認知症絶対治らない病気だと思いたくない
本日の妻の昼食介助 (特養に入居しています)正午丁度に妻のグループの食堂に入室。7名の入居者さんテーブルを囲んで昼食を待っていた 妻の車椅子に座っている(...
今日(2月27日)施設へ妻の昼食介助に行ってきた。
妻の容態を書く前に1年前のブログを開いてみた。
内容は今日と、ほとんど同じです・・・5年前から重度の状態だった。
脳の機能はこれ以上悪化しないほどに5年前になっていた。
いまでは妻の脳の機能は絶対に回復はあり得ないと認めます。
けれども、 「どんな形でも良いから、いつまでも生きていて欲しい」
これだけが願いだった・・・生き甲斐だった・・・。
この願いでの介護 4年経ち、5年経つと【邪悪】の思いも浮かんでくる。
人間以外の動物は自分で口から食べられなくなった時点で【死を意味します】
自力で歩けなくなった時点・・・からかも・・・?
現在は
福祉制度は充実し、医療もほぼ完璧(認知症関係を除いて)の時代です。
施設入居者は生活のすべてを保護されていて、脳以外の器官は健常者と同じならば、寿命は平均以上になると思う。
社会保障費の増大で財政は?
医学の進歩で人間の寿命が100歳以上になったとしたら・・・ふた昔前(江戸時代後期か?)の民話にある「楢山節考」では、70歳で老人で廃老と言われていた。
不謹慎であり、邪悪な考え極まりないですが、ビデオで楢山節考を観て 姥捨て とか 廃老 とかの言葉と連結して草稿しようとしたものです。
呆け老人を施設に入れることは姥捨て・・・と言う意見に対して。。。
楢山節考
1958年 松竹作品
監督 木下恵介
出演 田中絹代