『晴れた日には・・・』

日々の雑感を綴ります。

褒めるが一番!

2018年11月24日 | 生活
今年の野菜作りは

点数から言ったら65点、と言うところでしょうか?



まず、たまねぎは失敗でした。

大きくならなかったし、少なかった

もう今年の玉ねぎがおしまいになります。

いつもでしたら大きいのが春先まであるのですが・・・・



じゃがいもは、沢山作りすぎ!

なんでも作りゃあ良いってもんじゃあない!

昨年が小さくて少なかったから、その反省からでしょうか?



トマトは、ビニールの屋根までつけて囲ったけど

出来はイマイチ。

足りない、ってことはなかったけれど

瓶詰作ろうと、保存瓶を購入して待ち構えていた私には

ちょっと空振り。



茄子やピーマン、まあ、このくらいかな?


西瓜、上出来!!

沢山食べました。



葱、太くならないなあ・・・・・

でも、本数は十分足りるし、

店頭に出ているのはこのくらいの太さだから「良し」としましょうか。



白菜・キャベツ・大根

これらは、少し数は足りないけれど出来はまあまあ・・・



どうしても、父や母が野菜作りしていた頃と比較してしまいます。

野菜作りを始めてようやく5年の主人ですから

文句ばかり言っていては罰が当たりますね。

作る側の身になって感謝しなくちゃ。



野沢菜、生え始めのころは心配しましたが

今は立派な菜っ葉に育っています。



ふと見ると、いつの間にか

かぶ菜と小松菜が虫にも食われず

立派に育っていました。



「父さん、小松菜立派だねえ。

 出荷できるくらい、いい小松菜だねえ・・・」


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初冬の風景

2018年11月24日 | 生活
三連休の中日

今日も、よく晴れ渡って気持ちの良い朝

外の空気はもう冷たい。

でも、気持ちがピン!となる。

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母のこと(認知症・・・言語能力の不思議)

2018年11月23日 | 介護
出来ないことが増えていく認知症の母ですが、

「言語」に関しては、

それほど「引き算だなあ・・」と、思うことがありません。



テレビで、幼子が火災や事故で亡くなったニュースを流していると

「もごらしいない・・・」と感想を言ったり

麻生大臣がテレビに出ていると、

「麻生は馬鹿だもんで・・・」(かつて、麻生さんが総理大臣をしていたころ

よく父が、「麻生が馬鹿だもんでしょうがない・・」と言っていた)と言ってみたり、

そして、お嫁ちゃんや娘たちとの会話も「普通」なのです。



これが、「誤解」を招く元なのだなあ…と思います。



昔、まだ「認知症」がこんな風に認知されていなかったころ

毎日世話をするお嫁さんが、

いくら日常の異常行動を説明しても

たまに訪ねてくる嫁いだ娘との会話は普通で、

だから、姑と娘に「意地の悪い嫁だ」などと言われ、

泣く泣く、我慢しながら姑たちの面倒を見ていた、

という話がいかに多かったことでしょうか。



言語の面では確かに、あまり「引き算」(出てこない単語)はありません。

私たちだってもう、「あ~、あれ!あれ!」などと

単語が出てこないことはしょっちゅうなのですから

それに比べたら、

認知症の母だけれど、遜色ないと思います。


ただ、状況を説明する力は、無くなりつつあります。

ああ、これも私たちにも当てはまっているかもしれない・・・・
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母のこと(認知症は引き算)

2018年11月23日 | 介護
WISKの発達検査では、

IQ69以下は「精神遅滞」の域になります。

大抵の場合、そこに発達障害を併せ持つことが多いので

知的な遅れが顕著で、

発語が遅かったり、運動機能の遅れや集団になじめない、など

生活していくのに様々な障害を感じることになります。

でも、

毎日毎日、生活に必要な行動(基本的生活習慣)を繰り返すことで

習得に時間はかかるものの

ちゃんと身につくこともたくさんあるのです。



そういうお子さんたちを何人も目の当たりにすると

子どもの(人間の)持っている力は

数字では計り知れない、と

つくづく感じるのです。



一方で、認知症の母は

毎日毎日同じことを繰り返していても

もう「身につく」と言うことが不可能なのだと

思い知らされることが多くなりました。



むしろ、毎日毎日繰り返していたことが

ある日突然、できなくなる、

なんてことはしょっちゅうになりました。


トイレから出てきて、洗面台の前に行っても

「水を出して」手を洗うことができません。

昨日は出来ていたのに、です。


洋服を着替えるとき、

ズボンやセーターの前後は、それを眺めて判断し

ちゃんと着ることが出来ていたのに

今日はできない、と言う具合です。


仕方がないこと、とは思いつつ

認知症患者は、

出来ていたことが次々と引き算のように無くなっていくのだな、

と、思い知らされています。

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母のこと(認知症・・・快復なのか進行なのか)

2018年11月21日 | 介護
夏のショートステイから戻ってきて

もう2か月になります。

この間、比較的穏やかに過ごしていて

夜もトイレに起きることなく

(その代わりパットは重いほどびっしょりですが)

手がかからないでいたので割合介護も楽でしたが、

ここ1週間ほど毎晩のように

ベッド周りに排尿したり、

布団の中でおむつを下げてお尻を出して寝ていたり

ズボン下やパジャマを脱いで

枕の横に置いたりすることが増えました。




昼間も、

2~3時間おきか、区切りの良いとき(歯磨きのあと、とかお昼の前とか)に

トイレに連れていき、用を足すように促し

パッドを替えていたので

どちらかと言うと

介護人主導の介護ができていて

これも比較的楽をさせてもらっていたのですが

夜の排尿と合わせて、昼間も頻尿になり

しょっちゅう、呼ばれます。



こうなると、介護人の私はまた

夏前のように、睡眠不足になって

精神的に追い詰められて

四六時中、頭痛に悩まされる、

ということになってきてしまいました。



「おしっこが出ることがわかる。」ということは

認知症が快復してきた、と言っていいのかしら?

でも、そのために、

夜の排尿行動が始まった、としたら

これは、認知症の快復?それとも進行?



比較的、介護が楽だったころは、

ずっと家で面倒を見てあげれるかもしれない、

と思うこともあったのですが

主人や息子たちが言うように

やはり、特別養護老人ホームへの入所をお願いしたほうがよさそうです。



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