あらかると one day

小さな旅とetc・・・。

ウォーキングマップ(日光東照宮)

2011-08-08 15:00:27 | ウォーキングマップ(五街道)
 2011年6月から始めた 五街道コース(全長1,583.7㌔)
やっと最後の日光道中 日光東照宮に到着。バンザイ
コースの画面にも「完歩おめでとう」の文字と全キャラクターが勢揃いして待ってくれていた。
明日からは「おくのほそ道」コースに変更する。
今度は目標6ケ月後。頑張ろう

五街道の最終ゴール。日光東照宮は、1617年(元和3年)に江戸幕府初代将軍である「徳川家康公」をまつった神社であり、日本全国の東照宮の総本社的な存在でもある。
正式名称は「東照宮」であるが、他の東照宮と差別化するために、地名をつけ「日光東照宮」と呼ばれることが多い。
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ウォーキングマップ(中田宿)

2011-06-02 18:29:46 | ウォーキングマップ(五街道)
 昨年6月1日から始めた五街道を地図上で歩くウォーキングマップ、12月以来開けていなかったのだが、、もうびっくり五街道全宿場223宿の内210宿までクリアしている。
でも自慢にはならない。
1年かけてやっと1,499.15㌔、残り84.55キロある。
後 少しがんばれ~

中田宿
日光道中8番目の宿場。
中田宿は茨城県古河市中田にあり、江戸時代は埼玉県の栗橋宿から約700mの川幅のある利根川を船で渡ってたどりついたといわれる。
現在も中田関所跡が残っている。しばらくして関所は対岸の栗橋側に移されたといわれる。
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ウォーキングマップ(細久手宿)

2010-12-03 14:56:45 | ウォーキングマップ(五街道)
 歌川広重 木曾街道六十九次 細久手宿

 6月1日に日本橋を出発して東海道を通り中山道に入り 869,15㌔時点。
五街道コース全長は 1583.7㌔ ゴールまで 714.55㌔になった。
6ヶ月でやっと半分強ぐらい。歩みの遅い亀さんがんばれ~

細久手宿
中山道六十九次の48番目の宿場。
海抜420メートルの山中にある細久手宿。道のほとんどが尾根道であったため、往還に沿って東西に細長い町並みであった。
1610年(慶長15年)に設置され、尾張藩領であった。
尾張藩定本陣は当時の面影を残している。現在宿は、わずかに街道沿いに残る古い旅籠が昔の面影をとどめている。(岐阜県瑞浪市)
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ウォーキングマップ五街道(野尻宿)

2010-11-19 22:29:03 | ウォーキングマップ(五街道)
                     歌川広重 木曾街道69次 第40次

 9月21日に浦和宿を出発して282.8キロやっと野尻宿に到着する。
一日平均 5キロのウォーキング。これではなかなか進まないが続けることが大事だ。

野尻宿
中山道六十九次の40番目の宿場。
木曽の檜と共に繁栄した宿場である野尻宿。
宿場通りの長さは奈良井宿に次いでおり、外敵を防ぐため、町筋を左右にうねらせた「七曲り」となっているのが特徴。

1791年(寛政3年)に大火に遭い、昔の建物の大半が消失した。
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ウォーキングマップ(浦和宿)

2010-09-21 11:33:07 | ウォーキングマップ(五街道)
                  『支蘇路ノ驛 浦和宿 浅間山遠望』
                   天保6年(1835年)、渓斎英泉 画。

 暑さはまだ続いているが夜はやっとエアコンをつけずに寝られるようになった。
ウォーキングマップのほうは、いつの間にか東海道三条大橋宿に達して、
再び日本橋を振り出しに中山道六十九宿の内三番目の浦和宿に入っている。
   
     五街道スタートからの距離    520.12㌔
     ゴールまでの距離        1063.58㌔

浦和宿
中山道六十九次の3番目の宿場。
宿場ではなく市場として発展した浦和宿では、毎月2と7の日に市が開かれ、賑っていた。
徳川将軍家の鷹狩りの休泊所は雅名で「御殿」と呼ばれたものであるが、
当時の浦和宿の中心地であった常盤町には早期の御殿である浦和御殿が設けられていた。
このことが、浦和宿の興りとされた。
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ウォーキングマップ(桑名宿)

2010-08-24 10:53:30 | ウォーキングマップ(五街道)
                   歌川広重 東海道五十三次(桑名宿)

 日中 34度を越す毎日を過ごしている。
外出する時 歩数計を二回も忘れて損した気分を味わった。
やっと赤坂宿から6番目の桑名宿に到着。日本橋からは384キロを歩いたことになる。

桑名宿
桑名宿(くわなじゅく)は東海道42番目の宿場(→東海道五十三次)で、現在は三重県桑名市。
脇往還佐屋街道もここから分岐していた。
徳川四天王の本多家のほか、各松平家の大名が藩主を務めた桑名藩の城下町でもある。

江戸時代後期の調査では、本陣2軒、脇本陣4軒、旅籠屋120軒を擁し、家数2,544軒、人口8,848人(男4,390人、女4,458人)であったと記録されている[1]。東海道では旅籠屋数で宮宿に次ぐ2番目の規模を誇った。

宮宿とは七里の渡しで結ばれていて、伊勢国および、伊勢参りの玄関口になっていた。

江戸時代の宿場町は揖斐川沿いにあったが、関西鉄道桑名駅が宿場町の西側に設けられて以降、市街地は西にシフトした。

話し言葉(方言)において木曽三川が東京式アクセントと京阪式アクセント(関西式アクセント)の境界であることから[2]、桑名宿は東海道における京阪式アクセント地区最東端の宿場町となっている。             (ウィキペディアより)

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ウォーキングマップ(赤坂宿)

2010-08-07 15:29:52 | ウォーキングマップ(五街道)
 今日は立秋というのに温度計は33度を指している。
6月1日に日本橋を出発してやっと307.34㌔を表示している。
36番宿場 赤坂宿までたどり着いている。
雨と暑さに邪魔されてなかなか歩数が伸びない。

赤坂宿(あかさかしゅく)は、東海道の江戸品川宿から数えて36番目の宿場。
現在の愛知県豊川市赤坂町に当たる

「御油や赤坂、吉田がなけりゃ、なんのよしみで江戸通い」といわれた程、活気のあった宿場町。

東海道筋で唯一営業を続けている旅籠がある。(写真は現在も営業している大橋屋)

                                ウィキペディアより
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ウォーキングマップ(吉原宿)

2010-07-01 17:24:48 | ウォーキングマップ(五街道)
 6月1日から始めた五街道のウォーキングマップ日本橋を出発してやっと14番目の吉原宿に到着。
140.51km。 雨が多かったし・・・? これは言い訳
毎日コツコツ歩かないと、なかなか習慣に出来ない。

              歌川広重(東海道五十三次 吉原)


東海道五十三次の14番目の宿場。
江戸から京都に上る時は右手に富士を見ながら行くが、
津波や災害の結果、宿場が内陸に移ったため富士山を左手に見る北向きの道ができ、
今まで右手に見えていた富士山が東海道唯一左手に見える「左富士」と呼ばれる景勝地となった。

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