やっと、やっと、念願だった、北穂高に登ってきた。
慕い始めて五年、登山雑誌で見た北穂高からの雄大な景色に一目惚れ。
自分も、この目でその景色を生で見てみたい!
でも難度の高い山だから今の自分には全然行けるレベルに達してない!
それから地道にちょっと無理した山や、日常的には筑波山でトレーニングを積み、
去年はそろそろいいかな、とガイドツアーに申し込もうとしたが、
コロナの関係で申し込み損ねた。
万を辞して8月の初旬のツアーに申し込んだが、
コロナの感染者が急拡大した時期と重なった為、直前でガイドさんが
本当に行くか?という意思確認のメールが届き、
いえいえ私は行きますよ、と返信したが6名の参加者の内、
3人以上がキャンセルしたらしく最小催行人数に満たなくなりツアーはまさかの中止。。
茫然自失。。
その後、ガイドさんが9月の中旬の同ツアーならまだ空きがあるというので、
そっちに予定変更。
そして、今回の9月中旬の日程となったが、
むしろ変更になって良かった!
そう、つくづく思ったのは絶好の快晴に恵まれたからだ。
ガイドさんも何度もツアーやってるが、こんな快晴は滅多にない、という
ツアー中は雨の気配は微塵も無い、超快晴の青空が続いた。
寒いと思って長袖長ズボンを用意してきたが、
寒かったのは北穂高山頂の夜明けの時だけで、日中は20度以上、気温上がり
汗だく、首の後ろは日焼けでヒリヒリする始末。
ガイドツアーの参加者は、自分の読み通り50代以上の中高年の人達。
そうだよね、若い人はガイドさんに連れていってもらわなくても
自分の力だけで登れちゃうもんね。
皆んなイイ人ばかりで楽しい時間を過ごせた。
参加者の男性は三人。九州から2名、岡山から1名。
女性も三人。千葉の市川と同じ茨城県民の近くの市町村の人でびっくり。
そんな訳で、女子はすぐ打ち解けて、楽しく話しながら横尾迄の3時間を歩いていったから
長い道のりと全く感じずに横尾山荘に到着。
ここまでは平地の移動だったんで全く心配はしてなかったが、
私が心配してたのは2日目の横尾から涸沢経由の北穂高への登り。
横尾の標高が1600m、涸沢が2300m、標高差700m。
北穂高が標高3100m、標高差800m。この日は標高差1500mを登っていかないといけない。
一日で、そこまでの標高差を登った経験が無い。
大丈夫なんだろうか?
不安。。
でも心配は稀有だった。
涸沢までは登りとも全く感じない歩きの感覚で、
距離は長くとも、全く疲れずに涸沢に到着。
これは私だけでなく、ツアー参加者全員が苦もなく歩いていた様子なので、
ガイドさんの歩くペースが絶妙だったおかげかと思う。
通常のコースタイムの1.6倍のペースで歩きます、とツアーに謳ってたけど、
このペースをずっとキープしてたので疲れなかったんだと思う。
帰りのこのコースですれ違う上りの登山者の一部に苦しそうな顔で登ってる姿見て、
え!?このコース、そんな辛い道だったけ?
普通に歩いていた道の感覚しかなかったから、ビックリ。
ただ、この涸沢迄のここでそんなにバテていたら、
その先の北穂高は絶対に登れないだろうな〜と容易に察しがつく。
多分、バテている人の最終目的地は涸沢なんだろう。
そして涸沢で、私らは昼休憩を40分ほど取って(本当は1時間くらいゆっくり取って欲しかったが)
北穂高へ上り開始。
最初こそ、普通の登山道だったが、やがて岩稜地帯が姿を表す。
そこでハーネスを身に付けて危険に備える。
このハーネスは自分達とガイドさんを繋いで滑落防止するのかと思ってたら
ちょっと違って、鎖場のクサリにカチッとカラビナで身体を保持して転落防止の為だった。
ま、使う事はなかったが。
標高差800mは、筑波山を麓から登るのとほぼ同じ高さだが、
斜度がまるで違う。
ハシゴは一箇所だけだったが、鎖場は何度か登場し、
やはり今まで経験した鎖場よりは難度は高かった。
足の置き場には岩にボルトが打ち込んであり、そこに足をおく。
でも、怖くて立ちすくむような処は無かった。
上りは難なく登れたが下りで垂直の岩を鎖を伝って降りている時に
足を置く場所が無い!ピンチ!とガイドさんに助けてもらった一回だけが
大変だっただけで、後は特にむづかしさも感じずにこなせたので、
何だ、心配するほどの難所じゃなかったな、
というのが私の感想。
高度感があるとか、むづかしそうな箇所があるだの登山ガイドに書いてあったが、
それ程、大したことはなかった。
何年も心配して損した。
詳しい登山レポは私のヤマレコアプリに登山記録に残した。
予想外だったのは北穂高小屋でよる、全く眠れなかったことだ。
づだん、寝つきはいいし、ましてや8時間も山を登って来たのだから、
疲れてすぐ寝落ちすると思ったのに、
20時に布団に入っても目が冴えて全く眠れない。
周りはグウグウいびきかいて寝てるのに、
真夜中、明け方、一瞬のウトウトはあっても眠れなかった、
起床時間の4:15まで。
眠れない間、うっすら頭に若干の痛みがあったから、
もしやと思い、次の日にガイドさんに高山病で眠れない事があるか、
聞いてみたら、やっぱりその通りだった。
3100mの高地だからね。
あれは高山病だったのか。。
次の日、一睡も出来なかった割には元気に行動出来た。
頭は寝てなくとも体は休んだせいか?
ま、そんなこんなで三日間はあっという間に過ぎ去り、
甘美な幸せな余韻を今も噛み締めている。
幸せ過ぎる時間だった。
ビバ北穂高。
慕い始めて五年、登山雑誌で見た北穂高からの雄大な景色に一目惚れ。
自分も、この目でその景色を生で見てみたい!
でも難度の高い山だから今の自分には全然行けるレベルに達してない!
それから地道にちょっと無理した山や、日常的には筑波山でトレーニングを積み、
去年はそろそろいいかな、とガイドツアーに申し込もうとしたが、
コロナの関係で申し込み損ねた。
万を辞して8月の初旬のツアーに申し込んだが、
コロナの感染者が急拡大した時期と重なった為、直前でガイドさんが
本当に行くか?という意思確認のメールが届き、
いえいえ私は行きますよ、と返信したが6名の参加者の内、
3人以上がキャンセルしたらしく最小催行人数に満たなくなりツアーはまさかの中止。。
茫然自失。。
その後、ガイドさんが9月の中旬の同ツアーならまだ空きがあるというので、
そっちに予定変更。
そして、今回の9月中旬の日程となったが、
むしろ変更になって良かった!
そう、つくづく思ったのは絶好の快晴に恵まれたからだ。
ガイドさんも何度もツアーやってるが、こんな快晴は滅多にない、という
ツアー中は雨の気配は微塵も無い、超快晴の青空が続いた。
寒いと思って長袖長ズボンを用意してきたが、
寒かったのは北穂高山頂の夜明けの時だけで、日中は20度以上、気温上がり
汗だく、首の後ろは日焼けでヒリヒリする始末。
ガイドツアーの参加者は、自分の読み通り50代以上の中高年の人達。
そうだよね、若い人はガイドさんに連れていってもらわなくても
自分の力だけで登れちゃうもんね。
皆んなイイ人ばかりで楽しい時間を過ごせた。
参加者の男性は三人。九州から2名、岡山から1名。
女性も三人。千葉の市川と同じ茨城県民の近くの市町村の人でびっくり。
そんな訳で、女子はすぐ打ち解けて、楽しく話しながら横尾迄の3時間を歩いていったから
長い道のりと全く感じずに横尾山荘に到着。
ここまでは平地の移動だったんで全く心配はしてなかったが、
私が心配してたのは2日目の横尾から涸沢経由の北穂高への登り。
横尾の標高が1600m、涸沢が2300m、標高差700m。
北穂高が標高3100m、標高差800m。この日は標高差1500mを登っていかないといけない。
一日で、そこまでの標高差を登った経験が無い。
大丈夫なんだろうか?
不安。。
でも心配は稀有だった。
涸沢までは登りとも全く感じない歩きの感覚で、
距離は長くとも、全く疲れずに涸沢に到着。
これは私だけでなく、ツアー参加者全員が苦もなく歩いていた様子なので、
ガイドさんの歩くペースが絶妙だったおかげかと思う。
通常のコースタイムの1.6倍のペースで歩きます、とツアーに謳ってたけど、
このペースをずっとキープしてたので疲れなかったんだと思う。
帰りのこのコースですれ違う上りの登山者の一部に苦しそうな顔で登ってる姿見て、
え!?このコース、そんな辛い道だったけ?
普通に歩いていた道の感覚しかなかったから、ビックリ。
ただ、この涸沢迄のここでそんなにバテていたら、
その先の北穂高は絶対に登れないだろうな〜と容易に察しがつく。
多分、バテている人の最終目的地は涸沢なんだろう。
そして涸沢で、私らは昼休憩を40分ほど取って(本当は1時間くらいゆっくり取って欲しかったが)
北穂高へ上り開始。
最初こそ、普通の登山道だったが、やがて岩稜地帯が姿を表す。
そこでハーネスを身に付けて危険に備える。
このハーネスは自分達とガイドさんを繋いで滑落防止するのかと思ってたら
ちょっと違って、鎖場のクサリにカチッとカラビナで身体を保持して転落防止の為だった。
ま、使う事はなかったが。
標高差800mは、筑波山を麓から登るのとほぼ同じ高さだが、
斜度がまるで違う。
ハシゴは一箇所だけだったが、鎖場は何度か登場し、
やはり今まで経験した鎖場よりは難度は高かった。
足の置き場には岩にボルトが打ち込んであり、そこに足をおく。
でも、怖くて立ちすくむような処は無かった。
上りは難なく登れたが下りで垂直の岩を鎖を伝って降りている時に
足を置く場所が無い!ピンチ!とガイドさんに助けてもらった一回だけが
大変だっただけで、後は特にむづかしさも感じずにこなせたので、
何だ、心配するほどの難所じゃなかったな、
というのが私の感想。
高度感があるとか、むづかしそうな箇所があるだの登山ガイドに書いてあったが、
それ程、大したことはなかった。
何年も心配して損した。
詳しい登山レポは私のヤマレコアプリに登山記録に残した。
予想外だったのは北穂高小屋でよる、全く眠れなかったことだ。
づだん、寝つきはいいし、ましてや8時間も山を登って来たのだから、
疲れてすぐ寝落ちすると思ったのに、
20時に布団に入っても目が冴えて全く眠れない。
周りはグウグウいびきかいて寝てるのに、
真夜中、明け方、一瞬のウトウトはあっても眠れなかった、
起床時間の4:15まで。
眠れない間、うっすら頭に若干の痛みがあったから、
もしやと思い、次の日にガイドさんに高山病で眠れない事があるか、
聞いてみたら、やっぱりその通りだった。
3100mの高地だからね。
あれは高山病だったのか。。
次の日、一睡も出来なかった割には元気に行動出来た。
頭は寝てなくとも体は休んだせいか?
ま、そんなこんなで三日間はあっという間に過ぎ去り、
甘美な幸せな余韻を今も噛み締めている。
幸せ過ぎる時間だった。
ビバ北穂高。