11月23日 時々
徳島城博物館主催の「バスで行く阿波九城めぐり」に参加する。
阿波九城とは天正13年(1585)阿波国を拝領した蜂須賀家政が、渭津城(徳島城)を築くと共に国内の要塞として築いた九つの城を言います。
今回は大西、川島、一宮城と九城ではないが土塁や二重堀がはっきり残っている重清城跡を訪れました。
九城はその後、元和元年、寛永15年の一国一城令で壊されている。
池田大西城跡
現在は諏訪神社境内になっている。ここから繁栄した船着場と撫養街道と伊予街道が交わる郷町池田が見える。
大西城の石垣
1221年に小笠原長清によって築かれたが、現在は幼稚園の基礎部分にあり東側に一部見ることが出来る。
石垣は吉野川北岸側では砂岩が多く南岸では青石が多いそうだ。
重清城跡
阿波九城ではないが長宗我部元親の阿波侵攻の際三好氏との間で三度にわたり争奪が広げられた城跡。
二重堀、土塁がはっきり残っている。
川島城跡
破壊がひどく模擬天守の西側にわずかに城跡の断崖と石垣が残っている。
一宮城跡 本丸石垣
本丸跡から徳島市、鳴門、淡路、紀伊水道まで見渡せる。
徳島県で最大級の山城跡。
天正13年家政が居城としたが渭津城に移り、ここは阿波九城の一つとして整備された。
元和元年に廃城になったが、現在は保存会の方が良く手入れされ本丸跡にも登りやすい。
バスの中でお聞きした話では中世の頃から吉野川を交通手段としてたくさんの城や町があったということだ。
まだまだ私の知らない徳島がいっぱいある。春の南編が楽しみです。
徳島城博物館主催の「バスで行く阿波九城めぐり」に参加する。
阿波九城とは天正13年(1585)阿波国を拝領した蜂須賀家政が、渭津城(徳島城)を築くと共に国内の要塞として築いた九つの城を言います。
今回は大西、川島、一宮城と九城ではないが土塁や二重堀がはっきり残っている重清城跡を訪れました。
九城はその後、元和元年、寛永15年の一国一城令で壊されている。
池田大西城跡
現在は諏訪神社境内になっている。ここから繁栄した船着場と撫養街道と伊予街道が交わる郷町池田が見える。
大西城の石垣
1221年に小笠原長清によって築かれたが、現在は幼稚園の基礎部分にあり東側に一部見ることが出来る。
石垣は吉野川北岸側では砂岩が多く南岸では青石が多いそうだ。
重清城跡
阿波九城ではないが長宗我部元親の阿波侵攻の際三好氏との間で三度にわたり争奪が広げられた城跡。
二重堀、土塁がはっきり残っている。
川島城跡
破壊がひどく模擬天守の西側にわずかに城跡の断崖と石垣が残っている。
一宮城跡 本丸石垣
本丸跡から徳島市、鳴門、淡路、紀伊水道まで見渡せる。
徳島県で最大級の山城跡。
天正13年家政が居城としたが渭津城に移り、ここは阿波九城の一つとして整備された。
元和元年に廃城になったが、現在は保存会の方が良く手入れされ本丸跡にも登りやすい。
バスの中でお聞きした話では中世の頃から吉野川を交通手段としてたくさんの城や町があったということだ。
まだまだ私の知らない徳島がいっぱいある。春の南編が楽しみです。