※ カナンの地を目前にしてモーセ自身が【私が】水を出しましょうと仰って
湧き出た「最後の泉」の前での我らの恩師。
【私が】というその一言でモーセは神様の怒りをかわれ
その場から動けなくなってしまった、と
言われているその泉です。
~ 恩師の御講演「心身の神癒」より ~
何であれ父なる神はわたしのする事を御覧になると、
その百倍もの祝福をして下さる。
父が富み裕なるが故にわたしも真に豊かなのである。
~ 感謝・合掌 ~
※ 菩提樹の葉に描かれた天上天下の姿をとられた
お釈迦様。
「一時の借り物」
~ 恩師の御講演より ~
私たち人間をはじめとし、この世の自然界にある全てのものは
神がお創りになったものであり、
私たちはそれを今一時お預かりしているだけである。
従って、時期が来たれば ― この世を去る時には ―
すべてをお返ししなければなりません。
・・・と、恩師はお説きくださいました。
~ 感謝・合掌 ~
※ お写真はモーゼの足跡を訪ねての旅の途中
お食事のため立ち寄たレストランにての恩師。
~ 恩師の御講演より ~
人間が利己的に自分の為に行う事は
生命の貸し方欄には何の記入ともならない。
~ 感謝・合掌 ~
~ 恩師の御講演「お釈迦さまの御教え」より ~
~ お釈迦様の「四苦八苦」 の教えの中に
「求不得苦」 との教戒がございます ~
◎ 意味を直訳すれば 求めても得られない時の苦しみ
ということです。
★ 人様に何かご奉仕をさせて頂くときに
心しなけばならない大切な事は;
何物をも求めてはならない、「ありがとう」のお礼のお言葉すらをも
求めてはならない、求めて得られた時には心を苦しめませんが、
それが得られない時には、ご自身の心を苦しめます。
ですから、唯させて頂くことのみに徹することが
ご自分の心身を悪想念から守護して頂く鎧で
あることを知るべきです。 と、恩師はご講演会で
お説きくださいました。
~ 感謝・合掌 ~
~ 仏教聖典より ~
月はまたすべての上に現われる。町にも、村にも、山にも、
川にも、池の中にも、かめの中にも、葉末の露にも現れる。
人が行くこと百里千里であっても、月は常にその人に従う。
月そのものに変わりはないが、月を見る人によって月は異なる。
仏もまたそのように、世の人々に従って、限りない姿を
示すが、仏は常に住して変わることはない。
~ 感謝・合掌 ~
※ 上のお写真はガリラヤ湖畔でお写真を撮られる我らの恩師
長尾弘先生。
~ 新約聖書・恩師のご講演より ~
人間を捕獲する漁師にしてあげよう
~ イエスの12使徒の始めの4人 ~
ある日、イエスが、ガリラヤ湖の岸辺を歩いておられと、
シモン(別名:ペテロ)とアンデレの二人の兄弟が舟に乗り
網で漁をしているのに出会いました。
彼らは漁師でした。
イエスが、「わたしについて来なさい。
人間を救いとる漁師にしてあげよう」と声をおかけになると、
二人はすぐに網を捨てて、イエスについて行きました。
しばらく行ったところで、今度は別の二人の兄弟ヤコブと
ヨハネが、父のゼベダイといっしょに、舟の中で網を修繕しているのを
見つけ、そこでも、ついて来るようにと声をおかけになりました。
彼らはすぐ仕事をやめ、父をあとに残して、イエスについて行きました。
~ 感謝・合掌 ~
※ お写真は在りし日の浄心庵の治療室に掛けられていた
恩師直筆の「明来闇去」です。
~ 恩師の御言霊 ~
○ 父母に仮に呼ばれて客として又たち帰るもとのふるさと
○ 日日に神の御胸に抱かれて光の国に住めるうれしさ
○ 集い来る過去世に学びし友がらの一人ひとりのいとおしきかな
~ 感謝・合掌 ~
~ 恩師の御講演「心身の神癒」より ~
銘記するがよい、
神我(キリスト)があなたたちの生命である。
死を始めすべての敵が屈服する。
神我(キリスト)の中に生きることが
永遠に生きることである。
~ 感謝・合掌 ~
~ 恩師の御講演より ~
遠くにありても近き弟子。
近くにあっても遠き弟子。
とは、お釈迦様の言葉です。
たとえ身近に仕えても師の教えを実践しない人は、
遠く離れた弟子であり、
いまだ巡り逢うことなくとも、その教えを理解し、
実践する者は最も近き弟子である。
~ 感謝・合掌 ~
~ 恩師の御講演より ~
正しく生きるとは
神様の心を我が心に戴いて生きること。
神様の心とは太陽の心を生きること。
太陽の心とは自らを燃え上がらせ、
その結果として現れる熱と光(慈悲と愛)を
平等・無差別・無償で他に与え給うことである。
・・・と、恩師はお説き下さいました。
~ 感謝・合掌 ~