妻はアルツハイマー型認知症だった 介護終了・・・介護者のゆくえ

妻は入居中の特養で平成28年6月4日最重度の段階で永眠しました
妻の遺言を一生忘れないで生きていくつもりです(秘密)

桜の木の寿命は?

2017-02-26 18:23:21 | 日記

毎日一度は気分転換に車でぶらりと外出します

いつも、ほとんど決まったコースで団地から県道に出るとことに、一旦停止の標識が一つあるだけで信号機もない市外に住んでいます

 

まず、池を覗くと釣り人が、天気が良いせいか4人もいました

この池、今冬は一度も結氷しなかった

数年前は毎年氷を割って竿を出したのだが・・・。

 

折り返しの公園で、この時期の弥明の桜を撮ってきました

樹齢500年となっているが桜の寿命はどのくらいなのか気になります

調べてみました

桜・杉などは生育に適した環境ならば理論的には、いつまでも生存可能なのだそうです

実際に幹が枯死した桜の幹から枝が出て再生するので、寿命は永遠ということになりますね

 

因みに人間の寿命は理論上120年だそうです

 

枯死した桜の木


家庭内の軋轢は11年前突然起きた

2017-02-12 12:17:48 | 介護の回想
 
一年前の記事を読み返して・・・感想は!
 夫婦は同居し互いに協力し扶助しなければならないと言うが今日のリンゴ畑 春はまだまだ先のようです 妻はアルツハイマー型認知症 要介護5 全介助で特養に入居しています......
 

上の枠内の記事は2年前のものです。 

当時書けなかった内容 記録のために追記します。

 

妻はアルツハイマー型認知症最重度の段階で(目は開かず、声は発せず、意思の疎通は図れず)

平成28年6月4日他界しました。

 

平成27年2月9日の記事で最初のグループホーム入所理由に まだまだデイサービスは続けられたが

家庭内の人間関係が 本人にとって修復不可能な事態になってしまって急きょ入所と書いたあります。

 

当時は 家庭内の問題なのでブログに載せなかったが2年後の今 理由を記録しておきます。

 

当時7歳の孫(女)が妻のいる前で お母さんがバカばあ(妻のこと)と口をきいてはダメ・・・

怒られる

と、突然言ったのです。

 

私と妻は唖然として暫く無言が続いた

気の弱い妻は回復できない心に深い傷になったはずだ。

ので、急遽グループホーム入所決定。

 

追記

孫の母親はグループホーム 老健 特養 と10年間施設への面会は一度もなかった。

当時ブログに書けなかったです。

介護以外にも精神的の問題、経済的の問題 自身の健康等苦悩があるものだ

私の場合は経済的問題が一番だった・・・現在もです!!

 

 


一年前の記事の感想(2016.02.06)

2017-02-07 16:24:05 | 介護の回想
 
昼食介助しながら思い浮かんだ事

今日は朝から、うす曇りですが風もなく穏やかな一日だった。 正午丁度に妻のグループの食堂に入ると、一つのテーブルにいつもの5人の入居者さん車椅子で配膳を待っていた。 ......
 

昨日、一年前の私のgooブログの記事が送られてきました。

一年後の感想を書いてみます。

 

このブログ(1年前の)投稿後118日後に施設にて老衰で他界しました。

死亡診断書には 病名はアルツハイマー型認知症となってました。

 

一年前の記事に脚が固まったのは 寝たきりが起因する廃用性が原因の萎縮と書いてあります。

脳も同じで使い方の問題だと思っていた。

 

妻の場合は長年偏った脳の使い方をしていたのだと思う。

物事を好き・嫌い…白…黒 という風に 偏見を持った生き方だったと思う。

 

認知症発症の原因は脳の使い方にも原因があると思う。

認知症予防方法 今までに数多くの記事を見ました 今日の新聞の雑誌の広告には牛乳と書いてあります。

 

妻のように進行してしまってからは 私でも回復はあり得ないと理解できます。

脳も 筋肉と同じで初期のうちならば回復可能だと思う。

 

妻の最期をみてアルツハイマー病は重度に進行してしまったならば回復は不可能だと理解できます。

 

認知症は最期の瞬間まで 心は生きている 愛は感じます と言われていますが 私は妻が息を引き取る

最期の瞬間まで(一年ほど前から)一度も意思の疎通はなく私を認識できたと思ったことはなかった。

 

施設の職員さん全員私が訪問する日は朝から表情が違いますと言ってました。

妻はアルツハイマー病により脳が破壊されて感情の表現ができなくなってしまったのかも?!

もしかして 妻は 私にだけは 心で 発信していたのかも!!

 

 


この記事の122日後に妻は永眠しました

2017-02-04 20:43:20 | 介護の回想
 
今日の昼食介助模様
前回(3日前)は体調不良のようで3分の1位しか食べなかった。たまには食欲のない日もあることだ・・・と思ってはいたが、今日対面するまでは気にはなっていた。 妻のグループの......
 

上の枠内の記事は1年前の記事です・・・今日この記事を振り返ってみました

 

この記事の63日後 4月7日に夕食時に誤嚥を起こし一時窒息状態になってダメージが大きく以来

点滴のみの治療になった。

 

私の食事介助も無くなった。

3日後に気が付いたがこの点滴液カロリー無しのラクテック

回復の望みは絶たれ 命を終えるのは時間の問題だけだと気が付いた・・・1か月~2か月

この時の医師との対応・・・内容は私の胸の内に秘めておくことにします

 

この時のブログのタイトルは賽は投げられた・・・と付けました

結局予想通り59日後の6月4日午前5時51分永眠しました。