あらかると one day

小さな旅とetc・・・。

旅立ちの法然さま

2008-10-02 18:50:57 | 碑と銅像
 法然上人(1133年~1212年)
浄土宗をお開きになった念仏の元祖。
正式名称は、法然房源空です。9月27日に行った誕生寺の境内に建てられています。


(碑文より)

ほうねんさまの旅立ち

ふたたびまみえる日のなかった母のいるこの地に別れをつげる幼名せいしまるさま。
やがて浄土のおしえをひらく門出にもなったりりしい旅立ちのおすがたである。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

子供平和記念塔

2008-09-11 12:32:56 | 碑と銅像
 徳島中央公園にある遠足や写生大会でおなじみの子供平和記念塔です。
鳩の像もいつの間にか復元されていた。

(碑文より)
 子供平和記念塔は、世界の平和がいつまでも続くようにと願って、昭和23年に県子供民生委員の主唱でつくられたものであり、塔に埋め込まれている石は、徳島の子供達の呼びかけに応じた全国の小中学生やアメリカの子供達から送られてきた特色のある石や化石が使われており、その中には皇太子殿下(今上天皇)から贈られた石(那智の名石2個)もある。
 
搭上にあるブロンズの子供像は、県内の学童からデザインを募集し、福島小学校6年の速水和明さんの作品が第一位に選ばれ、そのデザインを基に日和佐町の彫刻家・大田三郎氏の制作による。長年の風雨により痛みが激しくなったので、平成7年戦後50年を機に修復され盗難にあっていた二羽のハト像も復元された。

     塔の高さ      約4,6m
     搭上の子供像   約1m(ブロンズ像の小便小僧)
     竣工日       昭和23年(1948年)11月3日
     総工費       36万8000円(全額徳島県下の子供達による献金)
                            徳島市公園緑地課
            
 
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

心を托す阿波の踊り子

2008-08-15 16:36:39 | 碑と銅像
 これは新町橋南側のロータリーの中に建っている。
郵便ポストの上にあり姉と弟が踊っているように見える。

(碑文)

阿波踊り

天正14(1586)年頃、徳島城の落成を祝って城下の人々が乱舞したのが始まりといわれる。
しかし、歴史資料の上からは定かでない。
踊りは幾変遷を経て今日に至っているが、この陽気でエネルギッシュな巨大な郷土の文化財は世界に知れ渡っている。
                          昭和56年5月
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

何の記念碑???

2008-08-08 17:09:02 | 碑と銅像
 阿波踊りも近くなって町ではちょうちんや桟敷席のパイプの組み立てが始まっている。

中央公園の桜広場のでっかい青石の記念碑に阿波踊りのはやし詞が刻まれている。

      阿波の徳島          
        蜂須賀さまの
           
            今にのこせし
                阿波踊り
記念碑には碑文もなく、ただこう刻まれている。
 
                  記念碑
                   平成13年8月11日
                         岡田昌治 和
                                  
                              
 
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

徳島戦災犠牲者 慰霊の塔

2008-07-30 18:15:49 | 碑と銅像
 この塔は城山、東二の丸天守閣跡に建てられていて丁度太平洋から来るBー29を
にらみつけるような位置にある。

1945年7月4日深夜、100機のB-29の空爆を受け、
徳島市の62%を焦土化し、死者984人、けが人2,000人以上の被害が出た。

このときに徳島城の唯一壊されなかった鷲の門も焼失した。

この塔は徳島をはじめ各地方都市の戦災犠牲者の霊を慰め、
戦争根絶、世界の永遠の平和を願って建てられたものです。

年老いた方にはここまでの坂道や階段が堪えるのか、訪れている方も少なく私が行った時も
枯れた花束が一つ供えられていた。

             昭和30年7月4日 建立         
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

海野 十三 文学碑

2008-07-23 17:23:59 | 碑と銅像
 中央公園の城山東側にある徳島市出身の海野十三(1897.12.26-1949.5.17)の文学碑です。

科学者であり文学者でもあり多くの科学小説やSF小説、推理小説を残しています。

碑の表には江戸川乱歩の賛辞の文と海野十三自身の文が刻まれています。

私自身は読んだことはないのですが、この郷土の大作家の本をぜひ一度読んでみたいと思う。

                      平成5年3月
                       海野十三の会 建立
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

父の像

2008-07-16 14:54:10 | 碑と銅像
 徳島中央公園の中、城山の東側にこの像は建っている。
昨日 公園に行ったとき改めて碑文を読んでみた。

(碑文より)

大昔から今日まで幾千万かのわれらの祖先が生命をかけてこの国を護り育ててくれたこの像は、
これらの人びとの遺徳を偲び永遠の平和と発展を祈るねがいをこめたものだ。
                           
                             徳島遺族会
               
                              昭和48年12月 建立
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

徳島県立保育専門学校跡 送迎の庭石

2008-07-14 17:39:37 | 碑と銅像
 2004年に3月に50年余りの歴史を持って閉鎖された保育専門学校の記念碑です。
福祉に携わる若者たちを育てるとき送迎した玄関の庭石を記念として設置しております。
今は校舎の跡地には環状線の高架道路が作られていて、この碑がなければここに保育専門学校があったことさえ忘れ去れていくでしょう。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

徳島の碑と銅像めぐり

2008-07-10 18:06:06 | 碑と銅像
 7月6日に眉山山頂広場に行って、モラエスさんの像を見たとき確か前にも見たと思ったが、さりげなく見ていたので全然印象に残っていなかった
これから碑とか銅像を見たらちゃんと記憶に残しておこうと思ってブログに載せてみた。

今回は7月8日に中央公園で見た徳島藩 藩祖 蜂須賀家政公の像だ。

私も歴史の教室に行って初めて知ったのだが、関が原の戦いのとき家政公は阿波国を返上し、徳川の時代になって改めて至鎮公が藩主になったため初代藩主は至鎮公で、家政公は藩祖として崇められている。ちなみに蜂須賀正勝公は大名蜂須賀家家祖と呼ばれている。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする