『晴れた日には・・・』

日々の雑感を綴ります。

泣いたり笑ったり・・・・(認知症の前兆)

2016年10月05日 | 介護
今から思うと、
母の認知症は
父がまだ生存中に発症していた。


本庁勤務だった私は
毎晩帰りが遅く、
母が家のことをほとんどやってくれていた。


ある日帰ってみると、
不燃物のごみ袋に
黒くなった鍋が突っ込まれてあった。
「ばあちゃん、何を焦がしたの?」
と聞くと、
「煮物をしていてねえ・・・・」
と、申し訳なさそうに言う。


ある日また、鍋が不燃袋に入っていた。
カレーを温めていて…なんだと言う。



極めつけは
お気に入りだった「レミパン」が
元の色がわからなくなるくらい真っ黒になって、
不燃袋に入っていた時だ。

「おばあちゃん!」と、怖い顔をしても
「なんのこと・・・・」というような顔で
焦がしたことも忘れているようだった。


この鍋は気に入って購入し、大事に使っていただけに、
さすがに母に
「もう、台所に立たなんでいいよ!私がするから!」と言った。

火事にされても困るし・・・・・・



そんなことが続いたある日
バイクに乗って
行きつけの鍼灸治療院に行った母は
何年も通っている、その治療院への道順がわからなくなり
迷子になったのだ。

予約の時間を15分も遅れて到着したようだが、
途中、心配した鍼の先生が電話をくださって大騒ぎになり
家のみんなで捜索したものだった。


今思うと、
こんなにはっきり認知症の症状が出ているのに
認知症の知識のなかった私たちは
「しょうがないなあ・・・」
くらいにしか思っていず、
父が亡くなるまで
ほうっておいてしまった。

なぜなら、
この時のことを母は
「あの時は、頭が真っ白になってしまってねえ…」
と、あとでそう言ったからだった。



初めて医師の診療を仰いだのは
父が亡くなって3年、
発症してから4年も経っていた。

それでも医師は
その時「認知症」とは言わず
「高齢者にみられる健忘症ですね。」
と言ったのだった。


発症してから、
もう8年が過ぎた。
コメント (2)
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