※ お写真は聖墳墓教会内に掲示されていた十字架です。
~ 恩師のお説き下さる「心身の神癒」より ~
なくなりはしまいかと恐れているものに、
何とまあ誰も彼も同じように執着していることか。
おのが生命を得んとする者はこれを失い
おのが生命を棄つる者はこれを得る。
~ 感謝・合掌 ~
~ 恩師がお説きくださる「お釈迦様の御教え」より ~
月はすべての上に現れる。
町にも、村にも、山にも、川にも、池の中にも、
かめの中にも、葉末の露にも現れる
人が行くこと百里千里であっても、
月はその人に従う。
月そのものに変わりはないが、
月を見る人によって月は異なる。
~ 感謝・合掌 ~
浄心庵 長尾弘先生
~ 恩師のお説きくださる「心身の神癒」より ~
闇は光の不在にすぎない
あなたたちの胸(ハート)が愛によって
満ちておれば魂の中には闇はありえない
なぜならば愛は世の光であるからである
~ 感謝・合掌 ~
※ 題字の「愛」は恩師の歌集おもて表紙の書。
~ 恩師の御著書「心行の解説」より ~
「神様を尊ぶ人は貧しい人々を哀れむ」
弱い者をいじめたりすることは神に背く行為です。
神様を尊ぶことは自分たちよりも恵まれていない人々に
愛の手をさしのべることで、
それが神を尊ぶことになります。
~ 感謝・合掌 ~
浄心庵 長尾弘先生
~ 恩師のオリジナル「神我の声」 ~
我が身 雲上にあり 心雲下を眺む 悠久の山河 連々とつらなり
その変化を知らず 愚かなる人智 山を崩し 川を堰きとめ 森林を伐採す
川の流れを変え 自然を破壊す 主なる神 父なる神の
御神体を傷つけて止むことを知らず 愛し子たちよ 大自然の力を甘く見ることなかれ
大自然の恐れ 大自然の反動を心して受け取るべし 大自然の姿を見よ
広大なる山河の中に 人の住めるその場所の小さきことを 山々の谷間に
川のほとりに 海辺に開けし小さき扇状形の平野に群がり 人家密集す
法灯消え去り 人その歩む道を知らず
故に 苦悩の中に泣き叫ぶ人々その数の多きを知らず
我 雲上より天下り 泣き叫び 苦悩せる愛し子のもとに馳せ参じ 法灯を点ぜん
倖せへの道を開かん 愛し子よ幸いあれ
自らを苦しむることなかれ
我が命 この身を父なる神に捧ぐ かくて神 我を知れり
我が命 我が身をもって 父の御心をこの地上に具現せり その時 その場に
金箔舞い降り 金粉 湧き出でたり いたち来たりて我が膝に遊ぶ 小鳥 無数来たり
集いて唄歌い 花開き 花閉ざせり 生きとし生けるもの我が言葉に従う
この時あらゆる病い癒さるる めしい目を開き もの言えぬ者は語り
足立たぬ者立ち上がれり また死せる人 生き還れり 死を迎えし多くの人の姿を見よ
癌を病みながら一切の苦しみを知らず 感謝の中にこの世去り行く
これらの人々死して天上界を約束されたり これすべて父の御技なり
我が神我を通し働き給う父なる神の御技なりけり
盲亀浮木のたとえの如く 世のすべての人々この御技を知らず
愚かなり 世は真の神を知らず 偽りの神々を信ず
外の神を求むる人々 その数を知らず されど外に神を求めて神に巡り合うこと難し
神を信ずる人多く 神より信ぜざるる人少なし
我はその内なる世界に神を求めて神の愛を知れり
世に偽りの神々を信ずる人 あまりにも多し されど真の神を信ずる人
あまりにも少なし父は信じ得らるる我が子を求め給う 我内なる世界より来り
現世(うつしよ)にこの身の行いをもって 神の御心を述べ伝えん
~ 感謝・合掌 ~
浄心庵 長尾弘先生御垂訓
※ お写真はお釈迦様が肉体行をなされた前正覚山です。
向かって右側の少し高いお山で修行なされたと言われています。
~ 恩師の御著書「愚か者の独り言」より ~
§ お釈迦様が大悟なされた切っ掛けとなった当時の民謡 §
絃はきつく締めたらきれてしまう
弱く締めたら音色が悪い。
中ほどに締めれば音色が良い。
絃に合わせて歌えや歌え、踊れや踊れ
中道・調和
~ 感謝・合掌 ~
浄心庵 長尾弘先生
~ 恩師の御著書「愚か者の独り言」より ~
神を知りたければ、あの太陽をみなさい。
太陽の心とは太陽の熱と光に象徴される無償の愛です。
太陽は、自らの身を犠牲にし、
自らの生命を燃焼させ、その結果として表れる熱と光を放出して
生きとし生けるものにエネルギーを与えています。
この熱と光こそは神の慈悲と愛です。
~ 感謝・合掌 ~
浄心庵 長尾弘先生
人は唯一人では生きられない
多くの人や物にささえられ
生かされることによって
生きている
その恩に報いる
唯一の道は
人を生かし
物を生かすことである
「闇を光に変えるのは感謝と報恩である」
・・・と師はお説きくださいました。
~ 感謝・合掌 ~
浄心庵 長尾弘先生
◆。。◆ おこったらあかん ◆。。◆
~ 恩師のご講演会より ~
私のシャツには「おこったらあかん」と書いてあります。
何故「おこったらあかん」かと言いますと、それは
誰の心の中にも「鬼」と「仏」が住んでいて、
「おこったら」鬼が出てきて自分自身も苦しめますし、
周りの人々も苦しめるからです。
神様は自分自身を大事にしなさい、
そして自分自身を大事にするが如く
他を大事にしなさいと言われています。
ですから「おこったらあかん」!
そうすれば自分自身も幸せ(心に安寧を戴けます)になれますし、
周りの人々も幸せにすることができるからです。。。と、
我らの恩師はお説きくださっておられます。
~ 感謝・合掌 ~
浄心庵 長尾弘先生
※ 私たち人間がどのような想念・行為をした時に神様が喜んでくださるか・・・
との例をあげて恩師がお説き下さっていた時に生けてあったユリの花が
その通りであると答えるが如く一斉に垂直に立ち上がってお写真のように
なられたとのことです。
~ 恩師のお説きくださる「心身の神癒」より ~
何であれ、自分にして貰いたいと思うことを人にしてあげよ
また、自分に人からして欲しいと思うことを先ず人にするがよい
~ 感謝・合掌 ~
浄心庵 長尾弘先生