浄心庵・長尾弘先生「垂訓」

恩師の歌集「愛」より

日日に神の御胸に抱かれて
光の国に住める嬉しさ

「垂訓」

2024-12-31 23:54:53 | 浄心庵 長尾弘先生垂訓

恩師のご著書「思いの中に生きる」より

    神の御心の中で


先の続き・・・

見る、聞く、嗅ぐ、この使命は違いましても、

そのなすべきことは愛です。
人様へのご奉仕、喜んでいただく愛の

行為が指によって一本一本違いましても、
その目的は全部それに費やされるのです。
それはこの肉体を運営するためにすべてが

協力してくれているのと同じことです。
そして、太平洋の水を一滴汲みまして、

その一滴の水をここに持って来ましても、
太平洋の水とこの一滴の水は何ら変わりません。
全く同質同根、同じものですね。


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「垂訓」

2024-12-30 23:57:12 | 浄心庵 長尾弘先生垂訓

◆お写真はその昔、恩師「長尾弘」先生から頂戴しました

 年賀状です。字句の読みと、意味を教えていただきましたが、

 わすれました。

恩師のご著書「思いの中に生きる」より

      神の御心の中で


先の続き・・・


それと同じように私たちも、

神様のある一部分を果たさせてもらっています。
「私はこういうことはできません。
できないから神様に申し訳ない」

とおっしゃる方があります。
しかし、例えば私は目の役をさせてもらっているとします。
ある方は耳の役をしているとします。


耳の役をしている方が、
「私はよう聞こえるんやけど、

見ることはできない。私は申し訳ない」と言って、
自分を責めては何もならない。
そのかわり目の役をしている人は

聞くことができません。
そのように私たちは神様のご意志の何か一つを

ご用させてもらっているのです。
じゃあ、その目的は何か、です。


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「垂訓」

2024-12-29 23:55:49 | 浄心庵 長尾弘先生垂訓

恩師のご著書「思いの中に生きる」より

      神の御心の中で


私たちは神の御心の中に住まわしていただいき、
神の大いなる愛の胸の中に生きさせてもらっています。
そして神様と全く同質同根です。
これをはっきり自覚することです。


この指が私たちなら、肉体が神様です。
親指は親指の使命を果たし、

人差し指は人差し指の、小指は小指の使命を果たします。
全部与えられたその場所に於いてその使命を果たしております。
目は目、耳は耳、鼻は鼻の使命ですね。


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「垂訓」

2024-12-29 00:05:27 | 浄心庵 長尾弘先生垂訓

   恩師のご著書「思いの中に生きる」より

       亡くなった方に対する思い方


先の続き・・・

しかし、そのような中で、そのような試練を与えていただいて、
しかもその人を本当に思うなら、
その人の幸せ、死んでから幸せにするというのは申し訳ないのですが、
せめて死んでからでも幸せになってもらわなければならないと思って、
「安心して下さい」そして、「私はこの子供たちを責任をもって育て、
責任をもって独立させますから、

あなたは安心して極楽の世界へ旅しなさい」
と言い聞かせました。
まあ、お陰様で二人の子供は無事に学校も出させてもらいまして、
いい所へお嫁にもらっていただきました。
幸せに暮らさせてもらっています。


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「垂訓」

2024-12-28 00:04:50 | 浄心庵 長尾弘先生垂訓

恩師のご著書「思いの中に生きる」より

     亡くなった方に対する思い方


先の続き・・・

そして本当に亡くなった奥さんのことを思うなら、

どっちが悲しいか考えてみなさい。
それは亡くなられた奥さんの方が悲しいはずです。
あなたにはこうして私ら大勢の者が付いています。
亡くなって行く者は一人です。
その人を本当に思うなら、

その人のためを思うてあげなさい」ということでした。
まあ、生きている時は本当に不調和な

夫婦生活をしまして、顔を見たら喧嘩していました。
本当にもう夫婦としては最失格者でした。


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「垂訓」

2024-12-26 23:59:34 | 浄心庵 長尾弘先生垂訓

恩師のご著書「思いの中に生きる」より

    亡くなった方に対する思い方


先の続き・・・

私は四十五歳の時に家内を亡くしまして、

子供を二人残されました。
下は中学一年生、上は高校でした。
その時、もう本当に忽然として

亡くなりましたから途方に暮れまして、これは
一体どうしたものか思い悩み苦しんでいた時に、

ある先生が私に教えて下さったのです。
これはその先生を通して神仏から

教えていただいたんだと思います。
その教えが、「あなたは悲しんではいけません。

しかし、その人生の中で最も
悲しいでき事であれば、耐えて、

無理して耐えて我慢することもないんです。
思いっきり泣きなさい。思いっきて泣いて、

そしていつまでも囚われないようにしなさい。
いつまでも囚われてはいけません。


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「垂訓」

2024-12-26 00:18:59 | 浄心庵 長尾弘先生垂訓

恩師のご著書「思いの中に生きる」より

   亡くなった方に対する思い方


先の続き・・・

だから、亡くなった方のことを本当に思うなら、

自分をしっかりして、
亡くなった方に「今生こうして夫婦として

親子としてご縁をいただきました。
本当にいろいろありがとうございました」と、

まずお礼を申し上げるべきです。
そして、「私たちは寂しいし辛いです。

しかし、今まで以上に頑張って、
(たとえば子供さんが幼い場合なら)

私はこの子供たちと精一杯頑張って、
あなたの分もこの子たちを大事にして

一人前に育ててみせます。
だから、どうぞ安心して下さい。
後のことは心配ありません。
私が頑張ります。
ですから、安心して、極楽の世界へ

旅して下さい」と言って送り出すのが、
亡くなった方への本当の思いやりですね。


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「垂訓」

2024-12-25 00:24:57 | 浄心庵 長尾弘先生垂訓

恩師のご著書「思いの中に生きる」より

   亡くなった方に対する思い方


先の続き・・・

どっちが辛いだろうか。
どっちが悲しいだろうか。
それは大勢居てもらう方が楽なはずですね。
少なくなったらなるほど寂しいはずです。
一人ぼっちになったらなお寂しい。


じゃあ、辛い、悲しい、本当に悲しい

辛い思いをされているのは死んだ人です。
その人に対して、生き残った者が

ワンワン泣き叫んだり、
自分を取り乱して我を

忘れるようなことをしますと、
悲しい人に余計悲しみを与える

結果になっているのです。


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「垂訓」

2024-12-23 23:56:07 | 浄心庵 長尾弘先生垂訓

恩師のご著書「思いの中に生きる」より

   亡くなった方に対する思い方


先の続き・・・

この間、飛行機事故で五百人亡くなられましたが、
あの方たちがいっぺんに同じ所へ行けるかというと違うのです。
その人の心によって全部別々になっているのです。
一緒に居ようと思っても、

その人の心によって一緒に居れないのです。
そのように、一人一人,一人ぼっちで帰るのが定めです。
では、本当はあの世に帰って行く人と

この世に残った人とどっちが寂しいだろうか。


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「垂訓」

2024-12-22 23:59:07 | 浄心庵 長尾弘先生垂訓

恩師のご著書「思いの中に生きる」より

   亡くなった方に対する思い方


先の続き・・・

生き残った者はまだ親しいお方、

兄弟とかあるいは子供とかあるいは
お友達とか親しい人が「お気の毒ですなあ。

辛いけどがんばって下さい」と、
慰めもいただけたら、励ましもいただけます。
死んで行く人、その人は自分が全く

忘れている世界へ帰っていくのです。
しかも、ただ一人で帰らなければいけません。
誰も付き合いしてくれないですね。


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「垂訓」

2024-12-22 00:39:12 | 浄心庵 長尾弘先生垂訓

恩師のご著書「思いの中に生きる」より

    亡くなった方に対する思い方


先の続き・・・

最も縁の深い者しか夫婦になれないし、

親子になれません。
この世で最も縁の深い親しい者が

この世とあの世へ別れていくことは、
私たちの人生の中で最も悲しい

できごとの一つです。
最も親しい人と別れなければならない。
これはお釈迦様もおっしゃっていますね。
いとしい者と別れる苦しみ。
憎い人と別れるのは、

これはやれやれと思います。
いとしければいとしいほど、

その別れは辛いものです。


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「垂訓」

2024-12-20 23:57:50 | 浄心庵 長尾弘先生垂訓

 恩師のご著書「思いの中に生きる」より

     亡くなった方に対する思い方


先の続き・・・

本当に亡くなった方のことを思い、

その方を愛しているのであれば、
その人のためを思ってあげるべきですね。
亡くなった方のためを思って

尽くすのが本当の愛です。
では、どのようにすればよいのか。
それは、自分も寂しいです。
しかし、亡くなった方の方がもっと寂しい。
それは考え方をちょっと

変えればすぐわかります。
この世の中で、

夫婦として親子として縁を

いただけるということは、
最も縁が深いということです。


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「垂訓」

2024-12-20 00:05:40 | 浄心庵 長尾弘先生垂訓

     恩師のご著書「思いの中に生きる」より

          亡くなった方に対する思い方


先の続き・・・

ところが、あの世へ帰ろうと思って

旅立とうとするのですけれども、
生き残った者が、「おって欲しいんや。

付いていて欲しいんや。私ら守って欲しいんや」
というような願いをしますと、
行こうと思っている人の足を引っ張る

結果になっているのです。
旅立ちの邪魔をしているのですね。
側に居て欲しいのは人情ですけれども、

言ってみれば自分の我欲です。
守って欲しい。付いていて欲しい。

寂しいから側に居て欲しい。しかし、
自分の我欲のために、

亡くなった方が迷ってもいいということは言えません。
自分のために大事な人を迷わしたら大変です。


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「垂訓」

2024-12-19 01:25:55 | 浄心庵 長尾弘先生垂訓

恩師のご著書「思いの中に生きる」より

   亡くなった方に対する思い方


先の続き・・・

これはとんでもない間違いです。
そのように祈っていたいのは人情ですけれど、

そういう祈りをしますと、
亡くなった人の邪魔をすることになるのです。
私らは亡くなったら、

物質の世界(仏教では「色の世界」といっています)、
この現れた世界から、

今度は目に見えない世界へ帰らなければなりません。
実在の世界、あの世の世界へ帰らなければなりません。


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「垂訓」

2024-12-18 00:09:02 | 浄心庵 長尾弘先生垂訓

恩師のご著書「思いの中に生きる」より

   亡くなった方に対する思い方


私たちが亡くなったお方に対して

どういう思い方をするかですね。
これをよく思い違いをするのです。
もう年も九十、百近くになって、
「もう、あんた、ええかげんに死んどくなはれな」
「いやあ、そんなこと言うても、

わしゃ、まだ死なれんわ」と言える、
そんなところまで生きた人は別ですけれども、
まだ所帯盛りの連れ添う方の亡くなった場合、

特に女の方、まあ男の方も一緒ですけれども、
「お父ちゃん、私らに付いて下さい。

そして、私らを守っといて下さい。
どこも行かんとこの仏壇の中におって下さい」

と言って、よく拝まれるのですね。


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