恩師のご著書「真理を求める愚か者の独り言」より
第四章 「思い変え」こそ幸せの扉を開ける鍵
◆心こそ心惑わす心なり、心に心 心赦すな――中道の大切さ――◆
肉の身を持ちながら肉に汚れない心の花を咲かせなさい。
これが天からのメッセージです。
神様も心も目に見えません。
ですが、どちらも否定できない存在です。
心がないという人はいないし、
自然界の生命エネルギーについてもこれを神と呼ぶ呼ばないは別として、否定できません。
そして、心については、「自己を完全に制御できた場合には、天界の神々(諸天善神)も
これを羨む」と言われています。
心はちょっと気を赦すと意志のコントロールを離れてのさばり、野猿のように手に負えなくなります。
心の主人となって神我の自分が表面意識をコントロールしなければなりません。
そのためには、バランスのとれた心が必要です。
表面意識の感情と理性と本能と知性の割合が均等であり、調和がとれていなくてはなりません。
では、ここで未熟な私が危うく心の魔にしのび寄られて、
神様のみ心から外れそうになった以前の体験を紹介します。
或る晩のことです。
寝ている部屋はT字路にはさまれた角部屋なのですが、ちょうど私の枕元で犬の吠え声が
けたたましくて、とうとう朝まで寝つかれませんでした。
うるさいなあと思うけれども、犬が吠えるのは犬の自由だからと思い変えします。
しかし、二日、三日とたつうちに思い変えができなくなってきます。
まず、飼い主は何をしているのだろう、こんな真夜中に放し飼いになんかして。
ちゃんとつないでいてほしい。
こう思うと腹が立ってきました。
さらに五日、七日と続くと夜は眠れない、
明日の仕事にはさしつかえるでいよいよつらくなってきました。
それがさらに続くと、竹刀を持っていって殴ってやろうかと思いました。
それがエスカレートし、
ついに薬局に行って猫いらずを買ってきてパンの中へ入れて食べさせてやろうかという
考えまで出てくる始末です。
心の修行がちょっとはできていると思っていたのに、できていない自分に直面し、
愕然としました。
私の心の中にはまだまだこんな恐ろしい心が棲んでいたのかと思い、
己の未熟さに気づかされ、神にお詫びをしました。
そして翌日、「私の愛するお犬様・・・」という書き出しでラブレターを書きました。
「あなたの生きる自由は認めます。しかし、他に迷惑をかけないように生きて下さい。
鳴くのだったら、遠いとこに行って鳴いて下さい」という文面を新聞の折り込み広告の
裏にしたためました。
それを犬の鳴いていたあたりに持っていくと、石ころを重石にして置いてきました。
すると、どうでしょう。
その晩から犬の吠え声は聞こえなくなりました。
よく耳を澄ませば、遠くのほうで犬の鳴く声がかすかに聞こえてくるのでした。
母があきれて、「あんたの手紙はよく効くもんやなー」と言っておりました。
~ 感謝・合掌 ~