恩師のご著書「思いの中に生きる」より
言葉の力
しかし、同じ口から出る言葉で、無上の喜び、
これ以上の喜びはないというほどの
喜びも与えられます。
言葉はものすごい力をもっています。
ですから、
常に言葉によっても悪い原因・悪い種を
蒔かないようにしなければなりません。
この話もよくさせてもらいますが、
もう十年近くになりますけど、
私もものすごい腹立て(怒りっぽい性格)
でございまして、
愚痴ばっかり言いますし、
恩師のご著書「思いの中に生きる」より
言葉の力
しかし、同じ口から出る言葉で、無上の喜び、
これ以上の喜びはないというほどの
喜びも与えられます。
言葉はものすごい力をもっています。
ですから、
常に言葉によっても悪い原因・悪い種を
蒔かないようにしなければなりません。
この話もよくさせてもらいますが、
もう十年近くになりますけど、
私もものすごい腹立て(怒りっぽい性格)
でございまして、
愚痴ばっかり言いますし、
◆お写真は恩師「長尾弘」先生のご講演中を学びの友の方が
カメラに収めたものですが、ご覧のように幽体(肉体)
離脱の状態となっています。
カメラのブレと思われる方も居られるかもしれませんが、
そうではありません、何故なら同じ被写体である
恩師の前の演壇は少しも動いておりません。
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言葉の力
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ですから、少しでもよいことをしておけば、
良い原因が必ず良い結果として実ってきます。
そしてその収穫は自分自身ができます。
自分の蒔いた種は絶対他人は収穫してくれません。
全部自分がします。
悪いことも良いことも。
悪い原因というのは、何も殺人をしたり、
よそのものを盗んだり、
それだけではないのです。
言葉によって、
人に死ぬよりも辛い思いを与えます。
◆お写真はその昔、インド全土を統一されたアショカ王が
建立された塔の前に立たれている恩師「長尾弘」先生です。
恩師のご著書「思いの中に生きる」より
言葉の力
いつもお話させていただくのですけれど、
この世の中では、
どんなものでも原因があるから結果があるのです。
原因なしに現れる結果は何もありません。
私たちが自分で気付く気付かないにかかわらず、
日々の生活の中で間違った
原因を次々と作っておきましたら、
必ず間違った結果として実ってきます。
その収穫を他人は絶対にしてくれません。
全部自分が収穫しなければなりません。
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五官から離れるということは
どのようにすればいいのかと思って
私も随分追求させてもらったのですが、結局、
自分から離れて相手の立場から
ものを見させてもらうことと、
私たちを生かしていただいている
神様の立場に立って自分と相手を見ること。
その時、中道の片寄りのない見方ができると思います。
つい五官にとらわれますと人様より好い恰好したい、
あるいはしんどい目をするより楽をしたいとか、
自分本位の見方になります。
◆お写真の黄色いバラの花はお釈迦様がお生まれになられた
ルンビニの地でホテル業をされている法華ホテルの庭に
咲いていたものをカメラに収めたものです。
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そこで、
私たちが常に心の中に羅針盤あるいは
今で言うレーダーのようなものを
据え付けましたら危険にあうことが
少なく渡っていけます。
その羅針盤あるいはレーダーの役を
してくれるのが私たちの良心です。
私たちの心の中には、悪を犯してはいけない、
人の苦しみを何とか楽にしてあげたい、
人に幸せになってもらいたいと願う神の心があります。
その神の心を人生航路の羅針盤あるいは
レーダーとして渡してもらった時、
間違いが少ない。
ですから、まず自分の五官から離れる。
◆お写真はご講演の途中で聴衆の中に憑依されている方があり
その方に癒しの光を送られている恩師「長尾弘」先生です。
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で、表面は安心で何も心配ないと思って
航海していましても、その水の中に
鋭い岩礁が盛り上がって船の底を
砕いてしまう場合もあります。
私たちの人生航路もそれと全く同じことです。
同じような人生を渡っているのです。
ある時には怒り狂って大暴風雨の時もありますし、
あるいは疑心暗鬼にとらわれてしまって
何も見えなくなる時もあります。
また表面上うまくいっているなあと安心していたら、
突然にしてとんでもないことが起こる時もあります。
全く人生航路というのは自然界と同じことです。
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私たちは両親から肉体船をいただいて、
その船頭さんが私たちの本質、
本当の私たち自身すなわち霊です。
霊とも意識とも心とも言いますけれど、
その意識が肉体船の中に乗って、
この肉体船を操縦しながら
人生航路を渡って行くのです。
自然界の航海をみましても、
ものすごいシケでもう海は暴風雨になって、
その船が今にも沈没しそうな時もあります。
また霧がかかってしまって、
もう本当に十メートル先も見えないような
深いガスに覆われる時もあります。
また海はよく凪いで、何て言うのですか、
畳の上をずっと通っているような
そんな静かな日もあります。
◆お写真はイスラエスのガリラヤ湖を背景にカメラを
構えられている恩師「長尾弘」先生です。
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その自己保存によって、
怒り・妬み・謗り・愚痴あるいは貪欲、
いくらあっても欲しい欲しいという、
足ることを知らない思い、
そういうものによって心がその時その時に
煮えくりかえってはいけません。
水が古くなって腐って真っ青になってしまえば、
これも顔が映りませんし、
水草が生えたり水ゴケが上をいっぱい
覆ってしまっても顔は映りません。
心もそのように、
私たちが疑心暗鬼にとらわれた時には、
もうとても正しく見られません。
「あの人、あんなん言うてんの違うか、
こんなん言うてんの違うか」と、
言ってもないことを言っていると、
自分で決めてしまって、
正しく見られないのです。
◆お写真はインドの霊鷲山にてその昔、お釈迦様が
瞑想禅定されたと言われている正にその場所で
恩師「長尾弘」先生も瞑想禅定をされています。
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煮えくりかえるのは、
ちょうど器に水を入れてガスにかけて
グラグラ煮えくるかえるのと同じような状態です。
器に水を入れて、そっと置いてのぞきましたら、
自分の顔もきれいに映りますけれど、
グラグラ煮えくりかえったらもうとても見えません。
心もそれと同じような状態なのです。
怒り・愚痴、これはもう不足の心から出ます。
では、不足はどこから出るのかといいますと、
やっぱり自己保存からです。
◆お写真はアリゾナ州グランドキャニオンに立つ
恩師「長尾弘」先生です。
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それから、この五官を通して私たちは
諸々の煩悩が芽生えてきます。
その煩悩はどこから芽生えてくるかといいましたら、
全部自己保存・自我我欲から出てきます。
これももう毎回のお話ですけれど、
私たちがものすごく腹を立てましたら心の
中が煮えくりかえります。
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このように、自分を守るために
いただいている五官を通してものを見ますから、
どうしても自分を守りたい自己保存の
思いにうつるのが当たり前です。
ですから、まず自分という立場を離れて、
たとえば、一対一の場合、常に自分の立場を
離れて相手の立場に立って
ものを見させてもらった時、また、
私たちを生かしていただいている
神の意識あるいは守護霊さんの
立場に立って自分と相手を見た時に、
これは間違いのない正しい見方ができると思います。
ですから、常に相手の立場に立って
ものを見、聞き、また「善意なる第三者」
と信次先生がおっしゃいました
その立場に立って自分を眺め、
相手を眺めさせてもらった時、
自己から離れた正しい判断ができると思います。
恩師のご著書「思いの中に生きる」より
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自分本位はこの身を守るためです。
ところが、そういう思いで見た時、
もう既に思いが間違うのです。
自己中心に見ますから、
見るということに対して
自己保存と自我我欲という
色眼鏡がかかっているのです。
だから、人は間違いやすいものである、
過ちを犯しやすいものであるというのは、
五官そのものが間違いを犯しやすく
作られているからです。
深く追求しました時に
こういうことがわかります。
恩師のご著書「思いの中に生きる」より
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眼・耳・鼻・舌・身の五官は何のために
与えられているかということを考えましたら、
この肉体を保持するため、
自分の身を守るために与えられているのです。
口から食事をいただかなければなりませんし、
目が見えなければ難儀ですし、
耳も聞こえなければこれも大変です。
だから、自分を守るために与えられた
五官を通してものを見聞きしましたら、
どうしても自分本位の見方になってしまうのです。
そうなっても悪くないのです。
それが当たり前です。
◆お写真は静岡県富士宮での特別研修会での
つかの間の休憩時間にリラックスされている
恩師「長尾弘」先生です。
恩師のご著書「思いの中に生きる」より
正しく見る
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八正道の一番最初に「正しく見る」と
説かれていますけれど、
この「正しく見る」というのは
なかなか難しい問題です。
私たちが学ぶのに一番わかりやすい
「正しく見る」方法といいましたら、
それはまず自分から離れてみるということです。
自分からものを見た時もう既に
間違うのです。
なぜなら、この私たちには
五官が与えられているからです。
恩師のご著書「思いの中に生きる」より
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ところが、
「心」、自分の心で思ったことはどんなに
悪いことを思っても罰せられないのです。
思いは表面に表われないので相手にもわからないし、
そのために思いというものをつい疎かにします。
思うことぐらいどんなに悪いことを思ってもわからないし、
また人に迷惑かからないから
自由させてほしいと思っています。
ところが、思いというのは、
私たちが行動を起こすことを、いわば「陽」、
表れた行とすれば、行の前にする
「陰」、隠れた行になるわけです。
ですから、思うことを間違っていましたら
必ず言葉も間違ってきます。
その言葉が間違えば、また今度は行も間違ってきます。
したがって、思いから正していくことが大切なのです。