恩師のご著書「真理を求める愚か者の独り言」より
第四章 「思い変え」こそ幸せの扉を開ける鍵
◆幸せの扉を開ける鍵「観自在菩薩」の意味と「思い変え」の法◆
「喜べば喜びごとが喜んで喜び集めて喜びに来る」
私たちはまず喜ばなくてはなりません。
そうすると、喜びごとが喜んでくれるのです。
同じことは否定的な思いを持った時にも言えます。
不平不満、愚痴、そういう想念から行為していると、
不平不満や愚痴が余計に不平不満や言って、そういうものを集めてきます。
幸せになるはずがありません。
べてを喜びに変える方法としては、
あらゆることに関してこの「源ヤン」の思い方をうまく応用することです。
あらゆるものを金に変える錬金術のように、どんなものでも喜びに変えられたならば、
これほど素晴らしい人生の宝はないでしょう。
人生はどんな困難な出来事が待ち受けているかわからないです。
嫌なことを思い方一つ変えるだけで喜びに変えていけます。
ところで、この「思い変え」の法は、実は般若心経の中に説かれている「観自在菩薩」
に通じるものです。「観自在」とは観ることが自在のことです。
菩薩は如来を目指して仏道修行に励んでいる人のことですが、私たちでも正しい教えを学び、
やがては仏に到らせてもらおうというほうに心を向けて実践すれば、みんな菩薩です。
此処に灰皿があるとします。
上から見るとタバコを置く窪みがある面、横から見ると台形で角張った面、
底のほうから見ると丸く調和した面と、一つの灰皿でも見る面を変えることによって、
それぞれ違って見えて来ます。
それらが合わさり、一つの灰皿という立体をなしています。
私たち人間にしても同じで、たいへん嫌な面、角の立った面、
人を見たら突っかかっていく面がある反面、調和された美しい面もあります。
これが人間の心の複雑怪奇さです。
先程述べたように思いの雲が厚くても、反省と作善止悪の行為を積み重ねて、
雲が切れた時、その切れ間から神様の光が差して来ます。
完全に心の曇りが晴れれば魂の器を神の光が貫き、神の御心と同じになります。
~ 感謝・合掌 ~