神の御心を日々実践し行う努力を続けながら、
自ら人々のお手本として示し現わしていかなくてはなりなせん。
宗教は信じますか、とよく聞かれます。

「宗教は信じません」なぜですか。
「宗教は人が作ったもので神がお作りになったものでないからです」
神は信じますか「神は常に私とともにあられます」
宗教組織はつくりませんか。
「死ぬまでつくりません」後継者はどうしますか。
「私のような厳しい生活を人に強いることはできません」また、
誰もできないでしょう。


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「御垂訓」

2021-09-18 00:34:21 | 浄心庵 長尾弘先生垂訓

    恩師のご著書「真理を求める愚か者の独り言」より

      第六章 人類滅亡を救う奇跡と癒しの秘密

        現代によみがえるイエスの奇跡


不思議なことが起きだしたのは、四十歳の頃でした。
昭和四十年代後半から昭和五十年代にかけて、
医者に見放された人、捻挫で足が腫れ上がって歩けない人、
腰痛で見動きもできない人、骨折した人などが
次々に治り、さらに癌が治った人まで、
あらゆる人が癒されていきました。

今日までに国内だけでなく、ドイツ、イギリス、イタリア、フランス、
オーストリア、スイス、オランダ、ポーランド、オーストラリア、
ニュージランド、インド、タイ、台湾、中国、香港、韓国、ヨルダン、
イスラエル、エジプト、カナダ、アメリカ、ギリシャなど海外各地を回り、
たくさんの人々への奉仕をさせていただきましたが、その間に自分でも
驚くような神癒による奇跡を見せていただきました。

目の見えない人が目を開き、もの言えぬ人が言葉を語り、
足の立たぬ人が立ち上がって歩き、また死せる人が生き返る。
まさに聖書の中でイエス・キリストが行ったと
言われる癒しの奇跡は
現実であったということを実感しました。
そればかりか、癌の方でも私と何度か逢ううちに、
病院で検査したらいつのまにか癌が消えてしまい、
ご本人もお医者さんもびっくりされたという事例、
また癌を病みながらも一切の苦痛や恐怖を知らず、

感謝のうちにこの世を去っていくというケースなど、
現実に起きている事柄を挙げたら枚挙にいとまがありません。
こうした心身の癒し奇跡も含めた、
不思議な事や考えられない出来事の数々を
体験させられてきた人間も、
現在の世界にはそんなにおられないと思います。

しかし、別に自分のことをみなさんとは違う特別な
人間と思ったことは一度もありません。
むしろ、こういう出来事に遭遇するごとに、
だんだんと謙虚の大切さが身にしみてきます。
というのも、己れ以外の偉大な神の力というものを
思い知っているからです。

神とはコズミックパワーあるいは大宇宙大自然を
つかさどる力と言ってもいいでしょう。
とにかく私たちの生命を生かしてくださっている力を
本書では神と呼ばせていただいています。
癒しの出来事を前にして、人々は目をみはり、
感嘆の溜息をもらします。

呆然自失する方々もあります。
一同感涙にむせぶ場面がよくあります。
このような出来事は常に見せていただきますが、
ただの一度も治したと言ったことも思ったこともありません。
それを為したのはけっして自分自身の力にはあらず、
父なる神の偉大なる御業であるということを
誰よりもよく承知しています。


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「御垂訓」

2021-09-17 00:23:40 | 浄心庵 長尾弘先生垂訓

恩師のご著書「真理を求める愚か者の独り言」より

      第六章 人類滅亡を救う奇跡と癒しの秘密

         神我の声に耳を澄ませ!


先の続き・・・

法の伝道のための旅の途上、飛行機の中で瞑想していた時のことです
メガロポリスに帯状に集うにぎやかな灯がいくら文明の世を象徴していようと
もはや人々がどのように生きたらよいのかを示し照らす法の灯さえ消え去り
社会に蔓延する悪と跡を絶たぬおぞましき事件は歩むべき道を知らぬ人々に
ますます生への嫌気と不安を与えるばかり
ついに雲上から地上へと降りることを決意しました
泣け叫び苦悩せる愛し子のもとに降り立ち
導きの法灯を点じ 幸せへの道を示そうと思いを定めました
「愛しき我が子よ 愛しき我が子よ
幸せになりなさい 健やかに生きなさい 自らを苦しむることなかれ」

これ以来、 
この創造神の声と私の胸の奥の声とは常に一つになって響いています
我が肉の身を捨てて 父なる神にすべてを捧げた日より
肉体に制限されあれこれと思い煩う自我がいなくなり
神様の御心と一体になった永遠の命なる己れに目覚めたからです
「我が命 この身を父なる神に捧ぐ かくて神我を知れリ
我が命 我が身をもって 父の御心をこの地上に具現せり」

かくして天下り 本体である神我と合体した身辺では
いたち来りて我が膝に遊び 小鳥あまた集い来たりては唄歌い
愛らしく清楚なる花の精との対話に時を忘れ
また行くところ金箔が舞い降り 金粉が湧き出で
講演中に百合の花が垂直の方向を向き
我が言葉に従い 開いたり閉じたりする花々と 数々の現象が起き始め
さらに難病や奇病をはじめ 人々のあらゆる肉体の病苦が癒される
聖書の世界さながらの出来事が起きてまいりました

これらはすべて我が神我を通して働かれる神の御業にほかなりません
盲亀浮木のたとえのごとく この神の御業を理解する人の甚だ少ないのは
偽りの神を信ずる人々が今の世にはあまりにも多く
また霊能的な力を誤用し 人々を迷わせる迷わせ人のあまりにもはびこるが
ゆえです
外に神を求めれば迷い 神にめぐり遭うことはありません
神を信ずる人は多く 神に信ぜらるる人はあまりにも少なく
父なる神は信じうる子を探し求めておられます

神様のお仕事のお手伝いをさせるためです
内に神を求めて 心の奥深くまで反省と悔い改めによって 心の曇りを払い
内なる世界のほうから神の光が来るが如く
この現世に我が身の行いをもって 神の御心な何たるかを伝え
神の御心を我が肉体をもって示し現わしていこうと思います
〔註〕あくまでも私個人の心の中の出来事と現実にあった出来事で、
信じる信じないはご自由です。


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「御垂訓」

2021-09-16 01:31:43 | 浄心庵 長尾弘先生垂訓
   
恩師のご著書「真理を求める愚か者の独り言」より

       第六章 人類滅亡を救う奇跡と癒しの秘密

           神我の声に耳を澄ませ!


法の伝道のための旅の途上、
飛行機の中で瞑想していた時のことです。

身は機上にあり 心 天界にありました
そこは地球の成層圏内の雲海というより、
紫雲海とも呼ぶ天上の世界です
金色燦然と輝く世界から放たれる光を浴びつつ
雲海からのぞく遙かな下界を見下ろすと
悠々の大河は地表をうねり 
山の峰々は連綿として連なっておりました。
しかしそれはどこまでも大自然そのままの姿を
とどめているのではありませんでした

人間たちが愚かなる小智才覚でもって
山を崩し 川を堰き止め 海を汚し 森林を伐採し
父なる創造神から与えられた自然を破壊して
顧みない哀れな惑星の姿でありました。
この人類が恩恵をこうむりながら住んでいる星そのものが
生命の祖(おや)である神の御神体だということも
忘れたかのように人類は
これを傷つけ傷つけられ変わり果てた惑星は
痛ましい姿をさらしながらも
ただ黙って人類の行為を見守っておられます。

広大な大自然の覆う地球から見れば 
人類の住む場所のなんと小さいこととか
山間や川のほとりに沿った狭隘(きょうあい)な場所に 
また海辺に開けた小さな扇状形の平野に
群がってそれぞれの集落をなし 
日々の暮らしをつましく営む人間たちの夕ともなれば 
人家からこぼれる生活の灯が 
また乱立する高層ビル群の谷間に蝟集(いしゅう)する
車や人間たちの蠢(うごめ)く

巨大都市から溢れる極彩色のネオンの灯が
雲の上を飛ぶ自在の眼には悲しく映りました。
ここに六十億の人間の命が息づいている
その時 愛し子たちの地上生活をじっと見つめておられる
父なる神の視線を同時に感じておりました。
心の眼には苦悩の渦中で惑い苦しみ泣き叫ぶ
数知れぬ人々の心の姿が映じてまいりました。


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