妻はアルツハイマー型認知症だった 介護終了・・・介護者のゆくえ

妻は入居中の特養で平成28年6月4日最重度の段階で永眠しました
妻の遺言を一生忘れないで生きていくつもりです(秘密)

孫を連れて昼食介助に…。

2016-03-01 17:52:39 | 日記

今日は妻の昼食介助の日。

いつも家を出る時刻は11:45頃

 

11:40頃、着替えをしている最中携帯が鳴った(ガラケイ)モタモタしていると切れてしまった。

直ぐに固定が鳴ったのでディスプレイを見ると知らないナンバー。

普段は分からないナンバーは出ないことにしているがこの時は取ってみた。

孫(高3女)から学校の近くのスーパーに迎えに来て、と言ってきた。

 

今朝、当地も降雪があり自転車通学は出来ないので親に送ってもらったとのこと。

孫を乗せたまま施設へ直行。

 

20分ほど遅れて到着…路面は融けていた。

職員さんに食べさせて貰っていた。

私と交代。

 

目を瞑ったままの妻に〇穂)ちゃん来たよ!!と、2度、3度と声を掛けたが反応はなかった。

孫は妻のオデコを触って「ばあちゃん!!」と、右耳に向かって、ゆっくり声を掛けたが反応はなかった。

 

孫が7歳の時、グループホームに入所したばかりの時、父親と面会に行ってきて、帰ってすぐに私の部屋に入ってきてニコニコして(はじけるほどの笑顔で)右手で右ポケットをしっかり押さえたままで、お土産「ばあちゃんにお貰ってきた!」と報告したのです。

 

この時の情景、今でもしっかりと記憶されています。

後に、「何をもらったの?」と聞くと「ティッシュペーパー」と言いました。

この件、何回も思い出します。

 

孫は、しばらく面会していません。

前に来た時は「ばあちゃんはどんなだった?」と聞くと、今日は前より悪くなっていると言ったので、前はいつだったの?と聞くと老健の時といったのです。

 

4年も前になります。

その時も目は瞑ったままだった「〇穂のことも分からなかった」と孫は言った。

 

私は7年間3日毎のサイクルで見ているせいか進行が目立たなかったのか?

もう3年以上重度のままだと思う

8年、9年前、まだ自力で食べられて、歩けて、会話が出来ていた頃を思い出すが、今の状態に進んでいった過程が記憶にないのです。

 

一夜にして変貌してしまったように思えるのです。

 

帰りの車中で介護職も考えてみたら…と孫に言ってみたが突然の話だったのか返事はなかった

孫の進路を期待しています



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