妻はアルツハイマー型認知症だった 介護終了・・・介護者のゆくえ

妻は入居中の特養で平成28年6月4日最重度の段階で永眠しました
妻の遺言を一生忘れないで生きていくつもりです(秘密)

孫は妻が他界する3か月前に4年ぶりに面会できた

2017-03-01 19:12:43 | 介護家族
 
孫を連れて昼食介助に…。

今日は妻の昼食介助の日。いつも家を出る時刻は11:45頃 11:40頃、着替えをしている最中携帯が鳴った(ガラケイ)モタモタしていると切れてしまった。直ぐに固定が鳴......
 

上の枠内の記事は1年前の記事です。

この記事を投稿後3か月後に妻は永眠しました。

孫は4年ぶりの面会だった…感慨無量です。

孫は音楽関係に進学が決まりました


新盆の準備できました

2016-08-01 19:22:49 | 介護家族

妻は6月4日午前5時51分点滴のみで59日間命をつないでいたが体内の栄養分を全部使い果たして、草木が枯れるように身動きもなく呼吸が止まり脈拍が消えた。

 

この時、命は終わったのだと認めたが、表情に何も変化が現れなかった。

 

四十九日も済ませ、今日業者が来て門柱に新盆の灯篭をたてました。

棒灯篭と言って高さ2mです。

その他 ホオズキ 蓮の葉 ゴザ 縄 など

新盆の用意はできました。

 

約13年間の妻の介護を振り返ると、最初の3年間は妻の異常な行動(異常な言動はなかった)に振り回されていた私の人生は、もうこれでお終いだと絶望の境地だったが、問題行動のたびに、病気のせいだ、アルツハイマー病で脳が破壊されていくのだと自分に言い聞かせているうちに、妻が被害者と思うようになった。

問題行動に苛立つこともなくなっていった。

 

アルツハイマー型認知症なので病状の進行が早く、発症から5年平成20年には要介護4から5に認定された。

車椅子使用、食事は全介助になった。

意思の疎通は出来ていた。

 

しかしこれから4年後、一気に会話は出来なくなってしまい意思の疎通もできなくなった。

私を認識出来なくなった。

 

この頃も面会は3日毎だった。

面会は私の仕事のつもりであり楽しみでもあった。

毎日のように家の近くの池でヘラブナ釣りを堪能でき人生何の不満もなかったが、この間妻の病状は確実の進んでいった。

 

年月が経ち、今年4月6日ついに、私の願い、施設の十分な心温まる思いやりの介護も天命が下された。

突然口から食べられなくなったのです。

この日から59日目に私より先に旅立っていきました。

 

2011年に始めた私のブログ最初はヘラブナ釣りだったのが、すぐに妻の介護がメインになってしまいました。

 

介護は終了しましたが現在の心境で振り返ってもう少し整理しようと思います。

近いうちにタイトルを変えて再開しますのでよろしくお願いします。

 

 


寝ても覚めても落ち着かない・・・。

2016-05-16 12:32:16 | 介護家族

アルツハイマー型認知症で特養入居中の妻 4月6日容体が急変して点滴のみの対応になった。

9日、嘱託医・施設看護師・家族立ち合いの上、老衰による状態の変化を認め、

医学的に回復の見込みはないと判断され看取り介護が開始されました。

 

昨日5月15日の面会模様

午後2時間ほど付き添っていたが何の反応もなかった。

私を認識出来なかったようだ。

妻はすごい生命力があると思う。

カロリー0の点滴1日500㏄だけで39日も頑張っている。

この先、今日か明日化の身体状態に見えます。

前日の夕から今朝まで排尿なし。

大きな呼吸が出てきた。

と、記録帳に記載されてました。

 

今朝どうしても落ち着かないので、絶対に起きること、葬儀のこと、葬儀社に電話してみました。

妻は10年間、グループホーム・老健・特養と施設生活だったので自宅周辺は住宅が増え妻と面識のある町内の方は2人しかいません。

妻の親族も来られる親族は1人しかいません。

寂しい葬儀になると思います。

家族葬にしますが式場の費用は同じだそうです。

祭壇は同じだそうです。

 

葬儀の日程は

式場・火葬場・お寺の都合すべて葬儀社で手配すると聞いたので一つ心配事は減りました。

ついでに費用の概算も聞いてみました。

基本費用は100万円を少し切るくらいだそうです。

別にお寺へのお布施があります。

案ずるより産むが易し

心配事一つ片付きました


点滴液ラクテック500ml 1日1本だけで今日で36日目

2016-05-12 20:08:58 | 介護家族

4月6日 誤嚥により一時窒息状態に 以後、点滴だけの治療になって今日で36日目。

 

点滴液はラクテック500mlを1日1本。

この点滴液 栄養もカロリーもなし。

なので今日で36日目。

さすが、体内のエネルギー源は使い果たしたようだ。

 

4月6日の事故?の数日前から嚥下機能が極端に落ちていたので、近い内に口から食べられなくなると予感はしていた。

 

その時、予定している経鼻経管栄養 実行しても老衰で胃が受け付けないのでは?

 

妻は極限まで頑張った・・・。

一昔前は、老衰を迎えた高齢者は在宅で自然に最期を迎えていた。

私は何回か経験があります。

点滴などもしなかったと覚えています。

皆で最期を看取りました。

 

中心静脈栄養法 経腸栄養法と延命療法はありますが妻は最重度の状態で2年以上も頑張ってくれました。

妻はただ1日でも長く生きようという目的だけで口で食べていた

食べることだけが仕事だった(妻は仕事人間だった)

妻は延命治療を望んでいるかはわからない

 

妻は意思の疎通が出来なくなった時から、どんな形でも良いから一日でも長く生きていて欲しい との私の願いに限界まで頑張ったと思っています。

延命治療はしないで と言ってるような気がします。

点滴液に栄養分・カロリーが添加してあれば一日でも長く生きられるのにと思うが賽は投げられたのです!!

まだまだ頑張れます

 


賽は投げられた!?

2016-04-25 12:41:04 | 介護家族

特養に入居中の妻

4月7日から経口摂取困難になり,点滴治療のみになり18日経ちました。

 

口から食べられなくなったならば経鼻経管栄養と3年前,身体検査で体形上胃ろう造設は出来ないと診断された時から決めていた。

 

ところが,今回の誤嚥で経鼻経管栄養を採用なしに点滴のみになってしまった。

 

4月7日,夕食時の誤嚥により窒息状態に陥り,脳はかなりのダメージを受けたようだ。

 

4月9日の嘱託医の診断で縮瞳と言われたので調べてみると,脳のある部位が機能を失って回復不能と私は理解した。

私には意識がなく,ただ呼吸しているだけに見えます。

 

昨日(24日)

もしかして、口から食べられるか?施設の看護師さんに話してみると誤嚥の危険が大であり試みない方が良いと言うニュアンスだったので点滴のみの治療続行。

 

実は、4月9日医師・施設・家族3者で話し合い,本人は急激な身体状態の低下が見られ口から食べるのが困難になったので、看取りケアーの検討の結果ターミナルケアーとなった。

経口摂取なし

点滴のみでは余命3か月余りか?

賽は投げられた

The die is cast