~ 恩師の「心行の解説」下巻より ~
講演 十六
「正しく定に入るべし」
この「八正道」を行じ実践した時に、
私たちは諸々の煩悩から離れることができるのです。
人間は煩悩にくるまれ、煩悩に包まれて生きているようなものです。
煩悩とは肉体の五官からくる自己保存と自我我欲です。
この煩悩から離れる方法として、
自己中心の見方をいったん捨てて相手の立場に立って見ることを
今日まで度々話してきましたが、さらに自分が外部者の立場になって、
自他のいずれにもつかない見地から、
自分と相手とどちらが正しいか間違っているかを見た時に、
煩悩から離れた正しい見方ができます。
お釈迦様はこの世は苦しみの海であると言われました。
苦海からのがれるためには「八正道」を行じる以外にないと、
そのように仏典には書かれています。
すべては原因によって結果が出る、
そして結果が現れたら必ずそれには原因があります。
その原因は反省することによって知ることができます。
私たちは悪い原因を作らないために、八つの正しい生活をすることです。
私たちは知らず知らずに過ちを犯す場合もたくさんあります。
過ちだと知って犯す場合も、知らないで犯す場合もありますから、
私たちは禅定で反省する時に、
「知って犯す罪、知らずに犯す罪をお許し下さい」と言って
お詫びすることです。
知って犯す罪は悔い改め、知らずに犯す罪は自ら見出すことです。
この時心は必ず安らぎます。
そのどちらが罪深いかというと、普通この世的な常識で考えますと、
知って犯す罪のほうが罪深いと思うのですが、
実は知らないで犯すほうが罪深いのです。
なぜかというと、知らないで犯す罪は罪の意識がありませんから、
それが罪深いことだと目覚めることができないのです。
ですから次の罪を積み重ねます。