新聞の「お悔やみ欄」
ありがたいですね。
親戚でもない限り、なかなか訃報は聞こえてきませんから。
父の友人がお亡くなりになりました。
94歳という大往生。
「もう、老衰でしたから。
医師からそう言われました。
寿命を全うしてくれましたよ。」
そう、喪主様が話してくれました。
父の仕事仲間で、十数年一緒に仕事をし、
大変お世話になっていた方でした。
まだ、父が50代半ばだった時、
建設現場で事故にあいました。
私は、就職したばかり。
仕事先に連絡が入り、すぐに病院に駆けつけました。
病院の廊下に、
その方が、血だらけの父の作業服を抱えて
今にも泣きそうな顔で、申し訳なさそうな顔で立っていらっしゃった、と
あとで母に聞きました。
事故の状況からは、
「即死でも不思議ではない。」という状態だったようで
医師からも、今夜が峠、と言われた状況だったので、
連絡を受けた遠く県外にいる父の兄弟たちは、
みんな喪服を持参しての見舞いだった、と後で知らされました。
幸い、命はとりとめました。
その方は、
それから毎日、
父が退院するまでの約2か月、
欠かさず病室を訪れて、父を見舞ってくれました。
仕事帰りに、毎日欠かさず、です。
それも、手ぶらではなく、
必ず何か(果物かお菓子か)を持って、なのです。
「右目失明」という後遺症はありましたが、父は回復しました。
もう、現場に出ることはできないので内勤になりましたが
定年退職するまで、元気に働きました。
その方とも、以後も親しくお付き合いしていたと思います。
父親同士が、友人だっただけでなく、
実はそのご子息とは、中学時代は同窓ですし、
その奥様とは、園長仲間でとっても親しくさせていただいていました。
ですから、
単に、父の親しかった友人、というだけでなく
親しくさせていただいた友人の御父上、という関係で
今日は葬儀に伺った次第です。
訃報を知った朝、
仏壇の父に報告しました。
「おじいちゃん、Oさんがそちらに行ったよ。
そっちも、にぎやかになるねえ。」