駄楽器駄日記(ドラム、パーカッション)

ロッキンローラーの打楽器日記

愛することリスペクトすること

2006年12月29日 | 駄日記
愛するということは、尊敬するということでもあると思う。
必ずしもイコールではなく、愛には母性愛や父性愛という種の保存に関する本能もあるので、人を愛したら必ず尊敬するということではない。
生まれたばかりの幼子には何物にも替え難い愛情を覚えるが、母乳を求めて泣き叫ぶ赤ん坊に対しリスペクトしているわけにもいかない。
とても尊敬しているけれど、いくら異性でも絶対に愛することはできない人というのもいる。
相手が教師だったりお寺の住職だったり、町内の長老や政治家だったりした場合にはそうだろう。でもこの場合は異性として愛することはないということであり、尊敬と共に相手を思いやる愛情をもって接するという意味合いでは、愛しているといえるのである。
だから、「あの人をとても尊敬しているけど、どうにもこうにも大っ嫌い!」ということはあり得ない事だと言えるのではないだろうか。

いつだったか、確かジョーン・バエズだったと思うんだけど(不確かです)、ワイト島だったかニュー・ポートだったかの(不確かです)大昔のライブ会場の映像を見たのだが、観客のミュージシャンに対するブーイングが止まらず、演奏できない状態だった。
理由は、入場料を取るという行為が諸悪の根源である資本主義そのものであり音楽で金儲けするなんてけしからん、みたいなかつての学生運動のような青臭い理由だった。
要するに身勝手なサヨクバカが共産思想を持ち出して入場料をケチりたい、ただ見したい、或いは集団心理で騒ぎたいだけという状況で、更には運営そのものを妨害するテロ行為にまで及ぼうとしている事態であった。
観客は集団で騒ぎ、もはやトランス状態で、音楽を聴く状況ではない。
「ブー!ブー!」
そこでギターを抱えた彼女が言った。
「静かにして」
「ブー!ブー!」
「あなた達は音楽を聴きに来たんじゃないの?」
「ブー!ブー!」
「私たちは演奏をするために来たの」
「ブー!ブー!」
「これじゃ演奏できないわ
「ブ~・・・」
「私たちの歌を聴きたくてわざわざ集まったのなら、少しは私たちミュージシャンをリスペクトして!」
「ブ~・・・」
そんなやり取り(不確かです)があって観客は静まり、やっとのことで演奏が始まった。
おぼろげな記憶で書いてしまい、内容が全然違っていたらゴメンましょうだが、「歌を聴きたいのならミュージシャンを尊敬して!」という悲痛な叫びが非常に印象的で、そこの場面のみいつまでも忘れないのである。
いつでもミュージシャンは観客に気を遣って演奏するものだが、観客側もはミュージシャンを尊敬していないとライブは成立しないのである。
『オレもお前も労働者だ、同等だぞ。所詮歌い屋ごときを尊敬なんかできるか。ただで歌え!』などという考えはライブ会場では混乱するのみの危険思想である。
ま、こんなことは今ではありえないとは思うし、自分の愛するアーティストは尊敬しているに決まっているわな。

愛する配偶者や、年老いた父母、世話になった恩師や自分の心を打つ作品を提供してくれる様々なアーティストには、ある愛情と主に尊敬する心を持つ。
両親に対しては、反抗期という厄介な時期が誰しもあるので、子供の頃に感じる両親に対する憧れが一旦途切れてしまうものだ。
しかし自分が成人した頃には、親が“うるさく教育する人”から自分を育ててくれた“苦労人の人格者”に変わっていく。
さらに“老い”を両親から感じ取ると、子供は親に対する愛情に尊敬する心が再び加わるのだ。

男女間に関して言えば、難しい面もあると思う。
若気の至りという言葉どおり、青春期の男には肉欲を愛情と勘違いする年頃もあって、おのれの尽きぬ欲望を果たしてくれる女性を見つけると、間違いなく夢中になる。
そして、その相手を愛していると思い込むのだが、その時彼女を尊敬しているかどうかなどと考えることはないと思う。
だが何かの拍子に考えたりして、はっと我に返って「尊敬」していないことに気付いたり愛情と肉欲と思い違いしていたことに気付いたならば、熱い気持ちがすっと冷めてしまうのではないだろうか。
敏感な女の子は、彼氏に対して自分は単に性欲のはけ口対象としての存在なのじゃないか、と訝ることもよくあり
「○○クンっていつもそればっかり。アタシの体だけが目当てなんじゃないの?」
そこで初めて自問自答して、実はそのとおりだったと気付いたとしても、そうだそのとおりなのだと頷くわけにもいかず、冷や汗をかいてしまう彼氏も大勢いることだろう。
ウソでもいいから「そんなことあるわけないよ、愛してるよ」とでも言わない限り今後易々とナニさせてもらえなくなってしまう。

今思うに、これは逆療法として倦怠期を過ぎたセックスレス夫婦の仲直り対策に有効ではないか。
昔とは変わり過ぎて、色っぽいとは少しも感じられなくなった妻に対して夫が言うのだ。
「オレはいまだにお前の体だけが目当てなのだ。」
多分、その夜は奥さんは喜び張り切るだろう。晩のおかずは一品増えること請け合いだが、旦那にとってはその後のことを考えるとチャレンジかも知れない。

一方で、お互いに尊敬しあう男女は幸福だと思う。激しい口論や喧嘩をすることはあっても、相手をバカにしない分だけ、必ず二人の将来に価値のある討論に昇華できるであろう。
オレ自身のことを振り返ると、いつでもそうありたいと思いつつも失敗の連続であったことに恥じ入るばかりで情けない。
お互いの欠点には目をつぶり、長所のみに光をあてて「オレにはない点だ」「自分にはできないことだ」とリスペクトし合っていれば、波風はあったとしても憎しみ合うことはないのにと思う。
コメント
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