妻はアルツハイマー型認知症だった 介護終了・・・介護者のゆくえ

妻は入居中の特養で平成28年6月4日最重度の段階で永眠しました
妻の遺言を一生忘れないで生きていくつもりです(秘密)

介護体験談の発表を引き受けて!!

2017-06-29 18:52:36 | 介護の回想

散策コースの道端のアジサイ…わが家の紫陽花は完全に枯れてしまった…原因不明

グリーンのジュウタンに見えたが本物の色とは大差

 

介護体験談の発表を引き受けて・・・。

亡妻の認知症が初期のころ(要介護2~3)介護体験を数回講演した経験があるので、安易な気持ちで引き受けてしまった。

その時は持ち時間45分の制限があったが内容は、過不足なく話せたと思う。

 

今の心境は、末期の期間が4~5年と長かったので中期までの症状で悩んだことや、苦しかったことは殆んど思い出せなくなっています。

思い出してもに思えないです。

懐かしいくらいです。

なので、当時の介護で悩んだことは今になってはあまり思い出せないのです。

 

現時点で話せることは、終末期の脳死または植物人間同然の絶対回復のあり得ない悲惨な2か月間の様態は1年過ぎたが

鮮明に記憶しています。

介護体験談としては回復の望みがない絶望的な話はするべきではないと思う。

 

介護体験談は、いつまでも回復の期待を込めた内容であるべきだと思った。

まだ日にちがあるので検討するがかなりの難題です。


介護体験談を発表するにあたってまた妄想してしまった

2017-06-23 14:20:21 | 介護の回想

妻はアルツハイマー型認知症と平成15年に診断され、一度も改善されることなく13年後の昨年6月4日永眠しました

今となっては終末期と言える全介助、意思の疎通が図れない、目は瞑ったまま、声は発しない状態が3年も続いていたので

初期、中期の問題行動で悩まされていた事は記憶の片隅に仕舞われているようだ

意識しなければ思い出せない

 

重度に進行して3年以上私を認識できない、目は瞑ったまま、、声は発しないコミュニケーションは全く取れない

 

脳がアルツハイマー病により破壊されてしまったので脳幹のみで生きていると理解しています

ので、

人格が変わったのではなく人格はないのです

私をだれだかも分かるはづもないのです

 

アルツハイマー病は人格まで破壊してしまうあまりにも惨い病だと思う

 

認知症になっても最期まで「心は生きている、愛は感じます」と言われていますが私は妻を見ていて全く認めらません

 

ところが、看取り介護に入る2か月くらい前に、もう食事介助はいいですと食事介助中に突然強烈に訴えているのが私の心にというか、魂にというか伝わってきたのです

 

もう生きているのは限界というのか?

楽になりたいというのか?

脳が破壊され心も働かないから魂で訴えたのか?

命を終えても魂は不死なのか?

 

またまた妄想してしまった

魂というものはあると信じてもいいような気がします

 


介護体験談➂大変だったこと どうやって乗り越えたか・・・!!

2017-06-14 11:45:24 | 介護の回想

デイサービスを利用していた時期、次々と異常行動が起き注意しても止めず怒り出してしまう。

※トイレットペーパーを80㎝位に切ってはたたみ一巻全部積み上げるまで止めない。

 または、ハンドバックに入るだけぎっしりと入れる。

 ※午前中から風呂を沸かし、つきっきりでお湯を抜いたり水を足したりの繰り返し、ガス代水道代が大変。

 

すべての異常行動はアルツハイマー病のせいだと認めることにした。

言っても止めないのがこの病気のせいだと理解できるようになったが…?

 

私の主張(疑問に思うこと)

アルツハイマー病の治療薬が開発されたとしたら初期のうちは莫大な金額で一部の患者にしか利用できないと思う。

医療費、社会保険制度はどうなるか?

また認知症患者が全員完治したならば人口構成はどうなるか・・・。

社会保険制度は破たんする・・・。

 

人類からすべての病気が征服されたならば死ぬ人間がいなくなる。老人ばかりになると社会はどうなる?

もしかして予防は出来ても完治する薬は出来ないと思う。

錬金術・・・・・・不老長寿の薬 と同じようだ!!

我が家の庭に繁殖しました 月見草

つげの花 直径4mm位です

毎年同じところに咲きます 花名?

これも毎年同じところに群生しています たんぽぽ?

 


妻の介護体験談②

2017-06-10 15:57:19 | 介護の回想

9日のブログの続き

発表する介護体験談に、どうやって病院を受診させたか、介護認定を受けさせたか、サービス利用をさせたか

という課題があります。

 

14年も前のことなので、おぼろげな記憶をたどってみると、受診した2~3年前からはっきりと、これは普通ではないと思える言動がしばしばあって、これは認知症ではないか?と懸念していた…今で言うMCI

 

何度となく受診すべくあの手この手を使ったが永きにわたって、病院に連れていけなかった。

(本人が強く拒むので)

 

平成15年の町内の健康診断を受けた時、要再検査の項目があり、これを口実にやっと受診にこぎつけた。

あとはスムースに市の保健師さんが手続きをしてくださった。

デイサービスを利用できるまで面倒を見て頂いた。

 

③として、一番大変だったこと、それにどう対応したか、どうやって乗り越えたか、という課題があります。

次回に続きます。


妻の介護体験談

2017-06-09 16:07:18 | 介護の回想

今回、地域の認知症介護家族会で介護体験談を持ち時間15分という条件で引き受けてしまった。

何しろ、平成15年にアルツハイマー型認知症と診断され要介護2~5まで約13年間

デイサービス3年、グループホーム3年、老健3年、最後特養3年

看取りは特養、移転した時点で全介助、意思の疎通は出来ない

私を認識出来ない状態で、平成28年6月4日早朝ろうそくの炎が燃え尽きるように

身動きも声も発せず81歳の生涯を閉じました。

 

目を瞑ったまま声も発しない最後の3年間、面会時に食介しながら声を出したり

無言で思いを語りかけていた。

こちらからの意思は伝わらなかったと思うが

もしかして妻へは伝わていたかも・・・?

 

妻からの思いはただ一つ確実に受信できたと勝手に思い込んでます。

他界する一か月前のこと・・・

食介中にいつもと様子が違って目は瞑ったままこちらを向いて

もういいですと強烈に訴えているように伝わってきたのです。

 

どんな形でもいいからいつまでも生きていて…との願いに

もう限界です と受け取れたのです。

 

ハット気が付きました。

人間 自分の命を閉じる権利があるのだとその時気が付いた。

絶対に治る見込みがないと分かれば家族を苦しめたくないし

自分も苦しみたくない。

延命治療は本人は望んでいるのか、家族の一方的の期待?

高額医療費の問題も発生する。

 

それから間もなくして誤嚥(4月6日)を起こし、ダメージが大きく以後

ラクテック(栄養分なし)点滴のみになり59日後 6月4日早朝

81才の生涯を閉じました。

以上リハーサルしてみると約6分だったので初期の問題行動で

四六時中振り回されていた事やエピソードの一つ二つ付け加えようと思う。